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「ゲーム脳」 の僕。 ③パズドラ編

書くべきエントリーシートが目の前にある。学生時代に一番力を入れたこと。リーダーシップをとって動いたこと。自分から組織を動かしたこと。

まるで自分のトリセツを書かされているかのように感じてくる。海外でボランティア活動をしたとか、ビジネスコンテストで優勝したとかいう大したエピソードは持っていないし、結局バイトやサークルの「なんとなく」の体験を使ってうまくこしらえなければならない。ここを押せばこう動く。役割と機能を求められて、まるで自分が、独自の属性やスキルを持っているのが当たり前かのようだ。

そういや、ESにゲームのことは書かないなぁ。ゲームは現実からの逃避だとかいう。僕らはゲームの非現実性を知りながら、現実かのように没入する。

これだけゲームに時間を割いてきたんだからもう仕方ないな、と言い聞かせながらキーボードを走らせカタカタ文章を打つのだ。

ところで、僕が人生において一番力を入れたゲームは、多分「パズル&ドラゴンズ」だろう。今や名前を知らぬ人はいない「パズドラ」である。このアプリとの出会いは、僕の人生を変えたのかもしれない。

● 中学3年生、 スマホと...

前回の記事で言及したように、中学生の僕は「ポケモン」にハマった僕は、ネットの沼に引きずり込まれてゆく。

ちょうどスマホが普及し、みんなが手に持ち始めた、それが中三の頃であった。普通の中学校であれば、バイクに乗ったり、いわゆるヤンキーに憧れるような時期であるが、ヌクヌクとした中学で育った僕にその文化はなかった。

駅でたまたま会った地元の友達に「おい、タイマン張ろうぜ」と言われてもガン無視していたら、不意打ちでヘッドロックをかけられて本気で息がとまりかけたくらいである。「まもる」に「ふいうち」は効かないのに...と「ゲーム(ポケモン)脳」で思いつつ、自分のいる世界のヌルさを思い知った。


閑話休題。そんな中三で流行りだしたのが、パズドラだった。手軽な操作でできるパズルゲーム、なんとなくみんな一回はダウンロードして遊んでいた。

僕は当時まだポケモンにハマっていたので、周りの友達がパズドラをしていてもあまり関心がなかったが、いざ一度アプリを入れてみると、ものすごいスピードで沼にハマっていった。そして、それはつまり、スマホアプリの罠、課金システムに搾取されていくということだった。

前回、野球のオンラインゲームで課金の悦びを知ってしまった僕だが、そんな奴がスマホアプリのガチャにハマらないわけがない。「魔法石」を求めて、ありとあらゆる手段でお金を集めていた。昼を抜いてお昼ご飯代を浮かせ、寄り道も一切せず、何かを買うときは、「これは魔法石いくつ分か」という指標で考えていた。完全にヤバい奴である。

最初は500円程度だった課金金額も、徐々にエスカレートする。
バレないと思っていた一万円を超えるキャリア決済の領収書を見た親に激怒され、google play カードで課金せざるを得なくなった。今考えると、データ上の架空のものに課金するというシステムに触れていなかった親世代にこれを突きつけたのはなかなかキツイ。当然その年のお年玉は没収されることになった。

そんな当時の僕らが、いったい何を求めていたかというと「ホルス」である。

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この「焼き鳥」を求めて僕らはガチャを回しまくっていた。一応パズドラの理解が薄い人に説明しておくと、リーダースキルの攻撃倍率が2、3倍が普通であったこの時代において、4倍というのは破格の攻撃力であったし、4色あれば発動できるというパズルの敷居の低さも魅力的だった。

というわけで、この「ホルス」を筆頭に、次々生み出される新しい強キャラを求めて、僕らの魔法石はガチャに吸い込まれていくのであった。

● 地獄の「猛炎の塔」 周回

これまでガチャ沼を中心に話してきたが、パズドラの沼はガチャだけに留まらない。そのモンスターを強化する、「経験値」と「プラス」が必要だった。モンスターを使うのにレベルマックスは当然で、HP、攻撃、回復力にそれぞれ+を99ずつ振った、「+297」を目指してダンジョンを周回することになった。

今のパズドラではこれらはかなり楽なのだが、当時は地獄のような道のりであった。当時学校でのスマホ利用は禁止されていたが、バレないようゲリラでくる経験値モンスターを集めにダンジョンを回すのは朝飯前で、授業中であっても必死に机の下で操作していた。そんな僕の成績が底辺までダイビングするのは当然であった。

そんな中でも、特に+集めが難関だった。+はダンジョンでドロップするのだが、あまり普通のダンジョンでは集まらない。
イベントでくる「テクニカルダンジョン+ドロップ率UP」と「テクニカルダンジョンドロップ率1.5倍」が重なる月曜日が勝負だった。その中でも「猛炎の塔」というダンジョンで、ほぼパズルをせずに敵を突破する、という方法が流行った。

そこで、月曜日が休みの日は、だれかの家に泊まるか、電話で話しながら、
徹夜で猛炎の塔を周回した。僕は徹夜が苦手で、滅多に朝まで起きていられることはないのだが、人生の中でも徹夜に成功したのはこの時くらいだ。それほどまでに、僕の「パズドラ熱」は高かった。

●  パズドラとの別れ

結局、高校進学後もパズドラにハマっていた僕であったが、他のゲームをやっていなかったかといえばそうでもない。「白猫プロジェクト」「にゃんこ大戦争」「テンプルラン」「ツムツム」といった、当時流行っていたゲームは一通りやっていた。
(スマホアプリはカセットケースなどの跡が残らないので、消してしまったものは大方忘れてしまった、悲しい)

そんなパズドラ中毒に陥っていた僕にも転機が訪れる。流石に高校生になり、周りもほとんど色気付く中で、ついに「デビュー」のときが来たのだ。部活に入ったことで、ある程度忙しくなってきたこともあり、ここでようやく教室でパズドラを開かなくなった。高2のことである。

ここから僕は遅れて来た青春を謳歌しようとするが、果たしてうまくいったのだろうか。

そして、高校生にしてようやく「ゲーム脳」を離れたかのように見えた僕だったが、その後意外な形でゲームとの再会を果たすことになる。この辺から次回は筆を進めようと思う。




※この記事での「ゲーム脳」とは、ゲームが脳に悪影響を与える、といった論説ではなく、「ゲームに人生の一部を支配されている」的な、ふんわりとした意味で使っています。



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