マリーゴールド咲きました。あいみょん「マリーゴールド」英訳
明るい日差しのさす台所、鉢植えのマリーゴールドが花を咲かせました。
南半球ですので、春です。
マリーゴールドを好きになったのは、2007年の世界名作劇場アニメ「少女コゼット・レミゼラブル」をネットで見てからです。
世界名作劇場「少女コゼット」
逃亡者であるジャン・ヴァルジャンとコゼットは、パリ場末のゴルボー屋敷と呼ばれる古いアパートに身を隠しますが、そのゴルボー屋敷の小さな中庭に、幼いコゼットはマリーゴールドの種を植えたのでした。
残念ながら、開花を待たずにコゼットはゴルボー屋敷を去ります。
ですが、ゴルボー屋敷にその後、コゼットらに因縁深いテナルディエ一家が越してきて、コゼットをいじめていた長女のエポニーヌが、コゼットの植えた種から花を咲かせたマリーゴールドに見とれるという場面があります。
理解しあえなかった二人。花を愛でることを通じてならば、心は通じ合えていたのに。もちろん原作のレ・ミゼラブルには書かれていないお話。
このアニメのなかでも最も好きなエピソードの一つ。
それ以来、わたしも毎年、マリーゴールドを庭に植えたり、鉢植えにして台所に置いたりしてきました。
マリーゴールドは一年草ですので、毎年枯れてしまいます。そして種を落として新しい花を咲かせます。
マリーゴールドを謳った美しい英詩はないかなと探しましたが、どれもいまいち。
麦わら帽子の女の子
詩の世界では、伝統的に、女性は花にたとえられます。
男性が女性をそのように喩えるのです。
「花のように美しい」という言葉は、女性への最高の賛辞でもあり、女性の美もまた、咲き誇る花の美しさのように儚いものというほのめかしでもあります。
夏の日のような若々しい美を枯らしてゆく秋に支配されるさまをみて、子孫を作ってその美を永遠にこの地上へと伝えてゆくようにしなさいとソネットを書いたのは英語世界最大の詩人ウィリアム・シェイクスピアでした。
枯れて、花を種にして、次の世代へと美を伝えてゆくマリーゴールドは尊い。
あいみょんの名曲「マリーゴールド」
マリーゴールドの詩で日本語で最も優れたものは、平成の歌姫あいみょんの名曲「マリーゴールド」だと思います。
一時期、あいみょんにはまり、ネットで聴ける彼女の曲に傾倒して、「マリーゴールド」や「ハルノヒ」や「君はロックを聞かない」などの名曲をピアノで毎日弾いていました。
あいみょんはいい詩を書きますよね。太宰治の「生まれてすみません」とか好きな見たい(笑)。そういう歌があります。
普段はシェイクスピアの英語などを日本語に訳してここで紹介していますが、今回はあいみょんの日本語を英語にしてみます。
ネットでさがすと、この歌詞を英訳されている方が他にも幾人かいらっしゃるようですが、どれも私にはピンとこない。どれも歌えないし。
歌える詩に翻訳するのは確かに難しい。
著作権のためか、昭和時代の尾崎豊や松田聖子の歌のように、英訳されたものが歌われて発表されてはいないようです。
ある夏の日の思い出。
さて、あいみょんの「マリーゴールド」は8ビートのバラード。
夏の暑さが大好きで、寒くなると枯れてしまう一年草のマリーゴールド。
毎年枯れてしまうのが残念なのだけれども、やはり翌年には種を植えるとすぐに育ってくれます。でも去年咲き誇ったマリーゴールドはもはやここには存在しない。次の年には別のマリーゴールドに生まれ変わっているのです。
歌詞の中で歌われるのは、数年前に見たマリーゴールド。
マリーゴールドを見るたびにあの夏を思い出すのですね。
懐かしかった夏は、彼女をまだ本当に好きになる前の頃のこと。
いつまでも一緒にいられるといいですね。
日英対訳
音楽の中で繰り返される強拍と弱拍のアクセントの落ちる部分に英語のアクセントをぴったりと合わせられるといいのだけど、なかなか難しい。
わたしはシューベルトのドイツ語歌曲を英語に訳したものを愛唱したりしていますが、ドイツ語という英語に似た言語でも詩の翻訳は難しい。
大意を伝える英語にするだけならば、英語力さえあれば誰にでもできますが、歌える歌詞を書くのは音楽的訓練を積んでいないとなかなか困難です。
第一聯だけですが、歌える歌詞に訳してみました。三日くらいかかりました(笑)。ちなみに作詞者はシンガーソングライター、あいみょん本人。
