18才の猫が死んで
2020年にはいって、猫が2匹死んだ。親族で飼われていた猫だった。
3歳で父子家庭になり、父方の親族が「家族代わり」になった。祖母、祖父、伯父、伯母、従姉妹、猫2匹。母がひとりいなくなっただけなのに、何倍にもなって返ってきた。
3〜8歳までお世話になったので「実家」と呼んでいる。
実家にいると視界の端には、必ず猫が丸まっていたり、窓の外をみていたりした。いない日常が訪れると、ソワソワする。そのくらい「いるのが当たり前」だった。
2匹とも18才だった。1匹めはクロ。2匹めはミーコという。名前の由来があったのではないかと聞いてみると、とくに意味はないらしい。
実家には、わたしが生まれる前から猫がいた。黒猫には「クロ」。三毛猫かどうかは関係なく、メス猫には「ミーコ」と名づけていたそう。シャム猫のミーコもいた。ほかにも、ゴンという脱走癖のある猫も。ブチという猫もいたらしい。
クロは、わたしが6歳のころに実家にきた猫で、玄関を出てすぐ近くにあるゴミ捨て場の中にいた。
現役の職人だった祖父がみつけ、餌を与えていた。少しずつ懐いていき、玄関までヨチヨチついてきたのが、家族になった理由だ。
クロは死ぬ間際まで、祖父の膝のうえが定位置。1日の大半をそこで過ごすので、祖父の足が悪くなったこともある。「足に悪いから、クロをおろせ」と家族に注意されても、素直に聞こうとしなかった。
祖父は97歳になる。膝のうえにクロはいないのに、死んでしまった翌日からケロリとしている。寂しさを隠しているのか、忘れてしまったのかは、わからない。
ミーコは、通学路の途中にある階段の下に捨てられていたそうだ。悪ガキにちょっかいを出されていたのを、当時小学6年生だった従姉妹がひろった。キャットフードを食べられるサイズに成長していなかったので、祖母がミルクをあたえ、エプロンの中であたためながら育てられた。
食が細いクロとはちがい、ミーコは暇があれば食べているデブ猫。とくに、缶詰やチュールに目がなかった。普段はまぶたが垂れさがった顔をしているのに「その顔、どこから持ってきたの?」と思うくらい、キュルりと瞳をうるませ、小さく「にゃあぁぁ」という。
次第に、寝ているミーコをみる機会がふえた。テーブルから窓に飛びうつろうとする時、呼吸をととのえ、力をためて、タイミングを見計らわないとジャンプできなくなった。遊んでもらえなくなった「猫じゃらし」は、摘んできたただの雑草だ。
ある日「ずいぶん吐いているな」と、気がついた。毛玉を吐いているだけだろうと思ったが、気がつくと痩せていった。病院に連れていくと、ガンだと診断された。昨年とくらべると1kgも体重が落ちていたのに、お腹にはビーカーがいっぱいになるくらいの水が溜まっていたそうだ。
と、ミーコの最後に立ち会った伯母が、眉をひそめながら話す。
この感情を、うまく文章にできない。取り返しのつかない失敗をしてしまったような、元にもどらない大切なものを壊してしまったような、そんな気分になる。
時間がたつのは早い。父が亡くなってから、今年で13年になる。
行方知らずになった母と最後の電話をしてからは、8年。当然のように私も歳をとるし、周りの人間も歳をとる。数多くの別れにも立ちあった。
▲私の母のはなし
伯母が「クロの写真はないか?」と聞くので、写真を探していたら、たまたま昔の写真をみつけた。
ちょうど、私が歩きはじめたころ。従姉妹も、遠い親戚の子供も小さかった。みんな若い。親族の家には人がよくあつまり、賑やかだった様子が、写真にはうつっている。
父はもちろん生きていて、男ざかり真っ最中。表情から「俺はまだイケてるぜ感」がでている。マレーシア人の母もまだ日本にいて、親族たちとも交流が深かった。膝に抱えられるくらいのサイズの私を、あやしている。
祖母の髪はまだ黒いし、腰も曲がっていない。同じことを何度も言わなくても、通訳をはさまなくても聞きとれただろうし、トンチンカンな話も急にはしなかっただろう。プレゼントを贈ると喜んではくれるが、数日もするとしまった場所を忘れてしまう。
祖父の顔は、97歳らしいゆるんだ顔はしていない。何かにつかまらなくても、立っている。痴呆がはいったせいで「厳格な職人らしさ」はなくなった。「丸くなる」はいいことでもあるけど、それを通りこして「エロ爺さん」っぽい発言をするので、ヒヤヒヤさせられる。昔はよく怒られたし、車で送りむかえもしてくれたのが信じられない。
伯母は、腰が痛いだの、肩が痛いだの、しょっちゅう不調にも苦しまなかったはず。腰の痺れを緩和するために、薬を飲むこともなかったはず。おまけに「死」を冗談まじりで使うのもなかった。
外出自粛中に片づけをしたらしく「スッキリしていいじゃない。気分も晴れるよね」と言ったら、「遺品整理よ。終活、終活!」と返された。長生きしてくれないと困る。
伯父は、無口で優しい性格は変わらないけど、頭のてっぺんが寂しくなってきた。酒量も増えている。彼のプライドを守るために詳しいことは言わないが、お酒のトラブルが目立つ。孫が生まれるかもしれないのだから、酒量は控えてほしいところだ。
でも、よく笑うようになった気がするし、昔よりも関わりやすくなった。家に住みついたノラ猫がいるのだと、「見せて」と言ったわけではないのに、黙ってスマホの画面を差し出してきた。
中学高校までは、実家にある横幅180cm近くある木製のテーブルを埋めるくらい、人が集まった。今はそんな機会はない。
話し声があっちから、こっちから。同じタイミングに話しかけられ、どれに答えていいか迷ってしまうくらい賑やかで。私は家族ではないけれど、家族として迎えいれてくれる空間に、シンっとした静けさが今はある。元旦には伯母の実家にいくのが恒例行事だったのに、もう訪ねる人がいないから、行く用事もない。
ひとり欠け、またひとり欠け、またひとり欠けていく。
唯一よかったなと思うのは、父を早くになくしたこと。母とあまり思い出をもたずに、別れたことだ。
腰が曲がり、歩けなくなり、頭は真っ白になり、娘を忘れられる虚しさを経験せずにすんだ。親族でさえ虚しくなるなら、親なら何倍にも虚しくなるだろう。親をなくすのは悲しい。でも、老いていく姿をゆっくり眺めるのもまた、つらい。
という話を夫にすると「説教になってしまうんだけど」と前置きされ、
『老いを虚しく思う気持ちは、仏教的には執着になる。煩悩の一種なんだよ』
と、言った。スキンヘッドだけに、なんてお坊さんらしいこと......。
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