【2つめのPOV】シリーズ 第6回 「しがみつく 」 Part.3 (No.0221)


パターンB〈ラウディのサングラス〉

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 これまでの私の人生は苦しいことの連続だった。

他の多くの人と同様に誰も助けてはくれず、私も誰も助けなかった。

そんな余裕は全く無くその考えさえ浮かばなかった。誰もがそうであるように自分のことしか考えられなかった。


私は人よりも学が無い。だから社会に出ても最底辺の仕事を続けるしかなかった。単純で幼稚で、危険で汚い肉体労働しか無かった。私に紙や文字を扱わせる職場は何処にもなかった。
朝から晩まで毎日毎日クタクタになるまでこき使われた。それでも生活はギリギリだった。貯金はおろか2年毎のアパートの更新料さえままならなかった。
自分のために何かをするなんて出来なかった。時間の余裕も金銭の余裕も無い。この生活を変えたり、抜け出したりする発想すら浮かばなかった。
ただただその日を潰すことだけ。次の休憩まで我慢をするだけの生活だった。

その生活が続くなかで、段々とあることから得られる楽しみだけにその日の全てが集約されるようになっていくことに気づいた。


それは食事だった。
食事をしている瞬間だけが、その絶望と苦悩の生活の中で唯一安らぎと自由が感じられた。

だが、そんな生活を続けていたあるとき、私は本当のことを知った。
この食事こそが自分の人生を苦しめている原因だった。

きっかけはたまたま貰った食材を適当に調理して食べたことで起きた。
お歳暮だったかなんかの貰い物を偶然おすそわけしてもらったので、普段しない料理をやったのだ。


調理方法も男やもめらしく適当に焼いただけのシロモノだ。だが食材が良かったし量もたくさんあったので大満足だったのを覚えている。
そしてその日は普段より早くに寝てしまった。
あまりにたくさん食べたのが影響したのか、とにかくすぐに寝てしまったのだ。
そして翌日もバイトだったのでいつもどおりに目を覚ましたのだが、その朝の爽やかな気分には驚かされた。
普段は重苦しく、身体の痛みを受け入れながらギリギリまで布団を被っているのに、その日は一発で目が冴えた。
昨夜の残りが早く食べたかったのもあるだろうが、それでも準備から通勤から勤務中から、果ては帰宅の途につくまで一日中元気だったのだ。


私はこの状況に深く疑問を持ち、そして調べた。
それでわかったのだ。


いつもあれだけ食べることに関心を持ち、そこだけにその日の幸福を求める生活をしていたくせに、実はその食生活では肝心の栄養が全く摂取出来ていなかったのだ。


私は全く解っていなかった。
カロリー、つまり熱量でありエネルギーだが、これと栄養は全く別物であることを知らなかったのだ。

私は普段の食生活をノートに書き取り調べてみた。

すると私の食生活ではビタミン、ミネラルなどの栄養は全く摂取出来ておらず、エネルギーだけが過剰に摂取されていたのだ。
そのエネルギーであるカロリーも、殆どが脂肪と糖分からばかりだった。

