AI時代の文章術
Note公式企画にインスパイアされた投稿第二弾です。
1万5000字ありますが、画像もたくさんあり、いつもよりも工夫をして分かりやすく書いたつもりですので、すらすら読めるはずです。
楽しんでいただけると嬉しいです。
今回はプロ編集者の竹村俊介さん。
2024年10月現在、ほぼ3万人の方がフォローしているのは、竹村さんが素晴らしい文章の書き方を伝授してくれているから。
素晴らしい文章の「素晴らしい」は、さまざまかもしれませんが、
を竹村さんはご自身のブランドとして活躍されています。
わたしはNoteを始めたばかりの頃に(2021年)、竹村さんのNote書き方指南の記事に何度か出会い、
と心から感心しました。
note は400字詰めの原稿用紙でも、A4サイズのマイクロソフトワードではないために、全く別のスタイルで文章を書かないといけないのです。
読まれるデバイス(媒介)が異なれば、読みやすい文章も変わります。
最近Noteでは、上から下へとスクロールして読む狭いスマホに最適な書き方として、文を文節で区切って改行された文章が流行っています。
スマホで読むのに最適な改行で、読者本位のようのですが、そのような文章は、美しい日本語ではありません。
あるインフルエンサーさんが奨励されていた書き方らしいですが:
文章を
読みやすく
するために
文章を何度も改行
たくさんスクロールできる
スマホを
スピーディーに
読めるような
工夫!
これが読まれるコツで
十代のフォロワーを
増やすコツだと
インフルエンサーさんは
言われます
さらに段落の間にもっと
スペースをとりましょうだとか、
なんたらかんたら etc. etc.
読みやすいですか?
ああいやだ!l
こんな文章大嫌い!
読みたくない!
こういう書き方がもうNote中にコロナのように蔓延していて、言葉は、情報を伝えるための記号・道具にしか思えない。
だったら、もう文章、書かなくていいですよ。
音声を送る機能が note には備わっているし。
声を送ることにすればいいのかも。
文章を書くことがしんどいならば、音声にすれば?
当のインフルエンサーさんも、スマホ書きが流行しすぎて、インフレ状態にあるとさえ、認めておられます。
こういう書き方で書かれたNote記事に出会うと、もしかしたら意味深い内容が書かれていたとしても、すぐに閉じて読まないことにしています。
竹村さんはこんな極端なスマホ書きを奨励しません。
そこで今日紹介する、竹村さんの著書『書くのがしんどい』は、
を提案してくれるのです。
文章とは
というのが、わたしなりの竹村さんの文章術のまとめです。
竹村さんの本
雑誌作りのプロ、編集者竹村さんの読まれる文章の秘伝を、一冊の本にまとめてしまわれたのが次の本でした。
2020年秋出版。つまり4年前の本。
書きたいけど、なかなか書けないという人へのアピール力は破壊的。
書きたいけど、書くのがしんどい、と思っている人は共感して絶対に手に取りたくなる題名ですよね。
竹村さんがNoteやXに小出しにして披露されていた、誰でも文章を発表できるSNS時代の文章の書き方の奥義が詰まっています。
Kindleアンリミテッドで0円の本を読みましたが、Kindleに入っていないし、購入もしたくない、と言われる方は、竹村さんの過去記事を探されると同じような内容を読むことができます。
でも忙しくて時間がない人は、この本を少量のお金で手に入れられて、文章術の奥義を学ばれる方がコスパ高いです。
長年にわたって書かれてきた過去記事を全部読むのは大変です。
書かれている内容が全て公開されていたとしても、順序立てられていません(順序立てて読みやすくまとめるのが編集者の仕事です)。
アマゾンKindleでは、第一章は無償で読むことができて、目次を参照できるので、ぜひ参考になさってください。
本を読んでみて:アウトプット
この記事は、わたしの復習のためのアウトプットです。
でも竹村さんの書かれたことを鸚鵡返しに繰り返したり、ネタバレまとめにするだけでは、芸がないので、この本の内容を、わたしなりに咀嚼して
という形にアップデートして、わたし流に換骨奪胎して再編成して書いてみたいと思います。
大量言語モデルの時代
2020年代は、大量言語モデル(チャットGPTなど)が普及した年代として、後世に記憶されることになるであろう、新しいパラダイムシフトの黎明期です。
今もなお、新しい時代への過渡期。
ウェブ進化論が盛んに語られたのが
と呼ばれるウィキが一般化して、新しいソーシャルメディアがさかんに登場した頃でした。
2010年ごろですね。
誰もがウェブページのコンテンツを気楽に作れるようになった時代に、来るべき
への待望論が熱く語られました。
それから十数年。
ググって検索しなくても、AIに尋ねると、答えをまとめて提供してくれる時代が到来しました。
時代は変わったのです。
だからSNS時代(WEB2.0)のための文章術は、たった4年しか経ってはいないけれども、残念ながら、いろいろ古びてしまっている。
しかしながら、AI時代(WEB3.0)の文章論はあくまで、ネット時代の文章論の延長上にあるものです。
いわば、SNS時代の文章術を書き直して、上書き保存して出来上がっているものがAI時代の文章術。
