【コラム】浮遊する自我に助けられた話
最近、興味深い体験をしました。
嵐のような出来事
ある日の朝のこと。
トイレに行こうと思ったら先に夫が入っていて、仕方がないので2階のトイレへと階段を上りました。夜眠れなかったこともあり、上っただけでヘトヘト。
2階へ行ったついでに、取り込んで山積みになっていた洗濯物をたたみます。が、私のはほとんどなくて夫のものばかり。さっさと片付けたい私と、洗濯物の山の中から靴下を探し出して履くことを何とも思わない夫。性格の違いで、こうなるはいつものことで、大したことではありません。せっせと片付け、タオル数枚を持って1階へ。立ちっぱなしだったこともあり、さらにヘトヘト。
タオルをとりあえずラグの上に置いて、私はビーズクッションにダイブ!ちょっと横になって休憩・・・と思ったら、床がずいぶん汚れているのに気がつきました。掃除機かけたのいつだっけ?今日こそはかけないと・・・
そこへトイレから出てきた夫が一言。
「あ!こんな汚いところにタオル置いてる!」
私の中でタガが外れた音がしました。何か叫んだ後(覚えてない)、泣く私。怒られていると思ったのか、タオルをたたもうとする夫。タオルを奪い返して「やめて!自分でやる!」と叫び、また泣く私。どないせーっちゅうねん!という表情の夫。
このとき私は、自分の後方の空中にいる誰かがものすごく冷静なトーンで「あ〜あ、暴走してるなあ」って言ってるのを聞きました。そして、その誰かが「感情的になりそうなときは、その場を離れること」とアドバイスをくれたのです。言われるがままに、なんとか「向こう行って!」と絞り出すと(自分はヘトヘトなので動きたくない)、夫は怪訝な顔をしながらもシャワーへ。
その後、タオルを床に投げつけてみたもののスッキリせず。他の物を投げようかと考えている私に、また空中の誰かが「後で片付けるの大変やで」と言ってきたのです。その通りだと納得し、さっさとタオルをたたんで片付けました。そして、これまで起こったことをメモ用紙に箇条書きにして、今度こそクッションにダイブ!休憩!!!ちょっと寝る!!!!!
戻ってきた夫は、汚い字が並んだメモ用紙を見て「ごめん」と一言。起き上がった私はいつも通りの私。「こっちこそごめん」と言ったときには、空中の誰かはいませんでした。
考察してみる
今振り返ると、ずいぶんカオス・・・。
空中の誰かとは誰だったのか?私は、自分自身の自我じゃないかと思っています。
シュタイナーが言うには、寝ている間、“自我とアストラル体“は“肉体とエーテル体“から離れていて、起きると“肉体とエーテル体“の中に入るんだそうです。このとき私は極度の睡眠不足でした。だから、“自我とアストラル体“が出入りに失敗していたんじゃないかと思うのです。
そして、“肉体とエーテル体“がヘトヘトなせいで容れ物の役割を果たせず、感情を司る“アストラル体“の暴走。止められるのは、アストラル体よりも高い次元と言われる自我だけですが、自我は体から離れていたためアストラル体を制御することができなかったのです。アストラル体にそそのかされて、肉体までもが、いつもと違うこと(タオルを投げる)をする始末。
でも、私の自我は頑張ってくれました。後方からちゃんとアドバイス。そのお陰で、何とか元に戻ることができました。そして、思い切って寝たのも、効果があったのではないかと思います。
あとで夫には、「今後同じようなことが起こって自己制御できないほど酷いときには、肉体に圧をかけて止めてください」とお願いしておきました。触覚を通して他者の自我を感じることができたら、他者の自我を借りて制御できるかもしれない、と思ったからです。
子どものかんしゃくとか自閉傾向のある人の自己コントロールともつながるであろう、とても興味深い出来事でした。でも、2回目は要らないかな。“肉体とエーテル体“をしっかりケアした方が良いですね。睡眠不足や疲れには注意しようと思います。
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参考図書
「自我・アストラル体・エーテル体・肉体」ってなんのこと?と思われた方は、『神智学』『テオゾフィー』、「触覚を通して他者の自我を感じる」ってどういうこと?と思われた方は『十二感覚』を読んでみてくださいね。
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えりか先生。神戸シュタイナーハウスでは、子どもクラスを担当。 小学校・放課後等デイサービスを経て、現在は児童発達支援事業所で障害児支援にあたりつつ、神戸・京都において日曜クラスの先生としても活躍中。
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