着せかえ人形に捨てられた毒親。
着せかえ人形。
いま思うと、あの人たちにとって
私は【着せかえ人形】のような存在だったのかもしれない。
幼い頃、私はスタイルが良い方だったんだと思う。
(今は違う)
そういう私と一緒に歩くだけで
母も母方の家族も【自慢になる】と、いつも言ってきた。
痩せていることを持ち出される日々。
ことあるごとに【痩せている】ことを持ち出され
何かあると【自分のことのように】周りに自慢する。
そんなあの人たちに感じる強い違和感と
私のいるところでも
私の知らないところでも
私の知らない私を
私の許可なく饒舌に語る、そんなあの人たちが嫌だった。
太ることで手に入れたもの。
あるときを境に、私の体型は変わった。
キッカケは病気や怪我もあった。しばらくの間は寝たきりになって、ほとんど動けなくなってしまったことも大きかったと思う。
彼等は溜め息まじりに”こんなに太っちゃって可哀相”と、
顔を合わせる度に言ってきた。
彼等が一番気にしているのは、病気や怪我の心配ではない。
痩せているか太っているのか。とにかく見た目だ。
あの人たちの望む私でいられなくなったとき、
何とも言えない穏やかさが私を包んだ。
私は太ってホッとした。
”もう頑張らなくていい”
彼等に”ガッカリ”されたことは、
想像以上に私を休ませてくれた。
特に当時の私にとって大きかったのは、
頑張ればどうこうとか、気持ちとか感情とか、そういうものではない、
今すぐこの瞬間変えられるわけじゃない【目に見える姿】というのが重要だった。
あの人の望む【痩せている】自慢の子ども
あの人の家族が望む【痩せていて】何でも言うこと聞く孫
あの人たちが望んでいた【痩せていて】何でも教えてくれる優しい子
あの人たちにとって
【それ】はきっと大きな意味を成していたのであろう。
子どもの頑張りは、誰のもの?
ずっとずっと疑問だった。
自分の頑張ったことや自分たちの成果ではなく
どうして私を理由にするのだろうか。
私の頑張りは、私のもの。
親の頑張りでも、親のものでもない。
ほとんど、一緒に住んでないんだよ。
育て方が良かったなんて、通じない。
それに…
可愛いから、いい子だから
それを理由に噛まれ続けた私にとっては
噛まれなくなってからも
あの人の求める、可愛い子でいることは
気持ち悪さと、恐怖と、常に隣り合わせなんだから。
子どもは親の装飾品か。
近年、SNSやYouTubeなどで親が子どもをコンテンツ化する親が問題視されているが、
こうした心理はネット上に作るか、作らないかだけで
毒親界隈には、何年も何十年も前から続く、悪しき文化なんだと思う。
親が自慢したい子どもの見せ方が
子どもにとって、同じとは限らない。
周りに自慢したいなら
私の見た目だけではなく、ちゃんと向き合ってほしかった。
昔の私?
毒親、毒家族は昔の私が戻ってくることを強く願っていた。
(それって誰って話なんだけど)
彼等にとって、少しでも今と昔の姿に重なるところがあれば
”昔の〇〇が戻ってきたみたいだ”と、どんなに細かいことでも言ってくる。
(つまり成長を認めない)
きっと、成長していく姿をバラバラに見ているんだよね。
成長や変化について全部繋がっているとは思えないし、認めない。そんな感じがした。
というか、安定した年数を一緒に過ごしていなくて私の成長なんてまともに知ってるわけじゃないのに、そんな彼等が決める昔の私とは一体、誰だったのだろう。
こうした事を言われれば言われるほど、
そう言われない我が子を否定し続けてる事になるとは、
きっと考えもしなかったのだろう。
”認められる子”と”認められない子。
これもまた、”私たちの人格が増えていく理由のひとつ”となった。
”幻想の我が子”
都合の悪い私は切り落とされ、
彼等の記憶には残らない。
最初から、いないものを愛しても
そこに残るものは、何もない。
ということは、
彼等が愛していた、私も最初から存在なんてしていないのだ。
都合良く、”幻想の我が子”を作り上げていただけだ。
幻想は、いつか壊れる。
私の体型が崩れ、その私がいなくなったことで
着せかえごっこも打ち切りになった。
これをもって、あの人たちの歪んだ愛(承認欲求)も、
どうか正しく崩壊しますように。
それが幻想にできる、唯一の終わりである。