画素数を上げる

インドネシア語を勉強していた頃、
ジャカルタの渋滞でトラックの文字が、
今まで記号でしかなかった文字が、急に意味を持った言葉に見えたことがあった。
画素数が上がった!と思った。


画素数が上がる、画素数を上げる、という言い回しが好きで、
いつもは、現状を打破したい時、より良い音楽をしたいと思った時に使う。
なんとなく演奏していたリズムや和音を徹底的にアナリーゼ(分析)したり、
レッスン中に、音の高低でフレーズ感が出ることを説明したりするのが
画素数を上げる練習。
あ!そういうことか、みたいな瞬間があって、それはそれは楽しい。

(画素数を上げる、という言葉をようわからんまま解像度を上げて細部を磨いていく、みたいな意味で使っているので、
カメラや映像の人からするとちょっと違うんだよなーと言われるかもしれない)

音楽ってよく見るとものすごく色んな要素入っていて、
ものすごく色んな能力が要る、と思う。

楽器を操る力(声を歌にする力)、数を数える力、楽譜を解読する力、行間を読むように楽譜から楽譜以上のことを読みとる力、
クラシックだと時代背景やその時代の奏法の研究、
さらに人や機械と一緒に演奏する時は、それらと合わせる力、自分の音プラスそれらの音を聴く力、などなど。

それぞれに画素数を上げる練習があり、それはずっと続いていく。
なのでずっと楽しめる。

私は音楽しか知らないけれど、美術も文学もスポーツも、
突き詰める系のどの分野も、だいたい同じ感じじゃないかなーと思っている。

自分の感情も画素数を上げることが出来れば
もっと器の大きな人間になれるのかな。

楽譜をアナリーゼするように、行間を読むように、
ひと時ひと時の感情をなんでそうなったのか、なんでそう思ったのかを
詰めていったら、ふっと違う世界が見えるのかな。

インドネシアで記号が言葉になった時みたいに。

でもまーーーーー過程も結果も目に見えないから、難しそうだな。



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