お弁当宅配のお兄さん、ありがとう。
母の介護が本格的に始まった2016年、家の近くで長く和風手作りランチを出してきた小さなお店が、お弁当宅配を始めました。ワンコイン500円で、上品な家庭の味のおかずとたくさんの白米がぎっしり。
私は元々、ランチタイムにてお店には週二間隔で通っていて、店長である奥さんとはかなり仲良くして頂いていました。奥さんはその頃、60歳くらいだったかな。近くのマンションにお祖母さんと暮らす三十路の一人息子さんがいます。
そのうち、その息子さんが夜のお弁当のデリバリーをスタート。日曜が定休日で当日の17時までに電話をすれば、19時までにはバイク宅配してくれるサービス。
一度、痴呆症になった母が勝手にお弁当の定期契約の電話をしてしまい、心配してくれた息子さんが私に「お母さんに電話でお願いされたんですけど、これ大丈夫ですか?」と折り返してくれて。
毎日のように宅配をお願いするようになったのは2019年、私が新宿の大手ガス会社コールセンターにて派遣勤務をするようになってから。母が施設に入り、私は日々の生活費を稼ぐために必死で働いていました。母の高額な入院費用でできた借金もあり、とにかく無我夢中かつ五里霧中な毎日。
そんな頃でしたが、毎朝冷凍の白米にふりかけご飯を重ねていた生活に、唯一輝きをくれたのが、お兄さんの宅配弁当でした。
会社の中休みにお兄さんに電話をして、「残業が入るかもしれないので、ポストに入れておいて」とお願いすると、冷めないよう厳重に包まれたお弁当が帰宅後に待ってくれています。お給料日まで支払いを待ってもらった事も多々。
そして始まってしまった2021年からのコロナ禍、緊急事態宣言。
私は身体精神共に疲労困憊しきって、新宿のコールセンターを退職しました。感染危機も怖かったけれど、最大の理由は家の相続問題に追われ続けて何もかもが嫌になってしまった事です。日々、辛い労働を続けても明日に光を見出せなくなってしまった時期。
仕事を辞めてしまうと途端に人と会って話す日常もなくなり、私は毎日家を奪われる恐怖感に追い詰められて鬱状態に。勤務続きだった頃には不可能だった、海外ドラマを毎日徹夜で見続けたり、朝ドラをリアルタイムで楽しんだり。時には二日間何も飲まず食わずで一週間入浴もできず、寝込んでいる状態に。
そんな私を救ってくれたのが、お弁当宅配のお兄さん。給付金や少しの貯蓄はあったので、一日一食はなるべく彼が運んでくれるワンコイン弁当を夜に食べていました。
家の事情は全て話していたのでいつも私を心配してくれて、数日注文電話がかけられない精神状態になると、「大丈夫?何か持って行きましょうか?」とLINEをくれます。
時々、お店にパーティや大量の注文が入ると、「残り物ですみません、色々持ってきました」と唐揚げやサラダ、パスタを無料で分けてくれたり、ジュースやお菓子をたくさん差し入れてくれたり。ご飯もいつも多めに盛ってくれて、お願いするとプラス百円で大きなおにぎりを二個、つけてくれます。
「体調が悪くて、どうしたらいいかわからない」とLINEを送ると、2リットルペットボトルに暖かいほうじ茶をたくさん入れて、お弁当メニューとは別の、お兄さんが焼いてくれたお好み焼きや、親子丼など作って届けてくれた夜もありました。「裏メニュー」と私が呼ぶ、私のためだけのカレーライスや、三食ご飯、うどんなども美味しかった。
お兄さんが風邪を引いた時には、お母さんである奥さんがオムライスを届けてくれたりして。その時のオムライスにはケチャップで「LOVE」と書かれていました。あの優しい味は忘れられない。
また別の日には、お母さんと大喧嘩をしてしまったお兄さんが仕事をストライキしてしまい、それでも私だけに特別、自腹でオリジン弁当を買ってきてくれたりもしたんです。お詫びのおにぎりとお菓子付き。
一番嬉しかったのは、当時大ブームが巻き起こった「鬼滅の刃」や、私が毎週心の支えにしていた「ウルトラマンゼット」など、アニメや漫画、特撮の話が濃厚に語り合えた事です。週刊少年ジャンプを何度も買ってきてもらったり。
誰も話し相手がいない孤独な頃、私は本当に彼に支えられて助けられ、なんとか生き延びていました。誕生日にはケーキをプレゼントしてくれたり、私もバレンタインチョコレートやクリスマスプレゼントを渡して。お互いの家庭環境について愚痴ったり、既に家族と言っても差し支えがなかったかもしれません。
お兄さんは私に、肉親よりも血の繋がらない他人こそが、命や心を救ってくれると教えてくれた人なのです。
ほぼ二年、そんな生活を過ごしていましたが、さすがに私も毎日のお弁当の味に飽きてきてしまい、少しずつ自炊を始めます。これが後に私のライフスタイルを大きくポジティブに変革する習慣になるのですが、段々と料理の腕が上がって、それなりの味を出せるようになったんですね。
最後のお弁当注文は、おそらく2021年の一月だったはず。
「自宅を売却する事が決まってしまったので、もうお弁当を頼めない。今まで長くありがとう」とお兄さんに別れを告げた寒い夜。振り返れば、私はあの時に自殺するつもりで、彼にお礼を言ったのだと思います。
なんと言えばいいのか……、死ぬしかないとどんどん思い詰めて悩む日々で、醜く歪んでいく私を、彼には見て欲しくなかった。楽しい笑顔だけ記憶して欲しかったんですよね……。
以来、彼とは全くLINEもせず連絡も途絶えてしまいました。私はそれから一年半、自炊生活で料理の腕を上げつつ、家庭裁判所や司法局へ一人で往復し、結局は生まれ育った自宅と土地を断腸の思いで売却。
現在は元実家から徒歩五分の同じ地域のマンションにて暮らしています。
皮肉な事に、お兄さんのお店により近い場所に移り住んだのですが、私はいまだに彼に再会できなくて。余りにも辛く苦しい時期を重ねてしまったので、毎日死ぬことばかり考えていた自分を思い出してしまい、気軽に会話ができない状態なのです。
ただお兄さんと私のLINEはまだ繋がっているので、日記として書いている共有デイリーは見てくれているはず。きっと彼も私の複雑に混ざり合った過去と、どうにもならない実家との哀しい別れを汲んでくれていると思うんですね。私もずっと、毎日のように撮影し続けたお弁当の写真を消去できないでいます。
今月末、お兄さんのお店がランチと夜の飲み屋として綺麗にリニューアルします。焼き鳥も始めるようで、玄関にて慌ただしく作業をするお母さんをよく見かけるようになりました。二人とも、嬉しいだろうな……、と遠くから眺めています。
もう少し自分の中で過去を整理して、きちんとお兄さんに向き合えるようになったら、開店祝いのお花を持って行こうと考え始めました。ただ、もうお弁当を頼む日が戻らないのは心苦しいのですが。それもきっと、再会に踏み切れない原因だと思います。まだまだ私が絶望から完全には立ち直れていないので……。
しかしながら、同じ街に住む近い世代として、お兄さんとはこれからも未来を共有していきたい。そして今この日、私が前向きになんとか生きられるようになったのは、あなたが運び続けてくれたお弁当と愛情なんだよ、心からのありがとうを、笑顔で伝えたいです。
その後のお話↑
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