うつで大学を休学するまでの状態の殴り書きメモ
3年前(大学1年生)からうつ症状が出始め、1年前にうつ病の診断が下りた。それから私は正式にうつ病と戦うこととなった。
うつ病はつらかった。まだ寛解には至っていないが、いちばんのどん底は過ぎたと思う。
今回は私のうつ初期の状態をざっと書きしてみた。自分のどん底の頃を忘れたくないというのと、だれかの参考になればいいなと思う。
殴り書きしたので、うつ病と診断されるまで明確な段階分けはなく、すみません。
うつの症状はつらかった。
不眠・過食・頭痛・嘔吐・帯状疱疹・過呼吸なんて毎晩のように起きたし、いつも頭のどこかに希死念慮があって、夜になるとそれがよく膨らんで頭を支配した。
次第に本当の本当に何もできなくなっていった。
まずはじめは1年生の頃はやっていた自炊ができなくなった。スーパーにいっても何を買っていいのかわからないからだ。スーパーのすべての棚が一面真っ白というか、何が置いてあるのか理解できなくなる。スーパーに1時間以上いてしまうことが増えた。それでスーパーに行くだけでその日の体力を全て奪われるのだ。
いざ作ろうにも手順が思い出せなかったりレシピを理解できなかったり、吹きこぼしたり焦がすことが異常に多くなり、まずいものが増え、食べられないから残飯も増えた。
そんな感じで、すべての生活が今まで通りにいかなくなっていった。
お風呂も食事も掃除もできなくなって、ベットの上から出ることもできなかった。一人暮らしの部屋にコバエが大量発生したけど、それを何とかすることもできなかった。(更にいうと、それを異常だと感じられなくなっていた。)
うつは私をじりじりと蝕んでいって、でも私はそれに気づけなかった。
脳が働かなかった。以前の自分が思い出せなくなった。
かなりつらかったのは文字が読めなくなったこと。さっきの自炊でのレシピが読めなくなったのもそうだし、大学の資料を読もうとしても脳が文字を認識してくれなくなった。文字が読めないから当然自分で文章を書くこともできなかった。
なのに迫ってくる課題の提出期限。これにかなり精神を追いやられた。
好きな読書とこのnoteも奪われて、趣味すらもできなかった。
あとは、つらいことが常態化していたので常に体力と気力がなかった。
何をするにもエネルギーが足りないから、不調であること・助けてほしいことを誰かに言うこともできないし、大学のカウンセラーに行くこともできなかった。うつを治したいのに、治すには手続きが必要になる。そしてうつの人にとってこの手続きが本当に本当にレベルの高いことだ。
追い込まれているのにそれを止める術がないことが辛かった。
休学しても親や兄弟が完璧にうつ病を理解することは難しかったから、無理をさせられることはあった。でもうつはうつになった人にしかわからない状態だから、理解してもらうのは難しいだろうなと思っていた。
うつ病と診断してもらった病院から処方された薬も、自分に合う薬と出会うまでが意外と長かった。さらに、合わない薬の時は症状が悪化することもあって、新薬を飲む最初の日の夜はすごく怖かった。でも断薬してもうつは悪化するから、前に進むために飲んだ。
ざっと思い返すとこんな感じかな、、。
思い出せるうちに思い出そうと思ってとりあえず書いてみました。
また、自分の体調がいい時に書きます。
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