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過敏性腸症候群を考える〜自律神経をなんとしても整えたい〜(脳内にたまった記憶を解放する日記をつけるに至った経緯)
自分用メモ。
解決の方法をさがすため、分析と対策経過を記録する。
過敏性腸症候群(IBS)らしい
IBSは、消化管に異常がなくても、便秘や下痢など、消化に不調をきたす症状を呈す。
IBSの原因はわかっていないが、現代人特有のストレスや、不規則な生活が原因なのでは、と予想されている。
自分の症状を、別の病院受診の際に医師に相談したところ、IBSなのではとの話が出た。
急激な下痢の症状
下痢は、主に食事のあとのタイミングで起こる。夕飯後が多いが、朝や昼もある。自宅だったり、仕事中だったり、場所や時間、また気候を選ばない。
ご飯を食べ終わる頃に「なんとなくお腹が痛い」と感じる。時間が経つとだんだんピーピーな感覚になる。トイレに入っても、すぐには出ない。5分くらいして、普通の便が出る。最初はコロコロした石みたいな形で、だんだん石がくっついた便になり、次第に一本になる。ちょっとお腹が痛い位だったのが、この頃には激痛になり、吐き気もし、脂汗が出る。下痢的なお腹の痛みと同時に、胃のあたりにクリアな痛みがある。
生あくびを連発し、眠くなってくる。
間をおいて一本型の便が3〜4回出て、だんだん黄色っぽい水溶便に変わる。これも何度かに分かれて出る。これが出る直前が激痛で、不快感も強い。
ここまで40分くらいかかっていて、座面に座る太ももが痺れてくる。
急激な眠気に襲われる。座りながら俯いて目を瞑って、夢みたいなものを見ている時もある。
水溶便が出ると、反対にすっきり爽快な気分になる。痛い痛い痛いスッキリ、痛い痛い痛いスッキリ。これを4〜5回繰り返す。最終的に液状になって終わる。終わりかな、と拭いてトイレを出て休んでいると、もういちど便意が生じてトイレに1〜2回行き直すこともある。
いったん良くなってしまうと、直後からわりと元気に動ける。胃のあたりに少し疲労を感じるくらいだ。ただし、翌日からまた便秘が堆積し始め、次の急な下痢を恐れながら生活する。
下痢年代記
自分の症状をふりかえってみる。
子供の頃から常時、便秘ぎみである。2022年頃に毎朝快腸の時期があった。このため便秘であるのは、身体の器質的な問題ではなく、この年より前からあった持病やその服薬もまた関係ないと思われる。
2023年頃から、突発的な下痢に襲われるようになる。
2024年に入った頃から、下痢は二週にいちどくらいのペースでくるようになった。
2024年の春に転職してからも、同様の症状が続いたので、個別の人間関係とは関係ないと思われる。
2024年12月中旬に台湾に4日滞在し、いったん正常な排便に戻った。原因として、長期休みによるストレス低減、食べる量が総じて少なめ、非日常の生活環境が体に合う、などが考えられる。
下痢の機序
排便は、自律神経(呼吸や、心臓の拍動や、汗を出すなど、意識せずに行われる生命機能にたいして指令を送る神経。)のうち副交換神経が優位になると、腸が蠕動運動をし、便が押し出されて起こる。
交感神経は逆に、排泄を抑制する方へ働く。
便は消化管を、胃→十二指腸→小腸→大腸→直腸の順に移動する。
小腸では栄養が吸収され、大腸では水分が吸収されて、健康な便が完成する。下痢はこの過程のうち、蠕動運動が急激すぎて大腸で水分が吸収されなかったり、反対に何らかの原因で水分が加わってしまい、生じる。
私の場合、消化管の下流にある便から順に、固形→軟便→水溶便と出ていくので、途中で加水されたとは考えにくく、下痢の原因は「急激な蠕動運動」と考えられる。
なぜ急激な蠕動運動が起こるのか(予想)
正常な排便は、適度な副交感神経の働きで起こると予想する。
消化管内では、胃で4時間、小腸で8時間、大腸で12時間〜、内容物が滞在する。食べた物が排出されるまでに24〜72時間とされている。健康な排便の場合、必要な経過時間に達した内容物だけが排泄される。これを調節しているのが副交感神経なのでは、と予想した(そうでなければ、未完成の便が出ずに腸内に止まることができない)。
