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【子ども】聖人伝②空海伝説

私と3年生に大きな変容が起こったころ(詳しくは→ 聖人伝①空海に導かれて)、ちょうど取り組んでいたのが聖人伝。
今回は、実際に語ったお話を紹介しようと思う。

参考にした本はこちら


お杖の井戸

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(↑ 自作の黒板で初めて描いたのがこの絵だった。試行錯誤中。)

昔むかし、弘法大師空海が、修行をしてまわっていたころのお話。

ある村では、どういうわけか、井戸の水が濁ってしまっていた。飲み水はもちろん、ご飯を炊く水もなく、きれいな水をわざわざ隣村までもらいに行かなければならない始末。村人たちはたいそう困っておった。

ある日のこと、その村を一人の旅のお坊さんが通りかかったそうな。お坊さんは村人たちの話を聞くとゆっくりうなずき、自分の杖で地面をトントン叩きながら、お経を唱え始めた。

村人たちは顔をしかめ、
「奇妙なことをする坊さんじゃ」
「服もみすぼらしいし、頭がおかしいんじゃないのか」
とひそひそ話をした。
しばらくすると、
コポッ
コポコポ・・・
不思議なことに、地面から少しずつ水が湧き出てきたではないか。村人たちが息を飲んで見守っていると、みるみるうちに水の量は増え、澄み切った泉になった。
村人たちは跳び上がり、手を叩いて大騒ぎ。お互いに抱き合って泣く者もいた。

ようやく騒ぎが静まり、村人たちはお礼を言おうとお坊さんを探したが、いつの間にやら影も形もなくなっていた。
「あのお坊さんは、かの有名な弘法大師さまに違いない・・・」
誰からともなくそんな声が広がっていった。そして、村人たちは井戸をつくり、感謝の気持ちを込めてその井戸を「お杖の井戸」と呼ぶようになった。


西の滝の竜

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(↑ 秋と言えば竜!自分の中の怠惰と戦いつつ描いた)

今から1200年も昔のこと。池田の山というところに、2匹の竜が棲んでいました。家族も友達もいないこの竜は、毎日のように西の滝の村に来ては、田畑を荒らすのです。そんなわけで、作物はひとつも取れず、村人たちはとんと困り果てていました。

そんなある日のこと、一人のお坊さんが村を通りかかりました。荒れ果てた田畑を見たお坊さんが、そのわけを村人に尋ねると、
「わしらがなんぼ苗を植えても、竜のやつらが荒らしてしもうて・・・」
「もうどうすることもできん」
村人たちは涙を流して、そう答えました。
お坊さんは竜の居場所を教えてもらうと、村人たちが止めるのを振り切って、たった一人で山を登っていきました。村人たちは心配で心配でたまりません。

長い夜が明けました。鳥がさえずり、荒れ果てた田畑に朝日が差しました。その朝日の中を誰かが歩いています。お坊さんです。お坊さんは両手がいっぱいになるくらい大きなかめを抱えて帰ってきたのでした。
隙間から覗いてみると、かめの中には小さくなった竜が2匹。村人たちは目を丸くして顔を見合わせました。と、その瞬間、お坊さんはそのかめを崖の穴の中へ入れてしまいました。
「これでもう心配なくなったぞ!」
と村人たち。手を合わせ、頭を下げてお坊さんにお礼を言いました。

村人たちが、早速畑仕事に精を出していると、崖の穴の中から何やら声が聞こえます。急いでお坊さんを呼んで、もう一度耳を澄ませてみると、
「許してください。もう決して悪いことはいたしません。ここから出していただければ、これからずっと水不足にならないように、力をお貸しします」
お坊さんがかめを崖の穴から出して、かめのふたを取ってやると、2匹の竜は嬉しそうにおじぎをして、飛び去っていきました。そして、その後、かめの底から水が湧き出したのです。竜の言った通り、それからずっと水不足になることはありませんでした。

後になって、村人たちは、あのお坊さんが弘法大師空海様だったことを知り、この話を大切に語り継いできたということです。


五筆和尚

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(↑ 絵と一緒に、3カ月のまとめも書いた)

今から1200年も昔のこと。井戸が枯れた村では澄んだ水を湧き出させ、竜に荒らされた村でも人々を助けたお坊さん。名を空海といいました。
空海はまだ大学生でした。親に言われて大学に入ったものの、子どものころからの夢は、お坊さんになって人々を幸せにすること。勉強の合間をぬっては修行を重ね、困っている人を救い、仏の道を究めていたのです。

そんな若い空海の活躍は、遠く離れた殿様の耳にも入り、ついには唐の国で修行をすることが許されました。これは願ってもやまないこと。空海は迷うことなく唐へ向かう船へと乗り込みました。

ところが、船旅は決して楽しいものではありませんでした。船は大きな波に飲み込まれ、上へ下へとゆれ続けました。もう前へ進んでいるのか、後ろへ戻っているのか、今が昼なのか夜なのかさえわからなくなってしまいました。雷が太鼓のように腹に響き、稲光で目の前が真っ白になりました。船の壁に何度も体を打ち付け、いたるところが青くなりました。それでも空海はあきらめず、絶対に唐の国で学ぶのだ、修行をしてお坊さんになるのだと、強く強く念じていました。そのかいあってか、なんとか船は唐の国へとたどり着くことができました。

唐の皇帝は、はるばる海を渡ってきた空海に会うと、目を細めて言いました。
「ここに書かれた文字は、一部分が消えてしまった。お前に、この消えた部分を書くことができるか」
空海は、書の達人でもありましたが、一国の主の前で書をしたためるなんて、とんでもないことです。周りにいた者は、つばを飲みこむこともできず、空海をじっと見つめていました。

空海は、こんなのなんでもないというような澄ました顔をして、右手で筆をとったかと思うと、それを足の指に挟みました。もう1本とって反対の足にはさみ、また1本を左手に持ち、さらに1本とって口にくわえ、最後の1本を右手に持ちました。
「全部で5本だぞ・・・」
周りにいた者が目を丸くしていると、空海は5本の筆を同時に動かし、あっという間に5行の文を完成させてしまいました。

唐の皇帝は細い目をよりいっそう細めて喜び、空海を「五筆和尚」と名づけてたたえました。
こうして、空海は日本だけなく唐でも認められ、ありがたいお経を教えてもらうことができました。

今、日本にはたくさんのお寺がありますが、空海の建てたものも少なくありません。長い歴史を経て、今も大切にされているのです。


2年生にぴったり

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2年生にこのお話はぴったりだった。一緒に息を飲んだり、目を覆ったり、村人に感謝されるとちょっと照れたりして。五筆和尚の名前をもらったところなんて、拍手喝采でドヤ顔だ。「よっしゃー!!」って立ち上がって。
そんな彼らを見て、そうか、聖人は彼ら自身なんだ!と私の方が教わったものだ。
対する3年生は、そんな2年生を見てちょっと不思議そう。なんで盛り上がってんの?って。どうやら、自分自身のこととしてとらえる時代は終わった様子。もちろんお話を楽しんではいるけれど、旅をしたのは空海であって私じゃない、ということがちゃんとわかっているのだ。
でも、どちらの学年の子も、自分だったら・・・という気持ちを持っているのは間違いない。だって、このスケッチブック。いつもはこんなに丁寧に文字を書きたがらないもの。これは、書の達人でもあった空海さんの影響だと思う。

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