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夜の歌に:人の声ほどに美しい楽器はこの世にはない
今日もまた、ファニー・メンデルスゾーンの繊細な抒情詩のような音楽を聴いています。
460曲ほどの作品が存在していて、おそらくそのうちの少なくとも100曲はYouTubeから鑑賞できるようですが、これまでに聴いたのは40曲くらいでしょうか。
大曲を含む代表曲はほとんど聴いたけれども、ファニーの全作品の一割もわたしはまだ知らないのです。
弟フェリックス・メンデルスゾーンの場合は、ほとんど全ての作品に親しんでいて、有名な作品は楽譜も読んでいます。
フェリックスの清書された自筆譜は印刷されているかのように美しい。
筆跡に知性が溢れている。
「スコットランド交響曲」や「イタリア交響曲」や「夏の世の夢」のピアノ編曲版はわたしの大のお気に入りです。
全てIMSLPから無償でダウンロードできます。
シューマンやショパンも録音や楽譜を通じてよく知っているけれども、ファニーの作品の楽譜をじっくり読んだのは、ほんの数曲だけ。
それもピアノ曲ばかり。
名ピアニストだったファニーの書いたピアノ曲はもちろん素晴らしいのですが、それにもかかわらず、圧倒的なのはファニーの歌。
ファニー・メンデルスゾーン(ヘンゼル)が作曲家として世間的に求められていたならば、ローベルト・シューマンやフーゴ―・ヴォルフと同格の大歌曲作曲家として音楽史に刻まれていたであろうと残念で仕方がありません。
誰にも知られることなく忘れられていった彼女の作品は、大作曲家フェリックスに多大な影響を与えたことさえ明記されることなく、いまもなお最も熱心な音楽愛好家たちには知られていないのです。
昭和後期のクラシック音楽評論の世界で絶大的な権威を持っていた、歌曲が大好きだった音楽評論家吉田秀和の歌曲に関する本をいまもなお愛読していますが、吉田秀和はファニーについては全く言葉を語っていません。
それは吉田秀和がファニーを理解しなかったからでも、女性作曲家を見下していたからでもなく、20世紀には全くファニーの音楽が知られてはいなかったからです。
彼女の忘れられていた作品の初演は20世紀の終わりから21世紀にかけて行われてきましたが、インターネット配信が普及するまではほとんどの人が彼女の作品を知ることはありませんでした。
いまだ実演で彼女の作品が演奏されるのを聴いたことがない。
これほどたくさんのコンサートに通ってきたというのに。
吉田秀和がファニーの透き通った抒情溢れる音楽を知っていれば、夢中になって彼女の歌を絶賛、推薦していたはずです。
なんだか昭和の初めに亡くなったのに、20世紀の終わりまでほとんど知られることのなかった日本の金子みすゞのようですね。
幸薄かった金子みすゞの生涯は、社会的に抑圧されていたファニーとどこかよく似ている。
みすゞの詩の存在をわたしが知ったのは21世紀になってからのことでした。
彼女の詩が文科省の教科書に載るようになったのは1998年以降のことだそうです。
自分はもう大人になっていて、彼女の詩に子供の頃に出会ったことがなかったことは残念でした。
自分が今よりもずっと感受性が豊かだったあの頃に出会っていれば、自分はもっと違った心を持てる人になれていたのかも。
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みすゞの詩を発掘して広めた矢崎節夫氏が設立した
「金子みすゞ著作保存会」によって
みすゞの詩の著作権は保護を理由に独占されていて
2031年まで著作権は有効
SNSでもたくさんの彼女の詩が見つかりますが、
それらは全て著作権法違反!
ほんとうは彼女の詩をここに掲載したいけれども。
宮沢賢治(1933年没)よりも早くに亡くなった人なのに
引用することができないなんて!
みすゞとファニーは似ているでしょうか?
