書籍『タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源』
ピーター・ゴドフリー=スミス (著), 夏目 大 (翻訳)
出版社 みすず書房
発売日 2018/11/17
単行本 312ページ
目次
内容紹介
レビュー
透明で綺麗なホヤの写真をネットにて漁るのが好きです。
見た目だけではなく遺伝的にも人間に近いためか、ホヤにはとても親近感があります。
しかしスーパーやデパートにて「ちくわ」が売られているのを見ると、「人間」や「ホヤ」が売られているようにしか見えず、せつなくなります。
というのも私にとってはそれら(「人間」と「ホヤ」と「ちくわ」)は、非常に近しい形態をしている……、分かり易く言うと「上下に穴(人間で言うところの口と肛門)を持つ筒状の形態を基本として成り立つもの」であり、ゆえにほぼ同じものとして見えてしまう(知覚してしまう)わけです。
ホヤ ⇩
ちくわ ⇩
で、本書の主役であるタコなのですけれども、タコという生命体は、実はホヤよりも遺伝的には人間からかなり遠い存在で、端的に言うと「違う進化の過程を辿った生命体」であるのですけれども、しかしながら個人的にはかなりの親近感があり、それはたぶん「ウネウネと動くもの(足というか、腕というか……)」を、双方共に複数本保有し「胴体から生やしている」からであるように思います。
タコは水中(水の流れのある海の中)にて8本、人間は水の無い陸上(空気の流れ有り)にて4本を使用し、移動や食事等に用いている点にて、なにやら深い共通点があるように感じるのですけれども、それはもしかするとタコの方ではなくホヤの方に進化した私たちの祖先が、岩にくっつきながら、目の前を颯爽と泳いでゆくタコやイカを見ながら「あぁ、私達もちょっとアレ欲しいよね、あの移動できるようになるヤツ」みたいな感じで念じたことにより、若干のそういう部分を体に生やして、その後岩にへばりつきつつその岩を移動するようになり、さらには海と陸との境目あたりでモゾモゾ遊ぶようになり(大気圏のあたりで宇宙ステーション作ってふわふわ遊ぶ的な)、で、そのうち少しずつ体の上下の口を閉じ、その中に海水を入れた状態を保ち陸上にて短時間過ごせるようになり、(中略)、やがて海水を血液として体に循環させることを可能とするようになって陸上生活が可能となった(ゆえに比較的初期の哺乳類の形態を持つネズミは足が短い)という……。
何が言いたいのかといいますと、人間とタコは遺伝的には離れており、生活拠点も海と陸とで違いますけれども、脳味噌とウネウネの使用法では深い共通点が有るように思われ、そういった点である意味(生存戦略的には)「近しい」存在なのではないか、ということです。
最初の大きな分かれ目として「水中を泳ぐ方向性」を選択したか、「余り泳がずに地面にへばり付く又は這う方向性」を選択したかで、遺伝的には大きく枝分かれましたけれども、別の方向性、すなわち脳味噌とウネウネを進化させた点においては共通している可能性がある、と思うわけです。
ただ本書を読むと、タコの方が明らかに人間よりも優れた生命体であるということが身に染みてわかりますし、途中から「人間とは最早タコの劣化バージョーン(パチモン)でしかないのではないか」とさえ、思ってしまいました。
だってウネウネの動きはぎこちないし(4本しかないのに)、肌の色は意識して変化させることは出来ないため肌に有害なコスメを塗りたくってみたり(しかも淡色で変化させることも出来ないくせに自分と違う色であるということを理由に他人を差別する人も多いし)、ウネウネが千切れたりもげたりしても再生することはできないし、脳味噌に至っては1つしかないし、無駄な殺し合いはするし……、必要以上にガバガバと食べ過ぎて本来死活問題であるはずの「移動」機能を困難にしてみたり……と、もう本当に一生命体として「しょうもない」というか、「お粗末」というか、「何がしたいのか全くわからない」というか……
そんなこんなで「タコを知ることにより人間を知る」時間となりました。
※パチモン
本書の著者は、そのような残念な生命体である人間の中では上位の知性を誇る「哲学者」であり、生物学者ではないためか視点が多角的且つジャンル横断的で、それゆえにまるでタコが8本の足を八方(あらゆる方向へと縦横無尽に)操るように、自由自在に知識と情報を操り、その知性(生態)の豊かさを披露してくれます。
題材良し、著者の頭も良し、ゆえに書籍の出来も良し。な、素晴らしい一冊で、とても×2楽しめました。
※味わい過ぎて気付けばレビューを記す時間がほぼ無かったため、いつか読み直してまたゆっくりと記すかもしれません
最後に
本書冒頭にて引用されている、ウィリアム・ジェームズの言葉を引用し、レビューを〆たいと思います。