英国で愛されたクラシック音楽(4): 「埴生の宿」の作曲家ビショップ
明治時代に日本に輸入された有名なイギリスの歌曲があります。
埴生の宿
「埴生の宿」として知られるイギリスの作曲家ヘンリー・ビショップが1823年に作曲した曲。
シューベルトやベートーヴェンと同時代の音楽ですが、ビショップは今ではこの「埴生の宿」と次に紹介するシェイクスピア劇のための歌だけで後世に名を知られている作曲家です。
訳注:A charm from the skyがわかりにくいですが、Grace(神の恩寵)にも似た神に認められた幸福、幸運が「天よりの魅惑」だと思います。そういう幸運の星のもとでは、周りに人から敬われ、崇められるかもしれない、現世的成功ゆえに。でもそんなことはありえない、ということだと思います。
別サイトで、HallowをFollowとしているのを見つけましたが、Hallowed be thy nameで「主の祈り」の「聖名が崇められますように」。
Followでは意味を成しません。Ne'erはNeverですが、V音は破裂音で耳障りな音なので、詩ではよくVを省略します。ネヴァーではなく、ネアーの方が音として美しい。
英語はあまりこういう伸びる音がたくさんの曲には似合わない子音だらけの言葉。だからでしょうね、英国でクラシック音楽が育たなかったのは。日本語版の方が歌いやすく音楽的だと私は思います
無理やりカタカナで書くと(RやLやThが表記不可能、曖昧母音は歌の中ではイタリア歌唱のようなアイウエオに変化!)
子音の部分がやたら早くなり(英語らしい自然な表現:Pleasures andのsures and など)、母音の部分が不自然に伸びて、英語としてはやたら不自然。
英語に、こんなオペラ的なメロディは似合わない。原曲は英語オペラの一部です。
ビショップがクラシック音楽の作曲家として忘れ去られたのは当然でしょう。
英語は喋るように怒鳴るように歌うロックに向いていますが、クラシック音楽のオペラのように母音を伸ばす音楽には全く不向き(英語として不自然です)。
20世紀にブリティッシュ・ロックがポピュラー音楽世界を席巻したのは、英語という言語の性質のおかげとだとも言えるでしょう。
ですが、戦前の日本では大変に好まれた歌で、戦後に
「火垂るの墓(1988年)」
「ビルマの竪琴(1956年・1985年)」
などの名作映画で印象的に使用されました。戦争中を舞台にした作品の中で、「埴生の宿」は心に深く響きます。
わたしは実はこれらの映画を見るまで、この曲を全然知らなかったのです。学校では教えてもらえませんでした。昭和終わりのその昔に小学生だったのに。
戦前の小学校で愛唱された、里美義の歌詞はつぎのよう。
こういう文語体の歌詞は大正昭和初期にたくさん書かれましたが、私は大好きです。シューベルトの日本語訳とか。
もう文部省(文科省)唱歌として歌うことが奨励されていない古い歌なのですが、いま改めて英語の歌として歌うと、このメロディ、やはり何百年も愛されてきただけの価値のある曲なのだなあと思います(ピアノ伴奏部分など、シューベルトに比べると月とスッポンの出来なのですが)。
「埴生」とは土壁のこと。英語の歌詞にはない、日本語訳独特の表現。
この歌が歌われなくなったのは、日本の家から土壁がほとんどなくなってしまったことも原因でしょうか。
埴生の宿は、本来みすぼらしい我が家という意味。現代日本の家は必ずしもみすぼらしくないからこの歌はもう心に響かないでしょうか?