折角の機会ですので、打ち込みソフトで音符付きにしてみました。シンコペーションする同音反復する音と、ずれないで拍の始まりから力強く堂々と述べ立てるような二分音符がとても印象的。「もう~離れないで」の部分。
すぐ前の「あの日の恋」で歌唱部分の最高音が出てきますが、ここがクライマックス。楽譜を見ると一番高い音と低い音に注目すると、音楽的に最も大切なクライマックスがどこなのかが一目瞭然なのです。
わたしはクライマックス、When you looked like a swaying marigoldとしました。
歌えるでしょうか。早口で一気にまくしたてる部分が難しいかも(笑)。Days of Lovesickからの部分とか。
自分の訳した歌詞、口ずさむととても楽しい(笑)。
翻訳歌詞分析
英語は少ない言葉で多くの意味を伝えることができることが多いので、日本語の短い言葉では英語に訳すと音楽に合わせる音が足りなくなってしまいます。
日本語を英語に置き換えるだけでは文章が短くなります。
隙間だらけになってしまう歌詞の音の足りない部分を補うのが大変でした。
逆に英語歌詞を日本語にすると、言葉足らずだなあと感じます。思いきり歌詞の意味をまとめて削らないといけないことが多いです。
「風の強さがちょっと心を揺さぶりすぎて」
「My heart has been blown away」で「心が揺り動かされた」。Blow Away「吹き飛ばす」ですが、これだけのインパクトがあったのだと解釈しました。
揺れているのは「僕の心」であり「野に咲き乱れる色とりどりのマリーゴールド」なのだなと改めて確認。
Swayingでゆらゆらと揺れている、風になびいている。Shakingは地震や強風などの強い力に無理やり揺らされているです。ニュアンスが違います。
「風の強さがちょっと」というのは彼女に見とれている自分の心が揺れているからで、この場合はShakeのような物理的な強さではないと私は思います。
「でんぐり返しの日々」
素晴らしい比喩表現。こういうのはとても訳しにくいのですが、要するに滅茶苦茶に心乱れた日々ということ。Hecticとか、Upside down days とか、Chaoticなどがすぐに思い浮かびました。
別のサイトで、Topsy-turvy(逆さまに、逆に、めちゃくちゃに)と訳されていて、非常に「でんぐり返り」という日本語表現にふさわしいなと思いましたが、そのまま借りてきてはWord Plagiarismです。
あまりよく使う表現でもないですし。
なので意訳して、Lovesick(恋煩い)としました。彼女のことで頭がいっぱいで、ほかのことが手につかない。でんぐり返りのような日々ですね。
そして強がってみるのではなく、自分の弱さを見せる。相手はそんな彼の「かわいい」部分が好きになる。
わたしも完璧そうに見える女性が垣間見せる「弱さ」やドジだったりする「ギャップ」に惹かれてしまう(笑)。恋愛高等テクニックでしょうか。
「懐かしいと笑えたあの日」
「懐かしい」は日本語でよく使われますが、英語にはぴったりの表現がない。
辞書を引くとNostalgic なんて単語がすぐに出てきますが、カタカナのノスタルジアから想起できるように、この言葉はあまりに大げさ。老人が過ぎ去った日々を回想したり、異国での郷愁の感情がNostalgic。
この詩では失恋ではなく、彼女を思い始めた恋の始まりの頃を思い返しているので、Over somethingというのがいい。Overという前置詞で振り返るです。
「泣きそうな目で見つめる君を」
「泣きそうな目で」は、with your teary eyes。ごく普通の表現。
「見つめる君」ですが、Stareはにらんでいるという意味にも取れるのであまり好きな言葉ではないのです。だから「君の瞳に自分が写る」と解釈して、 I see myself in your eyes and you in mine としました。
翻訳って本当に解釈なのです。
まとめ
黄色いマリーゴールドの海の中に溶け込む麦わら帽子の彼女がいたという、ある夏の日の情景が目の前に浮かんできますよね。
今年枯れてしまった夏の日のマリーゴールドはまた翌年、新しい花を咲かせます。種を大地にしっかりと落としたのならば。
でも去年のマリーゴールドの思い出は今年のものとはまた違ったものでしょうか。
古びた麦わら帽子色のマリーゴールド。いつまでも忘れえないものですね。
こちらはこれからマリーゴールドの季節になります。