カロリーは3つからしか取れず、それは脂肪と糖分とタンパク質だ。
しかし私はタンパク質すら全く摂取出来ていなかった。


「これでは身体が苦しく疲労も取れず、不快な気分が常にまとっているのは当然だ」


私は気づけて幸せだった。

もしこのままの生活が続いていたら確実に深刻な病気になっていたことだろう。
この貧相な生活で病気になってしまったら、もう人生は破滅である。

この残酷な現実に私は愕然とした。

苦しくて惨めな希望の無い日々の中でたったひとつの、唯一の楽しみであり安らぎだと思っていた食事が、実際は全く身体に取ってプラスになって居なかったのだ。


「では一体どうすればいいんだよ?!」


この悲しい事実は私に怒りを与えたが、しかし興味は尽きなかった。
その後も調べ続けたところ、もっと恐ろしいことを知ったのだ。


それは、日々食べているその食事には毒がたくさん含まれているということだった。
ただでさえ栄養が無いくせに、毒だけはたくさん含まれているというのだ。


この現実は本当に受け入れがたい残酷そのものの情報だった。
だが調べてもこの結論にしかならなかった。


つまり加工食品には栄養は無いが、毒だけはある。


この結論が導かれた理由は単純だった。

食べ物というのは加工すればするほどに栄養が減るのだ。


煮たり焼いたり蒸したりゆでたり刻んだり炒めたり、そして時間をおいたり保存をしたりするとドンドンとビタミンやミネラルは破壊されたり流されて行ったりするのだ。

だが反面、加工をすればするほどに人体へ悪影響を与える添加物、保存料は増えていくのだ。

それは当たり前である。手を加えるのだからその都度味付けや香辛料が増えるのと同じで、保存料も香料も添加物は追加されてゆく。

また、加工したものを別の人や業者が更に加工するのもごく当たり前である。
飲食店は当たり前のように、ある程度出来上がったものを業者から仕入れて店に出すのだ。
つまり加工と加工の間には「時間」が存在する。だとしたら当然保存料が追加される。

こうして、加工されるたびに栄養は減り、毒が増えるのだ。


私の食生活は完全に外食と買い食いしか無かった。
それも安いチェーン店の飲食店、コンビニ弁当、スーパーの出来合いの惣菜弁当、ドラッグストアやディスカウントストアのパンやおにぎりが全てだった。

この事実を知ったあとでは、逆に良く今まで身体が無事だったと不思議に感じる。
だが思い起こせば不自然な体調不良や身体の痒み、出来物、頭痛、関節の痛みなど思い当たるフシが沢山あった。
だが、その不快感や苦痛が私の人生では当たり前だったのでわからなかったのだ。

恐ろしいとしか思えないが、事実である。


毎日毎日、絶望的な生活の中での唯一の幸せだと思って依存していた食事は、実際には全く身体のためになっておらず、それどころか毒がたくさん含まれていることがわかった。

加工をすることでそのたびに栄養が減る。保存されるたびに栄養は減る。そして逆にそのたびに添加物が増えていく。

外食でも出来合いのものでも、どちらも同じく調理過程でさえもこのような問題があるのだが、さらに厳しいことにその前、つまり材料の段階でさえも大きな問題があるのだ。

私の食べてきた料理なんてどれもこれもみんな中国産の材料だし、それも中国で加工もされたものばかりだ。それを日本でレンジで温めた程度の物をさも出来立てのように出されて来たのだ。

一体の中国で何処の誰がどのようにして生産管理してきたものなのか、それは誰にもわからない。この問題は私達の想像を超えたものだと思う。先日もドブのような池の中に漬かった大量の白菜を裸の中年が一緒にドブに浸かりながらショベルカーに白菜を載せている動画が広まった。あれは全てキムチになるそうだ。
また別の動画では地面に山にして積み上げた巨大な唐辛子の中を何十匹ものネズミが這いまわるというのもある。

私達がなけなしのお金を払い、やっと口にしたその食品はどうやって何処から誰の手を経てやってきて、何処のどいつが調理したものなのか、それは誰にもわからないのだ。
そしてその不透明なリスクを恐れるがゆえに増々添加物や農薬が増えてゆく。

それに加え悲惨なことは、そもそも加工云々の以前に、生産されている農作物自体が全く栄養を含んでいないという問題もあるのだ。
私達のなんとなくのイメージにあるような野菜や果物が持っている栄養は、実は私達のイメージよりもはるかに含有量が少ないのだ。

化学肥料などに強く依存して田畑の土壌の栄養バランスが崩れたなかで生産性を重視して早く実や葉を大きくする品種を改良するなどの努力が行われたことが原因かと思う。
見た目は一人前だが、中身は全く伴っていないのだ。植物だって栄養という中身を育てるのには時間がかかるのだが、それをする時間を与えられない為に中身の薄い農作物が出まわることになる。見た目だけで中身が空っぽというのは人間だけではないのだ。


つまるところ、これだけ毎日苦労して食事にありつけても実際は中身空っぽで毒だらけのジャンクフードを食べさせられ続けていたのだ。


なんて馬鹿げた現実だろうか?!
人生を浪費して無駄な毒を積極的に自らの意志で食べ続けていたなんて!