古い日本の家に土壁の家がよくありましたよね。江戸時代の庶民の農家にはそんな家が多かった。
1958年の「ビルマの竪琴」。英語字幕付きで鑑賞できます。
第二次大戦において、英国領ビルマ(現ミャンマー)で日本帝国軍は大英帝国軍と戦いますが、明治時代に日本に輸入されたイギリスのビショップの歌である「埴生の宿」を両軍が歌い合い、同じ歌を敵同士で歌うことで人間らしさを認め合い、戦闘を止めるのです。
ハードパワー(武力などの文明力)に対するソフトパワー(歌などの文化力)が人をつなぐ素晴らしさ。
お互いの文化が知られているということは本当に大切です。
和のソフトパワー
令和日本ならば、TOYOTAやSHARPなどの文明力よりも、ポケモンなどのアニメや、今や世界中で気軽なファーストフードとして食べられている巻き寿司のSushiでしょうか。
もっと日本発のソフトパワーが世界に知られてほしいものです。
最近は英語のグルメ番組でしきりにUmami(日本語の旨味)という新語が審査で語られます。
日本語が英語になったのです。
発酵食品の鰹節出しの味は中華の五つの味覚、つまり五味では表現できないものとして、新たに評価されています。Sushiのおかげでしょうか。
甜(甘味)
酸(酸味)
咸(塩味)
苦(苦味)
辣(辛味)
中華や印度や西洋料理では味わえない「旨味!」。こういうソフトパワーにおいて日本の文化力が世界に平和をもたらしてほしいものです。
自然の食材の持つ味わいが旨味!特に干し椎茸や昆布出汁がいいですね。
旨味はグルタミン酸のこと。調味料「味の素」はうまみ成分を抽出して作り出されたものです。人工的に作り出されたグルタミン酸ナトリウム:MSG=MonoSodium Glutamateは、海外ではご法度。
Umamiにもいろいろあります。
MSGがなぜだめなのか、科学的には証明されていないのです。
でも科学的に作り出された場合は摂取しない方がいいかもですね。
Umamiは古くから知られていたのですが、こうして日本語から英語に取り入れられるまで認知されるようになったことは同慶の至りです。最近はトマトの甘味まで旨味なのだとか。
MSGは世界的に「悪」と見做されていましたが、UMAMIという言葉の普及はグルタミン酸の復権だと思います。
でも「味の素」を振りかけた食事を常食していると、薄味のだし汁の微妙な味わいなどがさっぱりわからない味音痴となることも確実です。
ファーストフードのソース味しかおいしいと思えない可哀そうな子供たちと同じ。Umamiを理解できる舌を育てたいものです。
シェイクスピアの「間違いの喜劇」
さて、ヘンリー・ビショップという作曲家。
1787年に生まれて1855年に没した作曲家。
短命な生涯を送ったシューベルトより少し年上で、シューベルトよりも長生きしました。総数100を超える劇場作品を作曲したり編曲したそうですが、今日においては上記の「Home Sweet Home(埴生の宿)」とシェイクスピア喜劇「間違いの喜劇」のために書かれた劇音楽(1819年)の中の歌曲「Lo! Here the Gentle Lark(見て、あのおとなしいヒバリを)」の二曲の作曲だけで記憶されています。
ビショップの音楽には上記の「埴生の宿」の伴奏パートのピアノ譜から読み取れるように、当時の当たり前の音楽を同じスタイルで量産しただけの作曲家であると、音楽史的には切り捨てられるのですが、シェイクスピア劇のための音楽劇を作曲したことは興味深い。
シェイクスピア最初期の作品である「間違いの喜劇」に劇音楽を書いていますが、ビショップのオペラでは、シェイクスピアの別の作品からの歌が紛れ込んだりしているなどしています。
「間違いの喜劇」を読んで見ればすぐにわかりますが、シェイクスピアが書いた劇のなかで最も短い作品。そしてほんとに他愛のない物語。どこが名作なのか?
「間違い」とは、生き別れになった双子が出会うまで、知らない土地で別の双子がいろいろ騒動を起こして、元からその土地に住んでいた双子に迷惑がかかるというもの。
姿形が同じ双子の何気ない行動のすべてが、皆が二人を取り違えるので間違いになるのです。
当時の劇において、双子が入れ替わる話は何も新しくもなんともないのですが、わかりやすく、小学生でも楽しめるシェイクスピアですね。
深みがなくて、わかりやすく、小学生でも楽しめるシェイクスピア喜劇。
でも古典喜劇のテンプレートそのままで、劇作の基本中の基本のような作品。
登場人物の二組の双子の二人はどちらも同じ名前、主人の方がアンティフォラスで、召使がドローミオ。リアリズムを追及していない、Farceと呼ばれる笑劇なのでこれでもいいのでしょう。
お笑い芸人の作るコントみたいな作品。そんな掛け合いがずっと繰り返されるのです。
