寿司職人のラオス人、山田さんの話

音楽の勉強をしながら、ヨーロッパのとある日本食レストランでアルバイトをしていた頃のこと。

日本食レストランのバイトは、余った白ごはんとか刺身を取ったあとの鮭のアラとか貰えたりするので、とっても助かる。


レストランの厨房で働いていたのは、昔日本に住んでいたパキスタン人。
彼はイスラム教徒で豚肉料理の味見ができず、たまに私が味チェックを仰せつかり、完璧!とか、ちょっと濃いとか言っていた。

お店には寿司カウンターがあり、厨房とは別に、常にお寿司お刺身担当の人がいた。
私がバイトをしていたかぎり、そこにいたのは中国人の陳さんとラオス人の山田さん。
2人でローテーション。たまに臨時で、近所にある日本食レストランの人(謎)。

陳さんも山田さんも見た目は日本人と変わらないし、山田さんは日本語ペラペラだったので、外国にある日本食レストラン特有の違和感は、ほぼなかった。
(陳さんはいつもシャリが大きく、違和感といえばそれくらい。仲良くなってからシャリ大きくない?て言ってみたら、食べてる満足感がこの方が大きいでしょう?とニヤリとされた。)


山田さんはとにかくよく気がつくし、めちゃめちゃ優しい。
レジも配膳もよくミスをする私を、いつもフォローしてくれた。
お客さんには日本人と言って通していたくらい、日本語が上手。

山田さんはヨーロッパに来る前、日本の焼鳥屋で働いていた。
(なのでお客さんが少ない時は、厨房で焼き鳥の串を刺していた)
山田さんというのはニックネームで、その焼鳥屋での通り名だったらしい。

みんな山田さんと呼ぶので、本当の名前は誰も知らない。

お店に予約がたくさん入った日は、山田さんの奥さんも配膳係でお店に入った。
奥さんはふくよかな南方系で、とってもチャーミング。
一度娘さんが遊びに来たけれど、とんでもない美人さんでした。

いいなぁ、このご家族、と思っていたけれど、
山田さんには夢があった。
もっとお金を稼いで家族に楽をさせること、娘に教育を受けさせることだ。


「移民としてヨーロッパにいるかぎり、最低限の教育にはお金はほぼかからない。
でも、もし他の国の大学に行きたいとなると、今のままじゃとても無理だ。
日本食レストランの寿司職人は、食いっぱぐれることはないけれど収入としては十分ではない。
だから今、運転免許を取る勉強をしているんだ。
この国で路線バスの運転手になって、定年まで安定した給料を貰いたい。
立ち仕事でビールケース運んだりするより、身体も楽だしね。

日本も楽しかったけれど、ヨーロッパの方が断然収入が良い。
家族を持って幸せに暮らすには、ここはいい国だ。」


ヨーロッパの方が収入がいいのはどの分野でもそうで、もちろん音楽もそうで、
そりゃみんな帰らんわ、と思う。
何より休みはちゃんと休みだしね、ヨーロッパ。

収入面や仕事の待遇のほかにも、
差別もあるし、大変な目にも色々あうけれど、
ヨーロッパはあきらかに居心地が良い。

ド派手な格好をしていても、歌いながら歩いていても、
褒められることはあっても変な目で見られることはない。

厨房のパキスタン人も、山田さんも、日本で大変だっただろうな。
せめて彼らのような人たちが日本を嫌いにならないように、私はコンビニや居酒屋の外国人店員さんに敬意と感謝を持って接することにしている。
外国で働くのは、大変なんだ。


山田さんならきっと今頃素敵な運転手になっているはず。
そして今でもあの国で幸せに暮らしていると思う。

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