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ある日記「キリンに雷が落ちてどうする」2025年1月20日

 僕が日記を書くのは話す相手がいないからだ。不定形の心象風景を誰の決めつけも通さずにそのままにしておきたい。「なにそれ」と言われるだけで無かったことにしてしまいたくなるような思いを文章として残しておきたいのだ。
 芸人として生きると厳格な市場原理に衝突する。大勢が深く笑ってる方が絶対に良いというルール。笑いを通貨として巨大な経済が現出する。嘘偽りのない成功と失敗が劇場には存在する。すぱっと決定される「笑わせたか」という勝負を僕は気に入っている。
 芸人としての生き方を身体に沁み込ませていくと、かつて話せなかったことが面白く語れるようになると同時に、生活の中で拾い上げた情感を捨てていく癖がつく。観客に受けないものは市場に並べられないからだ。
 しかし、何年も同じように繰り返した挑戦を挫かれ続けて思った。「今、生きていること」を垂れ流して、捨ててしまいたくない。メジャーになるという結果を支える下積みの一角に置いておくなんて真っ平ごめんだ。全ての情動を形に残したい。可能なら誰かの心を動かしてみたい。
 そして、日記を書き始めた。予定されていたように言葉が出てきた。そういえば話すよりも読んできた人生だった。これなら語れると思った。
 日記を書くようになって驚いた。こんなにも通り過ぎていたのか。書き始めてからも、書いても書いても書けずに忘れてしまう日々があった。書けないのは正しい言葉を知らないからでもあり、正しい時間の使い方をしていないからでもあった。小さな小さな忘れ得ぬ時間を脳みその引き出しに仕舞う格好で捨てていたのだ。
 僕はあとどれだけのことを書き記せるだろう。「生きているんだ」と文章に叫ばせられるだろう。時間の流れはあまりにも速い。生きることはあまりにも多い。

僕か、と思った。全然俺じゃない、とも思った。


どんどんと小さくなったカントリーマアムの背中がさびしそうです

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