これを笑えるか笑えないかは好みでもあり、役者さんたちの技量次第。
言葉遊びの妙は楽しめます。
英語原作を読むと、ほとんどの文が韻を踏んでいて、語呂合わせが楽しいですが、惚れ惚れするような美しい詩行を操るシェイクスピアらしさが全開するのは、次の「恋の骨折り」から。
この喜劇には歌は本来ないのですが、音楽劇化にあたって、シェイクスピアの別作品から詩を持ってきて、ビショップは劇中歌を作曲しています。
これが今でも歌われるビショップ作曲の第二の歌曲。
物語詩「ヴィーナスとアドニス」
シェイクスピアは有名な物語詩を二つ書き残しています。
シェイクスピアの生涯は、現代のコロナ禍と同様に、伝染病が定期的に蔓延する時代の真っただ中で過ぎてゆきました。
伝染病が起こるたびに劇場は封鎖されて、シェイクスピアも田舎に避難。
「ヘンリー六世」や「リチャード三世」、「恋の骨折り損」などを成功させた若いシェイクスピアは1592年ごろにイングランドに蔓延した伝染病から避難して、劇作品は上演できないがために、髀肉之嘆をかこちながらも、金策のために、物語詩を書いて出版。
そして最初に書いた物語詩がベストセラーになりました。
物語詩は韻文で書かれた短編小説のようなもの。
題材はギリシア神話のヴィーナスの恋。
有名なお話ですが、シェイクスピアはこれを見事な英詩に仕立てたのです。格調高い英語で書いたことが意味深いのです。
お話は美の女神ヴィーナスが若い美青年アドニスに一目惚れして、愛を語りますが、色香溢れる年上の美しいヴィーナスよりも、アドニスは同じ年齢くらいのまだ成熟しない10代の若い少女の方が好き。
アラサー(アラフォー?)の成熟した肉体の美女よりも、ティーンの純情で世間知らずの無垢な少女が好きな美少年アドニス(ひげも産毛でしかないという記述があるので、おそらく現代の中学生から高校生くらい)。
ヴィーナスは必死にアドニスの気を引こうと、彼女の肉体的な魅力を使って誘惑しようとしますが、二十歳くらいのアドニスはどうにもなびきません。
アドニスはやがて狩りの最中、凶暴な猪に襲われて悲劇的な最後を迎えますが、アドニスの愛を得ることのできなかったヴィーナスは彼を美しい花に変えたとか。アネモネの花です。
Anemoneはカタカナ読みしてアネモネ、英語ではəˈnɛm.ə.niで、アネマニー。発音がわかりづらい英単語です。ギリシア語で「風」を意味する言葉。だから英語的ではないのです。
Lo ! here the gentle lark「見て、大人しい雲雀を」
さてビショップの歌。劇中のどの場面で歌われるのかわからないのですが(もうビショップの音楽劇は二度と上演されないため)、この曲は歌手がコロラトゥーラの技巧を披露するにぴったりな曲であるがために人気です。
フルートの伴奏も歌手の駆使する高音にぴったりです。
シェイクスピアは雲雀が好きですね。
朝を告げる雲雀を謳う詩行は名盤なのですが。Lark Ascendingというメレディスの有名な詩にヴォーン=ウィリアムズは素晴らしいヴァイオリン音楽を書きましたが、ここではフルートとソプラノによるもの。
この詩は、雲雀も巣から舞い上がったわ、アドニス、あなたも私のところへ来てよ、という歌。
ウェールズのジェームス・ゴールウェイとニュージーランドのキリ・テ・カナワとの共演でどうぞ。
ヴィーナスとアドニスは1194行もあり、読み応えがあるものです。人気だったのは、当時、恋心は男性から女性に伝えるものとされていましたが(現在でも「告る」のは男性から、が一般的でしょうか)ギリシア神話なので、女性から男性に言い寄るのです。それが面白がられました。
アドニスはヴィーナスの言葉を受け入れない。
こういう書き出しの「ヴィーナスとアドニス」。
’ginsはBegins。やはりBは破裂音なので音として美しくない。しばしば、シェイクスピアはこんな風に子音を省略します。
ヴィーナスは、この世で誰よりも美しい美の女神。
そんな彼女の求愛を無碍にするアドニスの連れないさまが当時の若い人たちに非常に受けたのだそうです。
一方通行の恋。
狩りの女神ダイアナとならば、アドニスは恋仲になれたかもしれません。
成就しない恋はいつの時代でも、見ているだけならば面白いものです。
「イケメン男子に言い寄る女子の話」が定番な少女漫画などを読んでるといつだってそう思います。
ビショップの歌曲「埴生の宿」は、英語でよりも日本語で歌ってみてください。日本語のすばらしさを心から味わえます。
ビショップには、シェイクスピアの物語詩「ヴィーナスとアドニス」の詩を使って作曲した、ほとんど忘れ去られた音楽がもう一曲ありますが、それについてはまた次回。
「ヴィーナスとアドニス」は面白いので全部読んで見てから語ります。