《書評》AIによる激変の時代に備える│「生成AIで世界はこう変わる」今井翔太
昨今、生成AIが凄まじい。我々の生活に確実に影響を与えだした、この画期的なツール。一体、世界をどのように変えてしまうのか?本書は、東京大学松尾研究室に所属している、工学博士の著者による、AI論である。
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皆さんは、「Detroit Become Human」で仮想されたような、AIロボットが人間と同じように街中を歩く社会が実現すると聞いたらどう思うだろうか?
「近代の情報技術の急速な発展により、段々と感覚が麻痺してきたので、何も驚かないよ」という人もいるだろうが、大抵の人にとっては異常事態である。つまり、ここで示されているのは、それこそ「ドラえもん」のようなロボットが実現してしまうという事である。
しかし、これは極めて現実的な未来予測である。著者が言うには、AGI(汎用性AI)が実現するのはほぼ確定的であり、それが五年後なのか十年後なのかが現在の議論の対象となっているという。
さて、そうなった時の事を想像してみよう。人類は確実に大変なタスクから解放される。料理はAIにやらせる。洗濯も、掃除も。そんな事が出来てしまったら、果たして人間は何をして生きていけばいいのか?創作だってAIが人間よりクオリティの高いものを作れてしまう。それで、一体、人類に何が残るんだ?
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この本の中で、現在のAI技術について議論してる箇所について。一言で言うと、「おおよそ予想の範疇」である、という所である。例えば、2013年の研究では、AIによって代替されるのはルーチンワークと予想されていたが、2023年の「GPTs are GPTs」という論文では、むしろ高学歴層の知的労働が代替されると予想された、という事が書いてある。
これは、最新の論文でもそのような事が言われてるという確認の分には有意義だが、しかし、生成AIの性質から言って、そのような事になるだろうなという事は予想がつかなくもない。
また、AIに創造性はあるのかについて議論している箇所において、著者は3つの創造性の定義を示す。
①と②はAIにも「ある」が、③は人間にしかないと言う。③の革新的創造性とは、既存のルールや枠を飛び越えて、新しいものを生み出すという創造性である。これは難しいように感じる、というのだ。この議論については私は何とも言えないのだが、大量のデータから集合知を生み出しているという技術の性質に目を向ければ、それら全てを覆すような革新は出来ないだろう、というのは当然のように思える。
しかし、問題なのは、この手の革新的創造性というものは、人間に本当に存在しているのか?という事だ。イエスにしろ、プラトンにしろ、ニーチェにしろ、既存のルールや枠を完全に飛び越えていたのか?これは疑問である。彼らにしろ、既存の知識を探索して行って創造性を発揮したように思える。つまり、私の感覚では、AIには人間と同様の創造性が備わっている、との結論になる。
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著者の主張は一言でまとめると、「AIは世界を変える」である。著者の個人的な予測では、やがて「なんでもAIに聞けば解決するようになる」し、「あらゆるアイディアは実現するようになる」。しかし、著者はこうも言う。「楽しむ事は人間にしか出来ない」。即ち、AIは人間の代わりに仕事をやるが、人間の代わりに楽しむ事は出来ない。当たり前と言えば当たり前だが、そうだな、と感じた。
また、松尾豊氏との特別対談において、重要な発言もあった。AI時代にどのようなスキルを見につければいいかと著者の今井氏が尋ねると、松尾氏はこう答える。
ゲームにおいて取った戦略を日常でも活かす。例えば、ある能力に特化して、他の人と差別化する。こういった行動が重要である。これは視点として面白い。この考えは、考え方としては特段斬新なものでもない。「何でもいいから極端に極めればいいのか?そうでないなら、具体的にどういった極端さが必要なのか?」といった、深い議論は行われない。ただ、ゲーム戦略を日常に活かす、というのが、単なるゲーマーが言っている言説ではなくて、内閣府「AI戦略会議」座長、東大大学院教授の松尾豊氏が言っている事に意味があると感じた。
AI技術によって、人間は余暇が増えるだろう。その余暇が、人類を更に発展と飛躍に導くかもしれない。または、AIに対して我々は蟻のような知能と言われるぐらいまで飛躍し、AIによる全く新しい発明などが行われる未来も遠くない。取り敢えず、楽観視するのもどうかと思うが、少し希望を持って前を見るのは良い事だと思う。
総評としては、「AIの事を全く知らない初学者向け」の本である。AIについて色々とネットで触れている人にとっては既知の情報が多いように感じた。それでも、興味深い記述はあるので、読む意義はないとまでは言わないが、もう少し深掘りした本の方が良いかもしれない。という所で筆を置こうと思う。