くれない族は料理ができない?
土台レシピ14・フリッタータ
だいぶ前のことですが、作家・曽野綾子さんのインタビュー記事を読んでいて、「くれない族」という言葉を知りました。
くれない族というのは、自分で考えたり、自ら動くことをやめたときから始まるのだと思います。
この曽野綾子さんの苦言を改めて考えると、料理という裏方仕事は「させていただく」という気持ちがあってはじめて、料理とちゃんと向き合えるような気がします。
台所に立ったときに、食材に対して、道具に対して、食事を共にする人に対して謙虚になる、ということを考えるべきです。結局、料理に向き合うことは自分と向き合うことで、台所で考え、手を動かし、食べる人を想うことが「わたし」という人間を育てるのです。
台所仕事は大変です。誰も手伝ってくれないし、仕事に対しての対価を得られるものではありません。けれど、見返りを求めずに身と心を動かしていくところに、人間のほんとうの価値を見出すことができるのです。
面倒だと嘆くのも自分だし、ありがたくさせていただこうと思うのも自分です。どっちに転んでも我が人生ですが、日々考え、動いたことの積み重ねが「道」となるわけで、たかが料理と思わずに、台所で精進することで、道がひらけていくと私は信じています。
アノニマ・スタジオWeb連載「宮本しばにの素描料理」で、こんなことを書きました。
台所に立ったらそこはもう聖域ですから、嫌だ、面倒だという気持ちは捨てて、天のために料理をしようとさえ思うのです。大げさかもしれません。けれど、料理は精神性の高い仕事だと思っています。台所で考えたことや、走り回っている中でハッとさせられることが少なくないのです。
私は食卓に料理をいくつも並べません。それよりも「今日のひと皿」のために手を動かします。我が家は一汁一菜、または二菜が基本です。
がんばらなくていいから、ひとつの料理にちゃんと向き合うこと。それが結局、「人」を象っていきますから。
今の時代は情報過多で、知識は容易に手に入ります。けれど、見聞きするだけでは、真の自分を知ることはできません。周りを見て決めたり、人の意見で動くことをやめて、毎日の暮らしの中で考え、悩み、動いていく。そうすることで「わたし」という人間をまっすぐに見られるようになり、曽野さんの言う「大人」になっていくのかもしれません。
さて今回は「フリッタータ」をご紹介します。
イタリア版の卵とじ、とでも言いましょうか。スペインの「トルティージャ」(ジャガイモのオムレツ)にも似ている、イタリアの家庭料理です。
手順は、
フライパンで食材を炒め、
↓
卵液を注いで蒸し焼きする。
できあがり。
フライパンひとつでできますので、私はお昼にフリッタータを作って、サンドイッチにしています。
この時期は葉物やキノコがおいしいですね。
ピザのように、トッピングにハーブやフレッシュチーズをのせても!
1.☆マークの材料をボウルに入れ、泡立て器で撹拌する。
ここでちゃんと味見をして塩の量を決める。ソースで食べる料理ではないので、塩味はしっかり目にする。
2.鉄フライパンにオリーブオイルを適量いれ、食材を炒める。食材に火が通ったら少量の塩、こしょうする。
3.卵液を流し入れ、蓋をし、弱火で10〜15分、蒸し焼きする。
4.表面が固まったらできあがり。皿に取る。
トマトがおいしい季節は、こんな風にトマトをのせたり、ハーブやチーズをトッピングにのせて、ピザ風に。
いただきまーーーす!
たとえ忙しくて、出来合いで済ませてしまっても、それをひと工夫して味を’私の味’にしたり、電子レンジでチンせずに、蒸してみたり、器に移したり.…。自分のできる範囲で形にしていくことが、くれない族にならないための小さなアクションかもしれません。