Deep River 深い河と Goin’ Home 家路
車での通勤中にはクラシック音楽専門のラジオを聞きますが、自分がよく知るある歌のとても素敵な編曲の録音に出会えたので、記録しておきます。
黒人霊歌 Negro Spirituals の Deep River。
日本語では「深い河」として知られています。
カトリック小説家の遠藤周作(1923-1996) 最晩年の名作の題名はこの歌からとられています。
Negroという英語の言葉は差別用語だと言葉狩りの対象として最近は使うことが憚られますが、霊歌はこういう蔑称で呼ばれていた黒人たちの魂の歌です。
わたしは現代風に単にSpirituals と呼ぶよりも、あえてNegroという言葉を添えて、この素晴らしい音楽遺産を讃えたい。
黒人霊歌とは
黒人霊歌はアメリカ合衆国の南北戦争以前のアフリカ黒人奴隷制度で奴隷労働を強いられた人たちが何世代にも亘って口承で歌い継いできたものが今に伝えられているのですが、ヨーロッパの影響を受けたアメリカ大陸のキリスト教会の聖歌のスタイルの歌が黒人たちの手によって独自に創作されたものです。
後の世のジャズやゴスペルのように黒人の歌と西洋音楽の融合から生まれたものですが、歌詞のなかにアフリカ出身の奴隷生活の悲哀が深く刻み込まれているのが特徴。
キリスト教の聖歌なのですが、ほとんどの歌が辛い地上から虐げられている私たちを救い出してくれと希求する歌が特徴。
天国の喜びをハレルヤと歌う歌もあります。
でも彼らの喜びはこの地上で信仰によって救われたからではなく、いつの日にか天国に行けるという希望ゆえの喜び。
キリスト教信仰は生まれ変わって心に天国を抱くことを教えますが、この世の隷属からの解放を願う歌は美しいメロディのなかで悲痛な思いに満ちています。
白人の聖歌が19世紀のAmasing Graceのように救済された喜びを歌うのに対して、黒人霊歌はSteal away (白人の主人の所有物でしかない自分を盗み出してくれ)と歌う。
そういう暮らしを強いられていたアフリカから無理やり連れてこられた黒人たちの子孫が歌い継いできた魂の歌が黒人霊歌なのです。
バーバラ・ヘンドリクスの名唱
わたしは学生時代にアメリカの黒人ソプラノのバーバラ・ヘンドリックスの黒人霊歌集をよく聞いたものでした。
引用した上の二曲は黒人霊歌の中でも特に有名な歌。
時には母のない子のように
静かに揺れよ、優しい馬車よ
どちらも奴隷黒人たちの過酷な現世の生活を深く投影していると言われています。
アメリカに渡ったチェコの作曲家
という歌に感銘を受けて交響曲を書いたのは、中欧のチェコからアメリカに請われて渡ったアントニン・ドヴォルザークでした。
アメリカのニューヨーク・ナショナル音楽院に客員教授として破格の報酬において招かれた作曲家はアメリカ独自の民謡のようになっていた黒人の調べや先住民のインディアンの歌に心打たれます。
1892年から1895年まで一度の里帰りを挟んで、アメリカで3年弱を過ごしてアメリカ民謡的な音楽の書き方を学んだ作曲家は、彼自身の人生で最も充実した創作を行ったのでした。
遂にはホームシックに駆られて、あまりに巨大だったアメリカの大都市の生活から逃れるようにして故郷へと帰ってしまうのですが、黒人霊歌や原住民の歌からインスパイアされて作曲されたアメリカにおいて作曲された名曲の数々の郷愁の調べは黒人霊歌の祈りにも通じる深いものです。
のちに世間を席巻する黒人作曲家スコット・ジョプリンの最初のラグタイムが出版されたのは1895年で、あと数年ドヴォルザークがアメリカ滞在を続けていたならば、のちのジャズの萌芽を目の当たりにして、スラヴ舞曲とは違ったアメリカ風ダンス音楽を作ったのではなんてことも空想してしまいます。
ドヴォルザークのアメリカとは、祖先の地を夢見ていたであろう黒人奴隷たちと同様に、郷愁なのです。
家路
家路という題名で日本ではキャンプで歌われる新世界交響曲の第二楽章の感動的な歌が導いてゆく家とは天国のことです。
