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母、今を生きる
じっとりとした重い空気の中、生前の父が胃と食道の手術後すぐに横臥できないからと座るようになったリクライニングチェアが今は母の居場所で、そこに何故か頭が右側に大きく傾いた格好で座っている母。
今日は近所の美容院に2か月ぶりに行くので10時少し前に迎えに行くと、すっかり準備をして、リクライニングチェアで傾いたまま待っていた。
一応、テーブルの上にいつもの大きな黄色の紙に
【7月1日10:00 美容院】とメモはおいてあるのだけど。
昨日から『今日の美容院』が不安だったったみたいで(明日予定があると記憶に残ると、詳細は覚えていないけれど何かちゃんとしなくちゃいけない、迷惑をかけちゃいけないと、思うらしい)昨夜は11時半頃に家の固定電話にかけてきたらしい。(夫が起きていたので電話に出て、私がもう寝てると伝えると「わかった…。」と切ったそう。)
今朝も「美容院に行くから連れて行ってね。」と、わが家が皆寝てる時間に電話をかけてきていた。
日々のルーティン、リハビリ、往診、訪問看護、ケアマネさん訪問、週三回の宅配弁当、、ではないことがあると、どう対処していいのかわからなくて不安になるって事はわかっている。
母は、目の前の事はわかる!今するべきことはわかる!私が話してることもよくわかる。けど、そうじゃない、不確かな【未来】の事(明日や明後日や来週)はまだ来ていないから、なんだかうっすらとそれは「私がなんかちゃんと責任をもってやらなくちゃいけない事なのかそうでないのかわからないっ」ってなるみたいで、不安になると、夜遅くとか早朝とか拘わらず、私に確認したくなるみたい。
それは『今を生きている!』ってこと、母の頭の中では【今】がほとんでで【過去】はたまに懐かしんだり、ちくっとした痛みを懐かしがったり悔しがったりと思い出すものなんだなぁと、ある日急に腑に落ちて、それで十分じゃないか!と自然に思えたのでした。
不確かな未来を思い悩んでくよくよしないで、今をただただ受け入れようとまた思えたことを忘れたくなくて、NOTEしてみました。