インドネシア語を勉強していた頃、 ジャカルタの渋滞でトラックの文字が、 今まで記号でしかなかった文字が、急に意味を持った言葉に見えたことがあった。 画素数が上がった!と思った。 画素数が上がる、画素数を上げる、という言い回しが好きで、 いつもは、現状を打破したい時、より良い音楽をしたいと思った時に使う。 なんとなく演奏していたリズムや和音を徹底的にアナリーゼ(分析)したり、 レッスン中に、音の高低でフレーズ感が出ることを説明したりするのが 画素数を上げる練習。 あ!そういう
音楽の勉強をしながら、ヨーロッパのとある日本食レストランでアルバイトをしていた頃のこと。 日本食レストランのバイトは、余った白ごはんとか刺身を取ったあとの鮭のアラとか貰えたりするので、とっても助かる。 レストランの厨房で働いていたのは、昔日本に住んでいたパキスタン人。 彼はイスラム教徒で豚肉料理の味見ができず、たまに私が味チェックを仰せつかり、完璧!とか、ちょっと濃いとか言っていた。 お店には寿司カウンターがあり、厨房とは別に、常にお寿司お刺身担当の人がいた。 私がバイ
その頃、私は毎週土曜日の夕方、マクドナルドの2階でマクドナルドフリーWiFiを使ってメールチェックをすることにしていた。 いつも通りメールチェックをしながら友人とだらだら喋っていたら、外が突然騒がしくなった。 広場に面した窓から外を見ると、何やら群衆と警察が集まって、わーわー言っている。 選挙の前で政治が不安定だったので、デモだろうなと思っていたら 突然外がケムケムになっていった。 煙が窓から入ってきて、火事?逃げる?とあわあわしていたら、目がめっちゃ痛くなり、涙がとまら
ヨーロッパの某国は、冬の日照時間がとても短い。 そして毎日天気が悪い。 寒くて、暗い。 太陽が恋しくて、友だちとも喧嘩して、 何もかもうまくいかないある日の歌のレッスンのこと。 私の先生は、とても明るいおばあちゃん先生。 (声楽の先生はみんな人生オペラな感じで、大抵とっても明るい。) なんでそんなに元気がないの?と聞かれ、 陽の光を浴びていないから、と答えた。 先生は、いいこと教えてあげる、と言って笑った。 私がいつも元気なのはね、心の中に太陽があるからなの。 いつ
キナリ杯、めちゃめちゃ楽しかったです。 私の初noteくじらの話は、夜4時くらいに突然書き始めたやつで 夜中のテンションの勢いのまま、キナリ杯に応募しました。 岸田奈美さんを知ったのはTwitterでした。 Twitterは本名でやっているので、後夜祭はこっそり見ることしかできなくて、もどかしいーーーーーキャンプファイヤーしたーーーい! みなさまの文章を読んで、私には笑いが足りないなーと思いました。 私は笑いのない文章も好きなので、それはそれでと思うのですが、来年の
ニックネームを決めるときは、その時浮かんでくる今いちばん食べたいものの名前になりがちなタイプです。 こんにちは、はるまきです。 インターネットの世界、本名だと、どうしてもまだ全てをさらけ出すことがこわいので、 noteでは「はるまき」として生きていきます。 あれ?この人もしかして知ってる人かも、、、と思われた方はこっそり直接ご一報ください。 口止め料として、記念品を進呈させていただきます。 生きてきて、インパクトの強かったことを書いていこうと思います。 ですので
ある新年度、イスラエルから男の子が音楽院へやってきた。 最年少の天才児という触れ込みで、実際とても上手で、何よりとても素直だった。 朝から晩までずっと練習していて、みんなで、あの子は大きくなるねとライバル視しながらもあったかく見守っていた。 半年と少し過ぎて、その子は突然いなくなった。 本当に突然。誰にも言わずに。 クラスみんな集められ、先生に告げられたのは、彼は兵隊に入るために国に帰った、ということ。 本当はまだ兵役の歳じゃないけれど、志願して軍に入った、と。 音楽も
くじらの曲をもらったことがある。 作曲の課題で作ったその曲を、彼は私の誕生日にマグカップとともにくれた。 小編成のオーケストラの為の曲で、手書きのスコアの「whale」という題名の下に「おたんじょうびおめでとう」と、つたないひらがなで書いてあった。 いい曲だった。ゆったりとメロディーが歌い、ざばんとアンサンブルが跳ねる。 直後に大きな喧嘩をし、グシャグシャに丸めて捨てられたそのスコアを私はこっそり拾い、シワを伸ばして滞在許可証の書類なんかと一緒に保管していた。 彼とは