世界で最も美しい対位法:モーツァルトの場合(K.464)
対位法音楽と言えば、なんといってもバロック音楽のヨハン・ゼバスティアン・バッハなのですが、バッハの対位法は難しい。
対位法はいろんな楽器や声が同時に鳴っていても別々に聞こえるという西洋音楽作曲技法の粋ですが、上級者でないと「フーガの技法」や「音楽の捧げもの」を聴いても、音楽の凄さに圧倒されても、対位法の音の綾の深みを鑑賞できるようになるには相当の年季が必要になります。複数の音を聞き分けるのは容易ではありません。特に実演ではなく録音からでは。
一方、モーツァルトの対位法は分かりやすい。バッハを学んでモーツァルトはたくさんの習作を書きました。そしてその習得した技法が自身の作曲に生かされた最高の例の一つが尊敬するパパ・ハイドンに献呈された「ハイドンセット」と呼ばれる六つの弦楽四重奏曲集。
モーツァルトとしては即興的な遊びの要素のない真剣勝負で書かれた音楽で、さすがのハイドンも、曲のあまりの完成度にたまげたほどでした。
ハイドンセット中のわたしのお気に入りは第五番イ長調。特に第三楽章の変奏曲が好き。第一変奏は素朴なアンダンテ。主題が繰り返されると独特の陰りを帯びていて、その深みが何とも言えない。表情が激変する第二変奏。第三変奏は対位法が際立つ部分。音が細かくなっていろんな音が同時に鳴り始める。第四変奏は二短調。深刻な音のドラマはモーツァルト的対位法によってますます深まります。第五変奏は二長調の優しい歌だけれども、各々の楽器が交互にメロディを歌い継いでゆくのがあまりに美しい。最後の第六変奏はチェロはおどけたリズムを刻んで軍楽隊のドラムのよう。その上に流れてゆく三つの異なる楽器の歌。
この曲はのちにベートーヴェンが最初の弦楽四重奏曲集(作品18)を書くにあたってモデルにした作品として高名。ベートーヴェン自身がモーツァルトの全曲を完全にコピーした楽譜が残されているほど。創作するうえで模写ほど技術習得のために勉強になるものはこの世にありませんからね。
モーツァルトの対位法は、一聴してバッハのように神々しい世界を現出させるための神懸かりな超絶技巧ではなくて、あくまで自然な美しい歌を歌う技術として登場します(あくまで自然で、いかにも対位法しています、という感じが全く感じられないのが神業)。
モーツァルトはお金のためではなく、あくまで純粋な芸術的創作という動機からこの曲を書いたのでした。格調高い古典的調和の中に随所随所に楽器同士の対話(対位法)を盛り込んでいて、聴けば聴くほど味が出る音楽。バッハの技法は曲を際立たせる技法のひとつとして適度に使われているために分かりやすい。
この頃のモーツァルトはピアニスト・教師・演奏家としてとても羽振りが良くてこのような趣味的創作に時間を費やすことが出来ていたのでした。そう思うとこの頃のモーツァルトは本当に幸福な思いの中で創作をしていたのですね。数年後には人気凋落して山ほどの借金依頼の手紙を書くようになるというのに。
でもこんなに俗受けしない全身全霊を込めた名作(遊びの要素がない・音楽的密度が高くて難解)を必死になって作曲していたからこそ、あのような凋落を迎えたのも当然の帰結だったのでしょうか。
分かりやすい大衆性と俗受けしない芸術至上という二元論問題を改めて考えさせられます。Note記事で「短くて分かりやすくて誰にでもウケる記事」と「長くて専門的で特定の人以外にはあまり読まれない記事」みたいに。
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