正しい英語発音とは?: バーナード・ショーの「ピグマリオン」と「マイフェアレディ」
ピグマリオン効果をご存じでしょうか?
英語で書くと、Pygmalion Effect。
カタカナで読み方を書くならば「ピグメイリオン」。
強勢があるAは「エイ」と発音されます。
古代のキュプロス島を統べる王ながらも彫刻家でもあったピグマリオンは、現実の女性に失望して、大理石で理想的な女性像を作り出さんと、寝る間も惜しんで制作。
自分の彫り上げた美しい彫刻にガラテアと名付けて慈しみ、ガラテアを生身の女性に変えてくれと祈ります。
やがて彼の想いは愛の女神アフロディテ |Aphrodite《アフロダイティー》 に聞き入れられて、大理石のガラテアは血の通った女性へと変貌するのです。
ピグマリオンはガラテアと結婚しました。めでたしめでたし。
ピグマリオン効果
期待されると、本来は無理に見えることでも実現してしまうということを、心理学では、いつしか「ピグマリオン効果」と呼ぶようになったとか。
という言葉と同じ。
人一倍の努力を引き出すために相手に期待する。
期待されることで期待に応えるべく努力する。そして結果につながる。
応援されないと人は頑張れない。
人生の真実ですね。
親は子の良い部分を褒める。
教師は生徒の隠れた才能を認めて励ます。
またはプロジェクトなどでも、できると信じて根気よく続けて、少しでも成果を出ると、ますます期待値が高まり、みんな必死で努力して、不可能を可能にしてしまう。Positiveの連鎖。
みんなピグマリオン効果。
むやみに褒めても「ナルシストを育てる」だけという意見も場合によっては正しいですが、期待されないと、愛されないと、人は能力を伸ばせないし成長できないのです。
バーナード・ショーの大傑作戯曲
さて、ここからが本題。
あなたは美しいといわれ続けると、女性は本当に美しくなる。
恋人に愛の言葉を日々囁かれると、本当に彼女はだんだん綺麗になる。
女性ばかりではなく、男性でも好きな女性に励まされると実力以上の力を身につけるようにもなる。
ならば英語を喋る能力ではどうか?
「美しい英語」を喋る能力は、実生活において、社会的地位の向上に直結する。
英語ネイティブでも、田舎訛りの英語では(標準となれない英語では)いわゆるホワイトカラーな仕事にはつけない。
例えばこんな歌がある。
Why Can't the English Learn to speak?
英語は歴史的に方言が多すぎて、いわゆる標準英語は二十世紀半ばにBBC放送が一般に知られるようになるまで存在さえもしませんでした。
でも言語学の権威のヒギンズ教授は、上流階級英語こそが正しい英語と信じているのです。
綺麗な英語を喋れないと、客商売も高級と呼ばれるお店ではダメ、大学などでの教職には就けない、経営者としても同業者に馬鹿にされてはかばかしい成功は望めない。
肌の色など、人種的には差別は許されなくても、英語のアクセントでは徹底的に差別される。それが英語世界の現実です。
外国で暮らしても現地の言葉をしゃべれないと、現地に決して受け入れてもらえない。中国人でチャイナタウンに暮らして英語を全く話さないで英語の国に暮らす人もいる。でも綺麗な英語をしゃべれるようになると、華僑社会に依存しなくてもよくなる。
わたしは英語の国の大学で、英語で授業するのが職業なのですが、英語アクセントでは散々苦労してきました。
英語が母語ではない日本でも、英語が国際語であるがために、誰もがTOEICなどで高得点を取ることにしのぎを削っている。
TOEICで高得点取れても英語を綺麗にしゃべれないと本当には武器にはならないのですが、英語ネイティブではない人には、英語検定試験は意味がある。
でも試験の点数という物差しにならない英語発音は過小評価されている。Speakingも試験の一部ですが、試験で満点取れても実践的な美しい言葉を喋れるかは別問題ですよね。
TOIECや受験英語で高得点を取れても、ひどい発音のために英語がネイティブに対して通じない人は山ほどいる。発音が悪いとあからさまに英語ネイティブはあなたを見下します。
外国人だからという範疇で相手にしてくれても、それ以上にはなれない。
そこでです。
あなたの訛った英語、頑張れば、絶対に「綺麗な上流階級英語をあなたもしゃべれるようになる」ことができる、といわれ続けて、期待されたならば?