ファニーの歌の儚さと透明さは比類ない。
特にファニーの作った哀しい歌は、同時代人のローベルト・シューマンや後継者フーゴー・ヴォルフを通り越して、世紀末ヴィーンのアルバン・ベルクの歌に通じるものだと思います。
繊細なメロディの叙情において。
人の声が歌うロマン派音楽の夜の歌
今回は夜の歌を聴いてみました。
夜は全てのロマン派の作曲家に愛されたテーマでした。
ピアノ音楽の夜想曲のことを先に紹介しましたが、ここで紹介する二つの歌は甘いピアノの夜の歌よりも痛切なメロディ。
言葉は音楽の世界を狭い世界に制約しますが、より具体的な世界が描写されるためにファニー・メンデルスゾーンやアルバン・ベルクのような熟練の手練れにかかると、家庭用ピアノのための夜想曲では描き出せないような、筆舌に尽くしがたいほどにほの暗くて寂しくて深い情感あふれる夜の情景が浮かび上がってくるのです。
人の声ほどに深い表現力を持った楽器は世界中のどこを探してもない。
ヴァイオリンの音色は人の声を真似て作られたといわれています。
そしてレガートして歌えるピアノはヴァイオリンのカンタービレな色を模倣しています。
ピアノの前身である18世紀のフォルテピアノは歌わない。
フォルテピアノはやはり伴奏のためのチェンバロに近くて、歌をどんなに求めても打楽器の枠組みを超えることはできていない。
19世紀のロマン派の時代に完成したピアノはレガート奏法すると本当に良く歌う。
カンタービレなピアノの歌は極めて美しい。
けれども、ピアノの歌は人の声ほどには豊かな表現力と深みを持ち得ない。
わたしたちの肉体と声帯を楽器にする声は、どんな楽器よりも特別です。
以前、大阪フィルの演奏するグスタフ・マーラーの超大編成の第三交響曲をザ・シンフォニーホールで聴いたとき、舞台上には数々の打楽器や珍しいポストホルンをはじめとする、ありとあらゆる楽器が舞台上に所せましと並べられていましたが、そのどの楽器の音色よりも、歌声は美しかった。
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アルトソロのあまりの美しさに、人の声ほどに美しい楽器はこの世にはないのだと確信しました。
あまりに大規模な第三交響曲では、ありとあらゆる楽器の魅力を堪能できますが、その全てを凌駕するのが女性アルト歌手の深い声でした。
帰り道、別のお客さんがお連れの方と曲の感想を語っているのが耳に入ってきて、音楽通らしい老夫婦はやはり同じことを語らっていたのはとても印象的なことでした。
ファニー・メンデルスゾーン:Nacht liegt auf den fremden Wegen(夜が見知らぬ道に横たわる)
ハインリヒ・ハイネの「歌の本」から採られた詩につけられた繊細なメロディと和声の歌。
もちろん未出版の作品。作品番号はありません。
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彼女の歌の消え入るような儚さはロマン派音楽を聞く醍醐味です。
夜が見知らぬ道に横たわる、
冷たい風が森を吹き抜ける。
星々の畑が孤独に輝き、
私は祝福なく彷徨う。
ああ、なんて深いのだろう、君の忠実さは、
美しい遠い世界、穏やかな命、
心が互いに委ね合い、
嵐が優しく消えていく場所よ。
Kalter Wind geht durch die Wälder,
Einsam leuchten Sternenfelder,
Und ich wandre ohne Segen.
O wie tief ist deine Treue,
Schöne Ferne, mildes Leben,
Da die Herzen sich ergeben
Und die Stürme sanft verglühen.
アルバン・ベルク:Nacht(夜)
アルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲が大好きで、調性音楽が壊れかけているベルクの音楽に若い頃、夢中になりました。
世紀末ウィーンの音楽家たちは夜や黄昏や世界の終わりの情景のような音楽を偏愛していました。
ですので、そうした幻想世界を表現するにふさわしい音楽を書くための語彙語法を探していたのですが、若い頃のベルクの音楽は後期ロマン派のマーラーやヴォルフと同じ音楽語彙を使って夜の世界を描き出しています。
ドレミファではなくてオクターヴの中の12の半音を均等に分けて使うようになる、十二音音楽技法に出会う前のベルクの音楽の夜の歌は、不安の時代の幕開けを象徴しています。
気を付けよと喚起する。何をこんなにも恐れているのか。
雲は夜と谷を覆い、霧が漂い、水が静かにささやく。
そして、ある瞬間、全てが解き明かされる:
おお、気をつけて!気をつけて!
広がる不思議な国が姿を現す。
銀色にそびえる山々は夢のように大きく、
静かな小道が銀の光をまといながら
隠された懐から谷間へと続く。
その崇高な世界は夢のように清らかだ。
道端には無言のブナの木が佇み、
遠い森からのかすかなそよ風が
ひっそりと孤独に吹き渡る。
そして、深い闇の底から
静かな夜に光がきらめき出る。
魂よ、飲み干せ!孤独を飲み干せ!
おお、気をつけて!気をつけて!
マーラー:真夜中の歌
最後に上述のマーラーのアルトソロのリンクも張っておきます。
詩人で哲学者のフリードリヒ・ニーチェの言葉につけられた厳かな歌。
この曲を聴く時、どんなに美しいヴァイオリンやピアノやチェロを聴いたとしても、どんなに素晴らしい管弦楽団の奏でるハーモニー(例えば第三交響曲のフィナーレ、マーラー最美のアダージョ)を聴いたとしても、歌声ほどに美しい楽器はこのようにはない。
そう思うのです。
わたしたちの全ての歌の源は、わたしたち自身の声。
おお人間よ! おお人間よ!
心せよ! 心せよ!
何を語っているのか 深い真夜中は?
われは眠っていた われは眠っていた
深き夢より われは目覚める
世界は深い
はるかに深いのだ 昼間が考えていたよりもずっと
おお人間よ! おお人間よ!
深い 深い 深いのはその苦悩 深いのはその苦悩
だが快楽は -心の苦悩よりなお深いのだ
苦悩は語る:消え去れ!と
だがあらゆる快楽は永遠を求める
深い 深い永遠を求めるのだ!
現世肯定のバロック音楽に対して、ここにはない世界ばかりを夢見ているロマン派音楽。
夜は現世と永遠の境目に横たわっている時間。
ロマン派の世界に浸りきっていると、だんだんこの世よりもあの世に親しみを感じすぎてしまう。
昼間はバロックや古典派音楽、夜には情感深いロマン派音楽を聴くことが最も豊かな音楽生活なのかなと最近はよく思います。
永遠の夜のことを思い出して、今日もまた生きていられたと感謝して、心を静めて眠りにつくために。
Have a great weekend!
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