内容物が全て出てしまうというのは、副交感神経の「過度な」出力が原因である可能性が高い(急激な眠さとも一致する。正常な排便は、眠くなったりしない)。
交感神経も副交感神経も、出力の強弱がある、と想定する。
なぜ急激な出力が起こるのか(予想)
常には便秘であり、下痢のときは一気にぜんぶ流れ出る。
これは、「常には交感神経優位」であり、下痢の時は「一気に副交感神経優位になる」とみることができる。
交感神経は活動するための神経である。外界からのストレス刺激(原始の時代に天敵に遭遇したときなど)に対し、立ち向かうか逃げるかするために、心拍数や筋肉の血流量をあげて身体能力を一時的に上げる。このときの血流量は、火急に必要でない消化活動などから引っ張ってこられるので、「交感神経は消化管を抑制する(消化管運動を鈍らせる)」と表せる。天敵に出会ったときの原始の生命は、このように交感神経を活発化させて身を守ってきた。
一方、副交換神経は、緊急時以外の生命維持機能を支える神経である。消化・排泄時や、睡眠時には、副交感神経が優位になっている。
この二つの神経は、片方が強まるともう片方が弱まる、というバランスで成り立っている。睡眠時は交感神経が働かない状態で副交感神経が最高まで高まり、起床とともに交感神経が優位になり、副交感神経が下がる。昼を過ぎると緩やかに逆転し、今度は副交感神経が優位になり、交感神経が下がり、眠りにつく。健康な自律神経では、このようなサイクルを取る。
このバランスが、私の場合くずれている。
「常には交感神経過多であり、バランスをとるために突発的に副交感神経側へ傾き、”溜め”を解消している。このためIBS症状が出ている。」
この想定のもとで、今後の対策と実践をする。
対策と実践
消化管症状の辛さはQOLを著しく下げるものであり、私はこの症状の改善をしたいと思う。
改善については、腸をどうにかするのではなく、その上位を司る自律神経に働きかけることとする。
方法1:ぬるめの風呂
ぬるめの風呂が副交感神経を高める。
面倒くさがらずお風呂に入って本を読む。
方法2:呼吸
腹式呼吸で、ゆっくり吸ってゆっくり吐く。
副交感神経が高まるべき時間帯、睡眠前の30分を当てる。
方法3:日記
自律神経と「自分の心がけ」がどれくらい相関するか、あるいは全然関係ないかもしれないが、日記をつけて脳内にたまった記憶を解放する。
うつ病の人が医者に日記をつけるよう勧められた事例にならう。
実践の記録(12月25日〜1月24日)
年末:長風呂に漫画を持ち込み、最後まで読みたくなってしまうので、寝る時間が押した。30分には満たないが眠る前に腹式呼吸をし、それ以前よりも入眠力が上がったようだ。
忘年会などで人と会ったり飲んだりすると、寝るのも遅くなるので勝手に眠くなる(おいおい)。
日記は続いている。日記を公開しているが、読まれたくないので有料にしている。けれどいったん開いてくれた人には申し訳ないので無料ゾーンを広く取っている(何がしたいんだ)。
あいかわらず便秘である。次に急な下痢がくるのが怖くて、毎日戦々恐々。
年明け:30分取れているかはわからないが、電気を消した部屋のなかで深呼吸をすることが習慣になる。もともとこの時間に瞑想をしていたので、あとはお腹がへっこんだり膨らんだりするのを確かめるだけだ。瞑想なんて大仰なことをいって、雑念だらけなのだが。
時間がなくてもお風呂に入って温まることを積極的にやるようになった。
noteをこまめにつけるようになった。
このnoteでやるべきことを明確にして以来、下痢をしていない。
日常に戻った頃:子供の頃、レストランに行って、両親がなぜか食べられないほど潤沢な量の料理を注文するので、私は「残してはいけない」と義務感に駆られて吐きそうになるほど食べていた。何かの影響があるのかもしれない。そんなことを思い出した。