それがミュージカルの大傑作として知られるマイフェアレディの原作「ピグマリオン」の物語の発端なのです。
原作はイギリスのノーベル賞作家バーナード・ショーの円熟期の名作戯曲。
今読んでも最高に面白く、社会的啓発に富んだ、色褪せない名作です。
罵倒語の歴史的変遷
わたしはミュージカル「マイフェアレディ」が大好きで、このミュージカルのサウンドトラックをかつて毎日のように聞いて、ほとんどすべての歌詞を暗記しているほどに大好きです。
もう英語発音学のすべてが詰まっているといっても過言ではない、最高の英語発音教材。
発音の云々に関してはイギリス英語限定かもしれませんが、このミュージカルはニューヨークのブロードウェイでも不動の地位を誇る名作ミュージカルです。アメリカ英語を喋るアメリカ人にも大人気。
ミュージカル「マイフェアレディ」には、現代英語のあまりにひどい罵倒語は出てこないので、現代人にはひどいと思えるのは訛りだけ。基本的に安心して聞いていられます。文法もいろいろ笑えますが。
DoneというDo動詞の過去分詞形を動詞にして使ってみたり、
現代英語ではGetをやたら使うと品が落ちると言われますが、Doneも語彙力の少ない人がやたら使う言葉。もちろん文法的に誤りですが、Do, does, doneはまあどこでも使えます。
ボキャ貧な英語話者らしい英語。
また、当時のイギリスにおける最低の言葉と言われたBloodyも出てきますが、
Bloody は今ではそれほど酷いとは言われない。
しかし、十八世紀や十九世紀を通じて二十世紀初頭まで、Bloody (原義は血塗れ) は宗教的に人殺しを連想させ、上流階級の人たちは決して使ってはいけない言葉でした。現代アメリカのFxxxと似ています。
Bloodyは、アメリカ英語ではほぼ使われない表現。
でも時代は移りゆき、今では英国圏の子供ならば誰もが読むハリーポッターにも
と言う表現は普通に出てきます。ロンの専売特許のような言葉(笑)。
Oh, Blimey!
現代における最低の罵倒語はハリウッド映画などでおなじみのFから始まる性的な言葉。
他にも罵倒語はたくさんありますが、ほとんどが排泄物や悪質な性行為に関する語彙がほとんど。
エンタメなアメリカ映画を見ていて、アメリカ最低って思う時は、こういう言葉がやたらめったら使われる時。きっと見ている人は本来の意味を理解されていないのでは?
英国の作家DHローレンスがFxxxをやたら「チャタレー夫人の恋人」に濫用して裁判沙汰になったことは本当に時代が変わったのだなと言えます。
ネイティブはFの言葉は聞き慣れたから大丈夫だとか言っていたのを聞いたことがありますが笑。
こう言う言葉を解説するのはうんざりなので、こちらの英語サイトをご覧になってください。
これらは放送禁止用語となっていますが、これらを使っても人種差別的でない限りは訴えられたりもしない。
これも英語世界の不思議。
差別はダメでも、冒涜やエログロはあり?
