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ある日記「方舟」2025年1月26日

 教室は静まり返っていた。ある一人のクラスメイトを保健室登校に追いやった責任が問われていた。クラスの誰もがガキ大将の謝罪の言葉を待ちながら、自らのこれまでを振り返った。殴る蹴るなどの明確な暴力が発生したことはなかったが、ひ弱な少年を無碍にする雰囲気はあった。「キモいんだよ」といった直接的な言葉が投げかけられたこともあった。しかし、使う語彙の心的殺傷性がエスカレートするのは、子供の喧嘩の常だと認識していた。つまり見て見ぬふりをしたのだった。やはり誰もが加害者であった。
 数刻に一度、教師は意見を求め、沈黙を破った。自分に話が振られるのではないかとびくびくしながら、終わりの可能性が浮上することを喜んだ。机に目線を落としながら、「お前らが何が言えって」と無言の擦り付け合いに参加した。誰かを糾弾して争いに巻き込まれるのは御免だったが、全てを丸く収める方便を思いつくほどの知能はなかった。チャイムが鳴るのを待っていた。
 がらがらっと椅子を引く音がした。最前列で、最も廊下に近い、角の席に着いていた生徒が立ち上がっていた。生徒は「あいつ保健室にいるんだよね?」と教師に尋ねると、扉を勢いよく開けて、階段を駆け下りて保健室に向かった。大勢の生徒が追随して保健室に押しかけた。保健室でベッドに横になっていた少年は何のことだが分からずにクラスメイトの謝罪を受け入れていた。
 少年を伴って教室に戻ると、クラスの半数以上が教室に残り、机を見つめて座っていた。話し合いが開かれた原因である道徳的問題は解決していなかった。クラスは精神の成長によっていじめを乗り越えた訳ではなかった。一人のドラマティックな言動で半不登校の少年が保健室から引き摺り出されたにすぎなかった。しかし、状況にこれ以上の進展が望めなくなったために話し合いは解消された。
 僕は有頂天だった。教室を最初に飛び出した生徒は僕だった。いじめに参加している意識が全くなかった上に、同級生を救済した自分というヒロイズムに酔っていた。保健室登校していた生徒のみならず、いじめ問題に潰されそうになっていた教室の生徒を一挙に解放したのだと思っていた。
 それから保健室登校していた生徒と遊ぶようになった。放課後、区民センターに集まって、ガンプラを教えてもらった。作ったガンプラを貰い、自宅の学習机に飾った。今でもジップロックに入れて引き出しにしまっている。
 この思い出が蘇る度に僕は無力感に襲われる。なぜならあのとき僕を立ち上がらせたのは良心ではなく正義感だったからだ。「正しい」という快楽に身を委ねた結果だっだからだ。正義は心を昂らせ、視野を狭め、問題を放置させる。正義は清濁併せ持った良心によって満たされなければスタイリッシュな暴力衝動に過ぎない。
 僕は今でも自分に問いかけ続けている。あの時、救われたのは誰だったのか、と。

腑がひっくり返される結末。


三つ首の頭同士が喧嘩する「寝返りうつときひと声かけろ」

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