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「ゲーム脳」 の僕。 ①小学生編

2020年、夏。いよいよ就職活動が始まった21歳。突然、自己分析という、重すぎる課題が目の前に突きつけられる。


「ああ、ゲームしてえなぁ」

ふと思う。手元のスマホにはアプリがいくつも入っている。思えば僕の人生には、いつもゲームがあった。

僕が生まれた時代は、新しいゲームがボコボコ生まれてくる、夢のような時代だった。

幼稚園の頃は、ゲームボーイアドバンスを持っていた友達の、ポケットモンスター・エメラルドを羨ましげに眺めていた。そのせいか、ゲームを持っていないのにポケモンの大ファンだった。幼稚園でほぼ唯一覚えている記憶が、ポケモンごっこをして遊んでいた記憶である。僕はジュカインに成り切っていた。
土曜の朝はポケモンの番組を見ていたし、ゴルゴ所長はオクタンで無双していた。


そして、そのまま月日は流れ、小学生になる。

2年生の時に、ようやく親にゲームを買ってもらった。

そこから、今までの抑圧されてきた欲望が破裂した。ゲームキューブだった。初めてのソフトは、マリオテニス。学校帰りの時間だけでは足りず、どうしてもやりたかった僕は、姉と6時に起きて学校の時間までテニスをしていた。

その後、スマブラDX、どうぶつの森、マリオベースボール...と、ゲームの海へと溺れていくのは早かった。ゲームは一日一時間までだったが、必死にそれを破ろうとした。親が帰ってくる車の音を聞くや否や、電源を落としやっていなかったふりをする。しかし一部始終を見ていた姉により無事告発され、泣き崩れさえしていた。



● 「そんなゲームばっかりしていると、ゲーム脳になるぞ」


小学生のとき、耳が痛くなるほど聞かされた言葉である。だけど、ゲーム脳なんて怖くなかった。だって、こんなに楽しい世界はなかったから。

ちなみに、ゲーム脳とはwikipediaによると以下のようである。
ゲーム脳の存在には疑問がもたれているし、今となってはあまり見ない話である。
(僕の親が言っていたゲーム脳とはこの直接的な意味ではなく、ゲームのしすぎで頭が悪くなる、というような、もっとふわっとした意味であるような気がする)

森は、独自開発の簡易脳波計でゲーム中の脳波を測定する実験によって、「テレビゲーム・携帯電話のメール入力・パソコンといった電子機器の操作が人間の脳に与える悪影響」を見出したと主張している。ここでいう「脳に与える悪影響」とされるものを象徴的な言葉で表現したのが「ゲーム脳」である。(wikipedia)

当時の僕は、普通の小学生だったと思う。学校が終われば一目散に公園に行き、サッカーなり野球なりに打ち込む。水泳やピアノの習い事はあったけれど、何よりも遊びとゲームに命をかけていた。

そんな「ゲーム脳」の僕に、社会が次に与えたゲームは、ニンテンドーDSである。

携帯ゲーム機の金字塔となったこのハードは、僕の2006年を奪っていった
通信対戦、すれ違い通信、ボイスチャット。そしてポケットモンスター・ダイヤモンド/パール、パワプロクンポケット、マリオカート...
たくさんのソフトと出会い、時間を共にしてきた。

しかし、僕の「ゲーム脳」体質を気にかけていた両親は、やはり簡単にはDSを与えなかった。

小学生にとって、何かを買ってもらえる機会は少ない。誕生日、クリスマスの年二回だ。運が良ければお年玉を使わせてくれる。当然のように、何かの対価としてDSを求めなければならなかったのだ。


100マス計算を覚えているだろうか。縦横に書かれた数字を掛け合わせて計算する作業だ。当時毎日のように100マス計算をしていた僕は、親に交渉を仕掛ける。

「100ます計算をいちばんはやく、間違えないでクリアしたらマリオ買って」

親はなんとかこの条件を許してくれた。拒んでも無駄と判断したのかもしれない。

思えばこの時にはもう、「何かをクリアすればその対価としていいものがもらえる」という考えが頭に染み付いていた。
これこそゲームの特徴であり、ある意味「ゲーム脳」なのかもね。



時を戻そう。計算の凡ミスの多い当時の僕には、これはそれなりに難しいことだった。しかしゲームのためならなんでもする僕にとって、難しいのむの字もなかった。見事に目標を達成し、DSLiteニュースーパーマリオブラザーズを手にしたのだった。

勘の良い人はお気づきかもしれないが、僕がDSにハマったのは3,4年生の頃で、上のような攻防をしていたため、DS発売後すぐにはできていなかったのだ。

それでもその遅れを取り戻すかのようにゲームに没頭する。

当時の僕らにとって、ゲームは共通の言語だった。

初めて手に入れた100レベのポケモンは、公園にいた知らない人からもらったフライゴンだったし、コードフリークを持っている人は英雄だった。

そして、初めての女の子とのデートは、ヨッシーアイランドの攻略だった。

いかにもゲーム脳らしい発想である(笑)



さて、そんな子供時代を過ごしていた2006年、もう一つの名作が発売されている。

Wiiだ。僕らは外でDSで遊ぶ一方で、誰かの家ではWiiをしていた。
はじめてのwii、wii sports、パワプロ、wii fit、マリオカートwii、wii sports resort、wii fit、おどるメイドインワリオ...(wiiが多い)


様々なソフトが売れまくっていたが、1番思い出に残っているのは、このソフトしかなかった。




どこの家でもスマブラXをした。スマブラが強い奴がもてはやされた。転校生とも一緒にスマブラをすればすぐに仲良くなったし、何かを決めるときはスマブラで決めた。

そんなDSとWiiで盛り上がっていた子供時代であったが、5,6年生になると新しい種類のゲームが現れた。インターネットゲームである。


みんながアメーバピグをしていたし、野球部の友達とはオーナーズリーグをしていた。学校から帰ってくると、まずパソコンの前に座るようになった。


このような、家庭用ハードから舞台をインターネットに移した、10代の「ゲーム脳」を次回は記そうと思う。







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