苦しみに満ちた現世からの解放への願いが込められた歌であり、ただの帰郷の歌ではないのです。
本当の家に帰る
辛い思いの中に生きている人の心に寄り添う。
家は安らぎの象徴。
だから家に帰りたいと歌うのです。
キリスト教信仰とは、エジプトの地で奴隷として暮らしていたユダヤ人を約束の地のカナン (パレスチナ) へと導いたモーセの教えに基づいている思想。
苦しみからの救済が宗教的核心であり、同じテーマが何度も何度も繰り返されるのが聖書の特徴。
モーセの死後の指導者ヨシュアは荒野を彷徨うイスラエルの民を導いてヨルダン側の向こう岸の乳と蜜の流れる土地と呼ばれたユダヤ人の故郷の地、現在のイスラエルの地へと人々へと導いてゆきます。ユダヤ王国建国後もバビロニアに虜囚として連れてゆかれて、再び故郷を夢見る。窮地から我らを救いたまえというのがユダヤの思想。
そんな旧約聖書のユダヤの民に自分達の自由なき境遇を重ね合わせたのが、アメリカがヨーロッパ諸国の植民地となり、広大な土地の労働を支えるために十七世紀より無理やり連れてこられたアフリカ人たちでした。
地上の苦しみからの解放と天国への憧れという慰めが一貫して黒人霊歌の中に流れているテーマ。
苦しい人生を知る人ほど、黒人霊歌に共鳴するわけなのです。
「深い河」
「深い河」もまた、典型的な黒人霊歌。
この歌もまた、家に帰りたいという歌。深い河は終えて行かなくてはいけない障害の象徴。
この歌は低い音域の声で歌われるのがいい。ソプラノ歌手の華々しさは似合わない。
バッハが受難曲で最も感動的な深い歌を歌わせたのがアルト歌手だったように、このDeep River もまた、アルトの音域で歌われるのです。
でも男性にはアルトの音域は一般的には高すぎるので、わたしが新しく見つけた録音では、カウンターテナーによって歌われています。ソプラノの音域も歌える歌手が高い声を抑制して歌っているのが素晴らしい。
とても素敵な編曲です。これがラジオから聴いた曲。
普通のよく知られた編曲による「深い河」では、マリアン・アンダーソンが圧倒的です。
黒人と白人が対等でなかった時代のアメリカで黒人歌手として初めてメトロポリタン歌劇場で歌った歌手。
バッハやマーラーなどに優れた録音を残してもいて、クラシック音楽界でも大活躍されました。
アンダーソンの美声は忘れ難いものです。
わたしが高校生の頃に黒人霊歌に惹かれたのは、全く楽しくない高校生活を送っていたから。
神様、私たちを救い出してくださいと祈る黒人霊歌に心から共感できたからなのでしょう。
自分にもこういう辛い時代が若い頃ありました。
こういう歌に共感できるような人生体験を送ってこれたことに今となっては感謝しかありません。
苦しみへの共感、それが人を宗教への傾倒を促す最大の動機なのでしょう。あの頃、分かりもしないのに、聖書を読んでみたりもしたものでした。
十字架刑を受けて自分の罪のために死んだ救世主に共感して感謝するのがキリスト教の信仰なのに、キリスト教国があれほどに排他的な奴隷制度を容認してきたという歴史的事実は看過できるものではありません。
そしてそんな奴隷の国で奴隷たちに歌われた歌。
時々成功した人生ばかりを送ってきて、人の痛みに共感できないという人に出会うことがあります。
そういう人生もまた、その人なりの人生なのですが、わたしはヨルダン川の向こうにあるという幸せな土地を夢見る人の想いに感情移入出来る人生を送ってこれたことを誇りに思います。
祈る歌は無条件に美しい。
最後に天国にあるという、自分達も自由に住める美しい街を歌った歌。
ここには絶対に手に入らない憧れと理想と夢を音楽に託すのです。
そんな人生、哀しいけれども、そんな人生もあるということを思い出して今の自分の幸福を忘れないでいたいのです。
帰るところの歌、きっとみんなここに帰ってゆく。そんな歌なのです。
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