PSW、適応障害になる#3
放課後等デイサービスから晴れて念願の就労移行支援に異動したものの3ヶ月後くらい何も分からないのに管理職になり、板挟みで休職を決意したPSWの私。
#2で休職を決意し、
次の日は実家に行き、大親友と母に改めて休職の話をした。
母は案外落ち着いて話す私に以前の精神科病院に比べれば大丈夫だと安心した様子であった。
その場の勢いで休職のために必要なクリニックの受診予約も入れた。
こんなこと書くのは差別だと言わないでほしい。
正直、私は精神科の門を患者として叩くのが恐ろしかった。医者の不養生、ミイラ取りがミイラに。
この件に関しては母の
勉強だと思って行ってきたら?に救われた。
私自身が診てもらう側になって感じる気持ちもあるし、メンテナンスだと思う気持ちで行けば、同じように抵抗のある人にも伝えることができるのかと。
本格的に休みに入った1日目としてはまずまずな滑りだし。
意外と落ち着いているな?自分と思っていた。
2日目に唐突にやってきた。
1人の時間。
訳もわからず泣いていた。
いや、訳は分かっていた。
正直、病院を含めると確実に環境に適応しなかっだのは2回目。
今回は予兆がなかったといえば嘘になるがまだ頑張れるだろう、と思ってたら矢先に自分としてはこんなに無理だったのかというショックと
なにか負担になる業務量を任されていたわけでもないのにつぶれた自分の弱さにショックを受けて、涙が止まらなくて仕方がなかった。
それでもクリニックは行った。
初めて、医者と患者という立場で診察を受けた。
コンビニレジ感もなく、じっくりとにかく聞かれるでもなく。ちょうど良く終わった。
適応障害で1カ月休職の診断書が出た。
涙は 出なかった
診察室を出て、受け付けでまたブワッときた。
自分の家に帰って、また気がついたら泣くを繰り返し、自分の今のおかしさを思った。
つづく
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