だが、この虚しい出来事は現実に起きていたのだ。私自身の決断でやっていたのだ。


なんて愚かなことだろう!
しかし、知らなければ今日だって同じことをしていたはずだ。
実際に今の私も何かを食べたいという欲求と、この悪魔の事実が頭の中でぶつかり合っている始末だ。

一体全体、この葛藤は何なんだ!
どうしてこんな苦悩が、苛立ちが、絶望が私達にまとわりつくのだろうか?
人生を悪くすると知っている私にさえ、今でもあのジャンクフードを胃に収めたい欲が芽生えているのだから。

この苦しみは、昔見たドキュメンタリー映画を思い出させる。

マクドナルドを30日食べ続けるドキュメンタリー映画「スーパー・サイズ・ミー」で、主人公ははじめは気持ち悪くて吐き出していたのに、段々といくらでも食べられるようになっていく様が描かれる。
主人公の男はこう言っている。

「どんなに食べても2時間するとまた食べたくなるんだ。気づくとマクドナルドのことしか考えられなくなっていた。」

彼は自分の事を分析してこのように語っている。

「マクドナルドの商品はどれも全く栄養がない。いくら腹いっぱいに食べても身体には全く必要な栄養が届いていない。だから脳は必要な栄養を取るためにもっと食べるように指示を出して食欲を刺激する。でもいくら食べようとも取れるのは過剰なまでのカロリー、塩だけ。そしてその結果、栄養失調な超肥満になるのだ。」

先進国での肥満問題を語るときによく引き合いに出されるのは貧乏か金持ちかの違いである。

金持ちが痩せていて貧乏人が太っているのは、金持ちがセルフコントロールが出来るから資産も健康も手に入れられ、貧乏人はバカだからどちらも得られないのだという言説があるが、現在の私にはそれが原因とは思えないのだ。


私のように貧しい人間は悲惨な食生活を送ることになる。
栄養が空っぽで脂質と糖分だけが過剰な食品ばかりを毎日食べる羽目になる。ビタミンやミネラルなどの栄養が全然摂取出来ないので脳が食欲を刺激して、ますます食べることに依存させられるが、しかしそれでも貧しい者が食べられるものは低品質な加工食品だけ。
そしてその繰り返しで肥満の貧乏人が誕生するのだと思えてならない。

栄養が足りず、身体は肥満で仕事も日常生活も心身に負担を大きく掛ける生活はQOLを大きく下げる。
不快感と不幸な気持ちが栄養失調の身体に更に苦しさを与える。そしてそこからの逃避にもやっぱり食事が使われる。


この絶望のサイクルが知らぬ間に、それぞれ個性があるはずの多くの人々の人生に取って代わられている。

私は幸せなことに、偶然にもそのサイクルの存在にこうして気づくことが出来た。
そしてそこから抜け出すための方策を自分で考え、調べたあげく見つけることも出来た。


だが、多くの人々はどうだ?!

ちょっとテレビでネットで扱われれば即座にジャンクフードを買うために振り回され余暇も財産も浪費する。

肥満体が苦しくて惨めなことが分かっていても、2時間後にやってくる昼食のことで心がいっぱいだ。
疲弊した身体で帰宅しても、食事とテレビでもう明日の準備がやってくる。


これが人生なのだ。


いや、これが人生だという生き方を強制されているのだ。
なんという悪魔的な仕業だろうか!


ほんの少し前まで何の疑いもなく同じことをしていた私は、今やこの事実に激しい怒りを覚えている。


なぜこんなひどいサイクルを誰も止めようとしないのか?

これはただの食い道楽や肥満体の問題を超えている。
これはもう依存症、中毒患者だ。ジャンキーだ。
食事中毒。イートジャンキーだ。
それが当たり前にいる。
国民総出でイートジャンキーにされているのだ。


あれだけテレビもマスコミも連日ヘルシー、健康と騒いでいるくせに、その内容は味や価格やコスパを喧伝してばかりで品質については全く指摘をしない。
同じものでも品質が違えば取れる栄養量は全く変わる。
でもそんな本当のことは全然言わない。隠されているとしか思えない。

食事というのは生きる以上は絶対に必要で避けようがない。
だがこの大切なことを重要視して活動している政治家がどれだけいるのか?

まともな食生活をするためには、農作物や食品の品質も大切だし、生産の管理も大切だ。
そして日々自炊して自分たちの健康管理をするだけの時間的、経済的余裕が全ての人々に与えられるべきなのだが、そのために活動している人物がいったいどれほどいるのだろうか? 

私は聞いたことがない。なんでしないのだ?!



【2つめのPOV】シリーズ 第6回 Part.3


パターンB〈ラウディのサングラス〉

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おわり


Part.4につづく



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