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食について思いにふける日常。どこまでオーガニックで生きていくか?
タロットのワンオラクルでマイナーアルカナばかりを引いてしまう毎日。
そんな中でも少しだけだが、自分の中で理解が追いついた。
自分の中のバランシングが終わらないと、
進むことも何も進まない、ということ。
食生活において何をどう進めていいか困惑しながら進めていて
いまだに答えが見えていないことが
バランシングが終わっていない、ということに拍車をかける。
オーガニック系食品の店はどこか、など考えが逡巡していた。
まぁしかし、大アルカナを引けない期間がずっと続いているが、
それでいいのかもしれない。
「今のままじゃまずい」ということに気付かされることが一番大事だから。
オーガニックを探すよりまず自分を改める
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ある日、仕事中に調べたら
「白胡麻よりも黒胡麻の方が栄養価が高いらしいぞ!」
ということに気づく。どうやらブラックフードというもので
黒いものは栄養価が高いという説で成り立っているもの、らしい。
初めて知った。
黒以外にも紫キャベツみたいな紫色も良いらしく、
他にもキノコ全般、黒豆や紫キャベツも良いとのこと。
つまり「黒」中心に食材を選べば良いのだな、と理解した。
白胡麻は胡麻を剥いた後だとか。まぁ玄米と同じ理屈だろう。。。
オーガニックスーパーがどこにあるか探しに行くより
まずこっちから切り替えていくか…。
まず手に届く範囲で、変えられるところを変える。
少しずつ変えていったら、いつか欲しいと思うようなものが出てくるだろう。
動物性以外に活路を見出すには
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最近になって出汁の取り方も変えることを思い立ったが、
ヴィーガンの人は出汁をどうしているか、
という疑問を持っていた。
調べてみて、その回答が分かった。
昆布と一緒に干し椎茸を使う。カツオだしが使えない、となったら
この干し椎茸でも十分かもしれない。
今今カツオだし、煮干しを採用しているが、
ストックがなくなったら干し椎茸に変えるかもしれない。
動物に思うこと
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最近は肉類を食べるとお腹を下すようになって、いくつか思うことがある。
自由に生きていたい動物を
人類の食事のためだけに生ませていると考えると、
気持ちが晴れない感じもした。
なにしろせっかく製造したのに関わらず
食料が余ってるって言って廃棄したりしてるんだから。
肉を食べたいからと言って家畜は屠殺の運びになるが、
その風景がどうにも悪魔の所業に見えたりした。
選択の自由を奪うし、危害を加えているし。
屠殺前の動物は、生命の危機から来るストレスを感じた上で食肉に加工される。
当然その負のエネルギーは食べたら入ってくる。
そりゃあ、そんなものを食べてる人類はストレス感じるし病気になるだろうよ、と。
ただの肉の塊じゃないのだ。
動物愛護団体に全面的に賛成するとかでないが
野菜や山菜類中心の生活が安定するように感じる。
終わりに
いつからか私たちは「食べ過ぎ」で
「たくさん栄養価を摂るため」という大号令のもと
肉や魚を食べ続けるようになった。
いわゆる食の欧米化というやつであろう。
肉というのは食べ過ぎなければ、
あるいは質の良いものなら良いかもしれない。
いきなり肉を無くすとか辛いと思うし、
極端になりすぎることはないと思う。
ただ、日本も肉を食べたのは明治くらいからだと思うので
本来は一汁一菜くらいがちょうど良いのかもしれない。