学生時代は、朝の忙しい時間に便をがまんしたり、出先のトイレでは出したくない、という抵抗があって、がまんを繰り返していた。腸よすまん。
このnoteをつけて以来、下痢はしていない。便秘はあいかわらず、ちょっとずつ積み重なる。次は下痢なんじゃないかと怖い。
便の機序:腸の最終段階は、大腸→S字結腸→直腸→肛門。
便はS字結腸で待機し、蠕動運動を待つ。多くの場合、食事をすることが蠕動運動への刺激になる。
1月中旬以降:1月17日から酸化マグネシウム便秘薬を毎晩飲んでおり、5日目くらいからこまめにだが通便がよくなった。食事量に対応するくらいの量が出ている。おなかの張りはおさまったが、たまっている感じはある。
下痢への恐怖の対策として「食べすぎない」があらたな習慣になった。これまでは「お皿の食べ物がなくなること=片付くこと」を目指しがちだったが、「おなかの様子が第一優先」とすることにした。この行動が可能になった背景には「ネガティブ・ケイパビリティ」が鍛えられたことがあると思う。職場の人は「お腹がいっぱいだから」という理由でなんでも残す。生ものだから食べてしまったほうがよいのでは?と私が思うものでも、平気で中途半端に残し、後で食べたり持って帰ったりしている。そういう行動を見ていると、どんな食物でもちょっとくらいは保存できるんだなと実感し、自分でも残すようになった。
ちなみにネガティブ・ケイパビリティとは「不確実性や疑問、矛盾、答えのない状況に耐え、受け入れる能力」と説明される。
どうして昔のレストランの話なんか今思い出したんだろう、と思っていたけれど、「お皿の食べ物がなくなること」を目指す食事は、そこが発端だったかもしれない、と気づいた。
一ヶ月の実験結果:
下痢をしないためにあらゆる時間をおなか優先にして一ヶ月過ごした。便は尿とちがって我慢できるようになっている。それは生命進化の過程で、においのせいで天敵に狙われることがない、周囲の都合にあわせたタイミングで排便できる生命が多く生き残ったせいだと、私は予想している。
周囲の環境に適応できるということは、たぶんすばらしいことだ。ふつうの人ができる、簡単な掃除とか片付けとか料理とか電話とかスケジューリングとか鉄棒のさかあがりとか一輪車とかフラフープとか、ちいさなタスクを「自分はこんなこともできないんだ」と思ったときの哀しさは、だれしも持ったことがあると思う。だから、適応できる、そのタスクができるというのは、その哀しみを背負わなかったということ。気づいていないだけで、余計な哀しみを持たない分は幸福だったのだ。
けれど環境に適応しすぎて自分のからだが回らなくなること、ということが、この人体では起こりうる。「現代人の不調」という普遍的なことばで平たんに踏みならされたその状態は、本当はいちばん深刻だ。テレビのなかでは無数の個人の不調として語られて、みんな「重大だな重大だな」と言いながら、自分とは関係ないと多くの人が思っているけれど、今生きているこの体は、不調をかかえず生きて、きもちよく生ききる権利を持っている。メガネの曇りをごしごし拭いて、ちゃんと自分の体のなかの回転を見つめなければ、いずれ世界にたいして何も力を加えられない物になってしまう。
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このnoteを書いたのは、2024年12月24日の夜に急激な下痢で1時間苦しんだ翌日だった。疲労感にぐったりして、なにも食べず、ソファで毛布にくるまって、本を読む気も起きず、昨日あったことをぜんぶ可視化してみようとして書いた。書いて、見直して、経過をみて、さまざまなことを発見できた。
下痢をしていない通常のときは、下痢が起こるなんて想像していない。だからこの一ヶ月下痢をせずにすんだのもただそういうタイミングだっただけで、またあの苦しみが来ることもありうるので「回復してしあわせだー!」などとはまだ叫べない。
自分が立てた仮説をもとに実行してきたさまざまな対策が奏功しているかどうかは、今後も長期の確認が必要だ。
けれどいったん、おつかれさま、神経。