ですので『書くのがしんどい』は2024年に読んでも価値があります。
そして、SNS時代の「伝える文章」テクニックは今後、AIの時代にどれほどに変わってゆくであろうという考察(予測)を考えることに、わたしにとっての最も貴重な学びがありました。
「書くのがしんどい」の学び
<1>書くのがしんどい」か?…Not
わたしは仕事では英文ばかり書いています。
だから仕事を離れて、母語である日本語を note で書けることが楽しくて仕方がない。
放っておけば、何万字でも書けてしまいます。
書きたいことがいくらでもあるのです。
英語ではAIや辞書に頼りながら書かないと、ネイティヴに負けない文章は書けませんが、日本語ではすらすらと書けてしまう。
ああ、日本語って素晴らしい(母語だから😆)。
わたしには書くことはしんどくはありません。
英文ならばしんどいのですが(笑)。
『書くのがしんどい』というタイトルに特に惹かれませんでしたが、
に興味があり、本書を手に取った次第です。
また英語で書くことはしんどいなという思いはいつまで経っても払拭できないので、本書はやはり意味深いものでした。
<2>何を書くべきか
『書くのがしんどい』は
と、コンテンツを作ることの「しんどさ」へのメンタルブロックを取り払う言葉から始まります。
書けないのは、新しい知識を作らないといけないと悩んでいるから。
でも、創作するのではなくて「見たこと聞いたこと」をレポートする「メディア」になれば、いくらでも書けるということです。
プロ編集者の竹村さんはさらに、
と言われて、良い編集者になる方法を語っておられるのが『書くのがしんどい』です。
皆さんのnote のアカウントには個性がありますよね。
あなた自身の全ての人格が表れているわけではなく、あなたの特定の部分が傑出しているのが、あなたのアカウント。
書くべきは、あなたの得意分野のこと伝える雑誌記事というわけです。
論文や書下ろし小説ではなく、ニュースやコラムやレポートでいい、というわけです。
わたしの場合、自分の得意分野:
海外文学
英語などの語学への専門的知見
クラシック音楽などへの本格音楽解説と批評
についてかなり専門的な込み入った内容を、ある程度以上の教養ある方のために書いています。
ときどき、親しみやすさを加えるために、わたし自身の体験や人生感を交えながら。
語学やクラシック音楽や西洋史の専門書を英語で読んで、そのことをアウトプットしているのがわたしの note です。
ですので、わたしが雑誌編集者ならば、わたしが発行している雑誌は、音楽専門誌「フィルハルモニア」や、月刊「英語の楽しい学び方」といったところですね。
得意分野について書いたものが溜まってきて、雑誌として立派になってくると、それがあなたのブランドになるというわけです。
note には、あなたの記事をブランドにしましょう!などと言う有料記事がたくさん売られていますが、『書くのがしんどい』を読むとそれらの記事を読んでブランドの作り方を学ぶ必要は一切なくなります。
わたしはクラシック音楽初心者ではなく、もうすでにクラシック音楽に興味を持っておられる方に、よりクラシック音楽を楽しんでもらえるような蘊蓄を披露しています。
わたしは長文投稿をします。
この記事のように一万字を超えるような記事をざらに書いていますが、それでも幸いなことに良い読者に恵まれて、どの記事もたくさんのスキをいただいています。
嬉しいことですね。
『書くのがしんどい』では、特定の読者層を設定して書くことは「虫めがね理論」と呼ばれています。
虫めがねで太陽の光を集めて一点だけを焼くと次第に燃え広がってゆくという比喩で、ピンポイントな読者のために書くことは理想的な読者獲得方法だと書かれているのです。
この点では、わたしは自分のブランドを確立できていて、自分のマガジン(記事)をいつも読んで下さる固定読者のフォロワーさんに恵まれてて、成功しています。
ですので、自分は
などと言う書き方はしないで、いきなり
という具合に、クラシック音楽への知識が乏しい人にはさっぱり分からない内容をいきなり書き始めます、
この文を理解できる前提となる教養を持っている読者を想定して書いているのです。
初心者を想定読者としているならば、バッハの大傑作「ゴルトベルク変奏曲」とはどのような楽曲であるかを、しっかりと解説しないといけません。
『書くのがしんどい』は、自分が書きたいことが相手の読みたいものではないと力説します
これはとても大事なことなので、わたしの読者層が何を喜んで読んでくれるであろうを常に忘れることなく、わたし自身にも学びになる内容を書いているつもりです。
全ての人のために書くのは、誰のために書いていることにもならない。
この特定の読者が喜んでくれる、喜ばせるものを書こうという意気込みが大事。
好きなことについて書いて、同じ偏愛を共有してくれている仲間に楽しんでもらいたい。
つまり竹村さんのいうところのマガジンとは「同人誌」であり、note ではメンバーシップという形で、このような書き方が奨励されています。
わたしもメンバーシップ開設の準備をしています。
今書いている本が出版できれば、メンバーシップを公開して、いつも私の記事を読んで下さる方を紹介してみたいと思っています。
まとめ:何を書くべきか?