ピグマリオンにおいても、DamnとかThe Devilとか、宗教的な罵倒語はヒギンズ教授が何度も口にしますが、冒涜的とまではいかない。
家政婦さんのピアス夫人に若いイライザへ悪影響なので、そう言う言葉は彼女の前では慎むようにと注意されたりもしていますが。
Jeusu Christという罵倒語も、現代ではあまり酷い言葉とはされなくなりました。神の名をみだりに語ってはならないという宗教的禁忌の喪失ゆえです。
世俗化してゆく世界で罵倒語も変わります。
でもきっと排泄物表現と性的表現は普遍的な罵倒語としていつまでも忌避されるでしょう。
そうでないと、世界から上品と下品が失われてしまいます。
ですが、BlackmailやWhitelist, Policemanなんて言葉が差別であると訴えられる言葉狩りが支配する英語世界。もっと汚い言葉を取り締まってほしいものなのですが。
日本語訳のピグマリオン
さて、「ピグマリオン」は1912年に書かれた物語で、著作権切れしていますので、英語原作は無料でオンラインで読めますが、わたしは新しい翻訳の光文社文庫も所有しています。英語版と読み比べるとほんとに面白い。
素晴らしい名訳で、訳者さんの多彩な日本語表現に脱帽です。
Hの欠落
英語で読んでも、書き言葉の英語では、本当の下層階級訛り(ロンドに田町のコックニー)の表記はなかなか理解し難い。
英語は音声と書き言葉が乖離している言語。
ひらがなのような表音文字ではないからです (歴史的には十五世紀ごろに英語の母音が一斉に変化したことが知られています。大母音推移 と呼ばれるものです)。
でも書かれた英語で読んでも、音声表記できない英語では、どれほどにひどいかはわかりにくい。
書き言葉において、せいぜい酷い英語だなあと思えるのは、せいぜいコックニーの特徴であるHの欠落が特徴的なくらい
をHなしで
と表記できるくらい。英語は発生される音をローマ字のように書き表せない。
それでもバーナードショーの戯曲の英語は面白い。
主人公ヘンリー・ヒギンズ Henry Higgins も、エンリー・イギンズ 'enry 'igginsとなり、ヘッドHeadも、エッド ’eadと発音されます。
ミュージカルでは「JUST YOU WAIT」という名曲にこのH欠落が最高に素晴らしく表現されています。
A, E, I, O, Uをアイ、イー、エイ、オー、ユーとしか発音できないイライザ。
教授は出来ないならば、ご飯抜きばかりではなく、大好物のチョコレートまで禁止だと言い渡します。癇癪を爆発させるイライザは白昼夢の中でビギンズ教授を銃殺に!
この場面はミュージカルの中でも最も楽しい場面、原作にはないミュージカルのオリジナル。
HやA=Eiの発音にあまり困ることのない日本人には共感しがたい発音の難しさですが、日本人は代わりにRやLを区別できない。
喉の奥から発声しないので、息が足りずに舌を噛んでもThはThに聞こえない。
母語次第で英語の何が難しいかは変わります。
Hを発音しないフランス語圏では、共感できるがために、この作品は大人気だったでしょうか。
英語ネイティブの英語発音問題は、子音Hや母音の訛り問題(十五世紀の大母音推移の名残り)。
喉を膨らませて深い位置から音を押し出す英語的発音には苦労しないので、やはりイライザも英語ネイティブなのですが、文法は学校に行かないと習えないのはどこの国でも同じ。
He ain’t! イー、エイント!
正しくないとされる省略形の多用もまた、美しくない英語の典型。
I amの短縮形はAin'tとされますが、これは It is の代わりにも使われます。この表現がいたるところで出てくると、汚い英語とされます。
最近は I amの短縮形として、Aren'tが使われたりもします。
以前は正しくないとされたこの使用法も市民権を得てきています。
Am not の省略形として、Aren’t はAin'tよりも上品なのでしょうか?エイと呼んでいたAを、アーと呼び替えただけなのかもしれませんが。
Aren't はもちろんAre not。正規の文法では一人称単数形には使えない。
いずれにせよ、時と共に言葉は移り変わります。
映画ピグマリオン
1912年のピグマリオンは1938年に映画化されてアカデミー賞を与えられています。YouTubeで合法的な無料動画を視聴できます。カラーではありませんが、名作です。皆さんにお勧めいたします。
この映画を見て、または原作を読んでから、アカデミー賞を総なめにした、1964年の傑作ミュージカル映画「マイフェアレディ」を見ると、ミュージカル作曲家と作詞家の素晴らしい作曲に舌を巻きます。
映画ではほんの少ししか語られなかった台詞を拡大させて、一曲の印象深い名曲にしてしまう。
例えば、ビギンズ教授の独身主義を語ったくだりも、映画や原作では、ただの数行の言葉ですが、そこからなんと「I am an ordinary man」という不滅のナンバーが生み出される。
