両シチリア王国とは?【世界史○✕Pt4】
今回は、イタリアの歴史に関する次の問題を見てみましょう!
「マッツィーニによって両シチリア王国は占領された」○か✕か?
正解は✕です!
両シチリア王国は1860年にマッツィーニではなく、赤シャツ隊を組織したガリバルディによって占領され、サルデーニャ国王に献上され、翌年イタリア王国が成立しました。マッツィーニは青年イタリアを組織し、イタリアの共和制による統一を目指した人物です。
イタリア統一は世界史の超頻出分野の一つですが、今回はこの出来事ではなく、今回登場した「両シチリア王国」の成立までを見てみましょう。
両シチリア王国に関しては教科書で説明が少なく、1130年にノルマン人のルッジェーロ2世が建てた、ということをかろうじて覚えているという程度の人も多いと思います。なお教科書ではシチリア島と南部イタリアからなること国を両シチリア王国と呼びますが、建国当時の正式な名称はシチリア王国です。
イタリアに成立した他の国同様、政情は安定せず、フランスのアンジュー伯の支配下に入った後、14世紀はじめにはスペインのアラゴン王家がシチリア王国、アンジュー伯がナポリ王国を支配することによって分離、15世紀になってアラゴン王家がナポリ王国と統合しここに初めて両シチリア王国の国号が現れます。
その後も両王国は分離したり外国の支配を受けたりと政情は安定しませんでしたが、18世紀初頭には両王国はスペイン=ブルボン朝の支配下に入ります。
19世紀初頭にナポレオンが兄をスペイン王としたためブルボン朝は断絶しますが、ウィーン会議の後に王政復古し、改めてブルボン朝両シチリア王国が成立することとなりました。