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短編小説 「風に靡いて」
トマトケチャップというものについて、考えたことがあるだろうか。真っ赤なソースが食卓に置かれているとき、その存在をあまりにも当たり前に感じてはいないか。わたしの知る限り、人々はポテトフライをディップするときにも、スパゲッティをナポリタンに仕上げるときにも、あるいはちょっと味が物足りない炒めものに加えるときにも、気軽に手を伸ばす。
ただ、あのケチャップのボトルがカラになる瞬間に、少しだけ「ありがとう」と思うかもしれないが、その程度で翌日には忘れ去られてしまう。たまに新しいケチャップボトルを開ける時に内蓋がうまく開かない時がある。なんてイラッとする瞬間なのだろうか。そもそも誰がこの真っ赤なソースを最初に発明したのだろう。
ところで、河川敷のベンチに座ったことがあるだろうか。わたしは今、まさにそこに腰を下ろし、川面を渡る風を浴びている。心地いいとは言いがたい。なにせ空気が昼下がりで熱を帯びているせいで、風が熱っぽいのだが、それでも街の中心を走り抜ける車の喧噪よりはずっとましだと思う。すぐそばには低い橋があり、コンクリートの欄干を揺らすように自動車がごうごうと通過している。スピードを出す車の姿がちらりと見え、エンジン音だけが残響のように耳に残る。
わたしはその様子を、ぼんやりと眺める。運転席に座った人たちは、どこへ向かっているのだろう。もしかすると会社へ急いでいるかもしれないし、家族を迎えに行っているのかもしれない。あるいは、久しぶりの休日を求めて海辺へドライブかもしれない。いずれにせよ、彼らの足は止まることなく、橋を渡るとすぐ先の大きな交差点で赤信号に引っかかり、また青に変わるとスタートを切る——まったく休む暇がない。みんな前へ前へと焦り、走り続け、信号待ちの一瞬さえイライラを耐えているかもしれない。
そういえば、わたしの知人が「毎日が分単位のスケジュールで埋まっている」と嘆いていたことがある。朝起きてから寝るまで、仕事の合間にメールを返信し、書類をチェックし、昼休みはショート動画を眺めて気を紛らわせ、夜は夜で昇進の勉強をしなきゃならない……そんなルーティンを崩せず、崩したら『負け』だと思っているような様子だった。そうやって何かに追い立てられながら、日々が過ぎていくのはどうにも切なく感じる。じゃあ休みの日に思い切りリフレッシュしているかというと、「やりたいことが多すぎて、どれも中途半端になる」とため息をつく。忙しすぎるというより詰め込みすぎている姿に見えてしまうのだ。
わたしが座っているベンチの隣には、赤サビだらけの小さなゴミ箱が据えられている。風が少し強くなると、そのゴミ箱の中から紙くずやビニール袋がふわりと浮かんで飛び出そうになる。だけどゴミ箱のふちに当たり宙を舞うことはできない。まあ、そのうち何かの拍子で風に乗ってどこかへ飛んでいくだろう。
橋の上をまた車が通りすぎる。陽射しが強くなって、背中から汗がにじむ。じっとしているだけで時間が過ぎることに、ほんの少しだけ罪悪感を抱くわたしは、きっと暇に毒されているのかもしれない。「何もしないでいる時間も必要」という声が頭に浮かぶものの、どこかで「何かした方がいいんじゃないか」と焦ってしまう。その狭間で軽く頭がぼんやりする。
そんなとき、川辺を吹き抜ける風が顔を撫でていく。ここで少し目を閉じてみようか。どうせ私は暇だから、好きに過ごしたっていい。罪悪感にかられながらも、どこか懐かしい安堵が胸に広がってくる。
薄い日陰がベンチに広がるのを感じながら、私は背もたれに体をあずけ、空を見上げる。白い雲が太陽を隠していた。重いまぶたが自然と降りてくるのを止める理由はない。きっと五分、いや十分かもしれない。もう少し長いかもしれない。どれだけの時間が過ぎるかはわからないけれど、このベンチの上でちょっとした昼寝をすることに決めた。河川敷の風にまかせて、しばしの夢を見よう。
時間を割いてくれてありがとうございました。
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テヘペロ。