女性のいない生活はどれほどに素晴らしいかを歌い上げるヒギンズ教授。日本語字幕付き。
わたしは子持ちの既婚者ですが、彼の主義主張をニヤリとしながら聞かずにはいられません。
さて、原作に忠実な映画はほぼミュージカルと同じように物語を進行させますが、ハリウッドのミュージカルは結幕を決定的に変えてしまいます。
イライザは社交界で認められて、場末の汚らしい花売り娘を良家の淑女に仕立て上げたビギンズ教授は鼻高々、でもいつまでも実験動物のように自分を扱う教授に愛想を尽かしてイライザは家を出ます。
原作のイライザの言葉、ピカリング大佐とヒギンズを比較して
ミュージカル映画では、どうにもインド帰りの大佐の役割がビギンズ教授の陰に隠れて目立ちませんが、大佐はイライザを花売り娘扱いしかしないビギンズと違って、最初からミス・ドゥーリトルと敬意を持ってイライザに接した人でした。
古い1938年版では、大佐はミュージカル映画版よりも良い役かも。
そしてイライザを失った、女性嫌いの独身主義者ヒギンズは、彼女がいなくて寂しいことを認める。
彼女の毎朝の挨拶に、声に、顔に慣れ親しみすぎたと初めて彼女への好意を口にします。ここから名曲「I’ve grown acccustomed to her face」につながります。
のちにはジャズのスタンダードにまで見なされるようになりました。
この先、原作ではイライザはフレディと結ばれて、ヒギンズは再び元の生活に還るのですが、舞台のピグマリオン初演時より、ヒギンズとイライザは結ばれたのかどうかという話題を誰もが口にしたのでした。
ですので、作品が大ヒットした数年後の1916年には原作者のバーナード・ショーは後日談を散文で書いて、キッパリとヒギンズとイライザが一緒になれるわけはないと否定。
でもそういう現実主義はショービジネスには似合わない。
だから1938年に作られた映画では、原作とは異なるエンディングが用意されました。
物語の源の神話に従うならば、ピグマリオンのヒギンズは、彫り出したガラテアならぬイライザに恋をして命を得たガラテアを妻に迎えますが、バーナード・ショー版では命を得たガラテアならぬイライザはピグマリオンであるヒギンズの下を去り、独立する。
ショーの原作は女性の自立の物語でもあるのですから。
原作では、フレディのもとへと去ってゆくイライザに対して悪態を吐く教授の言葉で終わります。
でもロマンティックな映画版は、神話のように二人を結びつけてしまう。
新旧の映画や最後は、イライザがヒギンズのところへ戻ってきて幕となります。
こんなひどい男とイライザが一緒にやってゆけるわけはないのに(笑)。
ヒギンズが愛に目覚めて改心して家庭的な人物になるとは考えづらい。あまりに釣り合わない二人。
ヒギンズの期待に応えて、見事にピグマリオン効果によって、美しい英語発音と上流階級のマナーを学んだイライザ。でも生きる術を学んだ大理石のガラテアには生みの親のピグマリオンと暮らしては永遠に対等になれない。だから家を出る、という映画版とは異なる原作。
どこかノルウェーのイプセンの「人形の家」にも似ていますが、そういう女性の自立が社会的関心だった時代の作品なのです。社会主義者バーナード・ショーはそういう社会問題を劇作品にして取り上げて大作家と呼ばれるようになった人でした。
マイフェアレディって誰のもの?
マイフェアレディとは「わたしの貴婦人」という意味。
「わたし」とはヒギンズ教授。
ヒギンズ教授のイライザというのがミュージカルの題名。
ミュージカル映画は、命を与えられて創造主たるピグマリオンから独立するガラテアの物語ではない、まさに神話のピグマリオンなのだなと改めて思いました。
教授の創造物である美しい英語を喋るイライザ。花売り娘は教授による厳しい訓練に耐えて貴婦人に生まれ変わる。でも彼はイライザを彫像を取り扱うピグマリオンそのもの。創造主として命を得たガラテアを新しい人格とは認めない。
貴婦人の嗜みは男性社会に作られたものならば、女性が喋るべき美しい英語も男性によって作られたものなのか?
エレガントな英語を習いたいとヒギンズ教授の自宅の扉を叩いたイライザ。彼女は自分が求めていたものを得ることができたのか?
日本語ほどに女性語が少ない英語ですが、書き言葉上は同じに見えても、女性はこう喋るべきという決まりがあります。伝統的価値観という社会的規範。
権利において男女平等でも、男女には役割の違いと区別があるのですから。
男性に許される罵倒語を女性は喋れないとか。DevilishなヒギンズとLoverlyなイライザ。
lovely と言えなくたって十分に「loverly」なイライザ。
正しい英語ってなんなのでしょうね。
舞台のための原作の戯曲を読んで、新旧の映画を見直して、階級社会イングランドの不思議と女性の自立とは何かを思わずにはいられません。