父親のメダカ
去年のことだが父親が亡くなったので、実家を処分しなくてはいけなくなった。
ありがたいことに昔の伝手を頼ってよい不動産屋さんにお任せすることができて、家の売却はすんなりトントン拍子に進んだ。売りに出してから買い手が見つかるまで2カ月もかからなかったと思う。
買い手が決まったので家の中をきれいにしなくてはいけない。父親は入院する直前までひとりで暮らしていた。潔癖症のケがあった父親は、身の回りの物を常にきちんと片づけていたが、それでも家の中は生活がプツンと途切れて一時停止しているような状態で、物があふれかえっていた。
不動産屋さんから家の明け渡し期限として提示されたのは8月の下旬だった。死を身近に感じるほどの暑さの中、実家じまいが始まった。弟と、私の夫も作業に参加してくれた。みんな仕事があるので片づけに行けるのは週末だけ。全4回くらいでなんとかしないといけない。なかなかのハードモードだったと思う。
最初のひと部屋だけは丁寧にゴミと必要なものを分けたうえ、ゴミも、燃える/燃えない/雑誌類くらいに分別してまとめていたが、無限にわき出るハンガーと紙袋でみんなの心が折れた。元から業者さんを頼むつもりではあったので、もうすべてお任せしましょう、という方針へと早々に切り替え、以降は各部屋の金目のものだけ漁って持ち出した。
家の中はそんな感じでどうにか目途がついた。問題は家の外にあった。父親は庭に大きな睡蓮鉢を置いてメダカを飼っていた。入院前、父親は、なじみの床屋さんにメダカを『あげた』と言っていたが、父親の入院後、私があいさつに伺ったときの床屋さんの感覚は『あずかった』だった。そりゃそうだろう。父が亡くなってすぐ床屋さんへ挨拶しに行き、落ち着いたらメダカも引き取りますので……と、とりあえずの現状維持をお願いしていたが、いよいよどうにかしなくてはいけない。どうしよう。
片づけが始まってすぐくらいから、夫と弟、両方から「どうするの」とたびたび聞かれたが、わたしは「うーん。。。どうしようかねぇ。。。」と濁した。濁したというか、本当にどうしていいかわからなかった。我が家にもメダカはいるので、自宅で引き取るしかないのかとも思ったが、人ですら死にそうな暑さの中、家まで二時間半かかる距離をメダカに耐えてもらいながら運ぶのは、なかなかのひどい所業に思えて決断できなかった。
そんなかんじでのらりくらりしていたら、あっという間に家の片づけの最終日になった。金目のものはすべて運び出して、最終日はまぁまぁ気楽な感じで自分たちの家に持ち帰りたいものの梱包を進めた。自宅宛の宅配便の集荷も終わり、残っていたゴルフクラブを売りに行くことにした。弟の車でこんなところ誰が来るんだってくらい山奥にある中古ゴルフクラブショップへ連れていってもらう。ゴルフクラブは古すぎて値段がつかないものばかりだったが、一応引き取ってもらえた。
よかったよかった、と実家へ引き返す。いよいよメダカをどうにかしなくてはいけない。翌週には業者のゴミ回収があり、その次の週には売り手への引き渡しでもう二度と家には入れなくなる。この日がメダカの処遇を決めるデッドラインといってもよかった。
「どうすんの」
運転しながら弟が私に聞く。
「うーん……どうしよっかな。もうおまえんちの猫に食わせちゃうか」
私が答えた。
「うちのコたちにはちゃんとしたモノを食べさせてますから、そんなモノ与えられませんの」
「……野良猫出身のくせに」
「……あそこの池に放っちゃおうかな」
少し考えて私が言った。
「あー。まぁ、いいんじゃない。池ならそこからどこかに流出することもないし」
弟も消極的な賛同の意を示す。
「……ひどい会話だ」
血のつながらない夫だけが、ひとり恐々としていた。
実家に戻った。夫や弟が残りの細々したものを片づけている横で、私は床に寝そべってスマホをいじっていた。
最後の頼みの綱で、メダカの引き取り募集をジモティへ投稿してみたのだ。鉢や水や水草ごと、今すぐ引き取りに来られる方、という条件で。
難しいだろうなぁと思いながら何度かページを更新する。……と、コメントがついた。
「まだ引き取り募集していますか?今から行けます。どこに行けばよいでしょうか?」
ガバリ。起き上がり、弟と夫に向かって大きな声で言う。
「見つかった!メダカ、今から引き取り来てくれるって!」
それでは20分後、この住所に集合で、とジモティのコメントでやりとりを終わらせ、床屋さんに電話する。
「メダカを引き取ってくれるという方が見つかったので、すみませんが、今からお邪魔させていただいてもよいですか? そのまま持っていってもらうことになったので、何もしなくて大丈夫です」
床屋さんはえ、そうなの? と急な話に驚きつつもどうぞ、と快諾してくれた。弟の車に乗って床屋さんへ向かう。
私たちのほうが先に床屋さんへ着いた。家のインターホンを鳴らそうと門に入ると、床屋さんのご主人がホースを持って立っていた。
「あ、こんにちは~すみませ…ん、とつぜんに」
ご挨拶しながら足元に目をやって一瞬言葉に詰まってしまった。
メダカの睡蓮鉢が今まさに洗われようとしていた。メダカたちは小さい壺に移されていた。せっかくの安定した水質を証明する、きれいな緑色した水がほぼ捨てられていた。
オーノー。引き取りは「そのままで」が条件になっているのに。何もしなくて大丈夫といったのに。なんでみんな人の話を聞かないんだ。遠慮とかじゃないんだ。本当に大丈夫なときしか私は大丈夫って言わないんだ。どうか世界中の人が私は遠慮とかしないタイプだって知ってくれますように。
「あ、あ、もう大丈夫です、そのままで、本当に、そのままで、そのままで引き取ってもらえるので!」
「だいぶ汚かったから、鉢の底にある砂利を洗おうと思ってるんだよ」
「いえ!!!!!そのままで!そのままで!!!」
「そう……?」
どうにか止めているうちに引き取り手のかたが車でいらっしゃった。
「あ、こんにちは~」
「こんにちは~ありがとうございます~」
現物を見てもらう。
「はい、ありがとうございます。大丈夫です」と言ってくださったのでみんなで手分けしてお相手の車にメダカと鉢、それからエサなどを運んだ。
引き取り手のかたは、早期リタイアした風のご夫婦だった。古民家カフェを開こうと思っていろんなものを準備されているそうだ。父親のメダカともども、うまくいってほしい。
あっというまに引き取りは終わった。引き取り手のかたを見送り、床屋さんにも丁寧にお礼をいって、また弟の運転する車に乗って実家へと戻った。
「ハーよかったよかった。片がついた」
私がいうと、弟が
「オヤジだな。”このままじゃホントに猫のエサにされる"って焦ったんだろ」
と返した。
「ふっ。そうかもね。なんにしてもよかった。なんとかなったわ」
まったくの『無』の状態から、ほんの1時間たらずでメダカの行き先を決めてすべて終わらせた。ある種、奇跡みたいなことをなしとげた直後のはずなのに、ゴルフクラブを売りに行ったときとあまり変わらない調子で、ただ『片づいたね』『よかったね』という雰囲気の会話をする私と弟を見て、また夫がつぶやいた。
「なんだこの血縁……」
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