コンテンツメーカーではなくメディアになろう
メディアで伝えるコンテンツは、自分の得意分野への知見を共有してくれている読者を想定して書こう(ピンポイントに読み手を選ぶ)
取材(リサーチ)しよう・自分のことは書かなくていい = 雑誌の名編集長になろう
<3>いかに書くべきか
さてここからが文章論のキモ。
note 有料記事のタイトルを読むと、書き方指南の内容の記事がたくさんありますが、おそらくすべて『書くのがしんどい』に書かれている内容です。
まず誰もが語る内容は:
短い文章を書け
長い文章は読みにくい。
過剰な修飾語を削れ。
記事全体で10%削れ。
結論を先に述べる
起承転結ではなく、結論を書いて、そのあとに具体例と挙げて説明と補足解説。
ということですね。
誰でも文章が書ける時代で、誰でも文章を発信できてしまう。
読んでもらえるだけでも、大変なことで、ありがたいこと。
だからこそ、読みやすい文章で考えなくても読める文章を書くべき!ということです。
文学的に凝った文体や文章は、自分の名前が売れるようになってから、特定の読者ができてからにしましょう、というわけです。
まずは「読まれる文章」を用意せよ。
そのうえで、どのように読み手を引き付けるか?のテクニックですが、『書くのがしんどい』では
の内容になるようにとのアドヴァイス。
具体的なやり方は本書に譲りますが、わたしの記事の例を引いて説明してみます。
ひとは自分が共感できると嬉しくなります。
人は人とつながりたい。
だから共感こそが人と人を繋ぎます。
わたしは自分の偏愛について、noteで語り、自分の好きなものを同じように好きな人と交流し合えることが楽しいのです。
noteのスキは文字通りに「共感=スキ💛」なのですから。
だからより共感してもらえるように、誰もが知っている共感できるような内容を情報(コンテンツ)に付け加える。
これがとても大事。
『書くのがしんどい』では、
を「たとえ」に使いましょうと言われます。
また一般化ではなく、自分だけが知っている固有名詞を付け加えることで、情報に信憑性を高めることもできるとも書かれています。
『書くのがしんどい』では推理小説の犯人しか知り得ない具体的な情報と喩えられています。
先日、こういう記事を書きました。
YouTube動画に短文の言葉を添えることを日記代わりに毎日続けていますが、長文志向のわたしには、800字から1000字ほどを添えるのが丁度よい長さの良い「つぶやき」です。
この程度の量ならば、誰でもすぐに読めてしまう。
どんなにマニアックに内容が濃い文章で書かれていても、ほとんどの人は読み通してくれる長さだと思います。
さて、例に使うこの記事には、音楽の専門家にしかわからない知見も含まれています。
ですが、初心者でもわかるであろう要素も絡めることで、親しみやすくしました。
読ませるための創意工夫としては
有名曲の選択:曲名は知らなくても、誰でもどこかで聞いたことがある曲を選びました(どの内容を書くかで、どれだけ読まれるかが、最初から決まります。マニアックな曲の場合はスキの数が減ります)
「バッハは日記。バッハは米の飯。バッハは朝の挨拶。バッハは毎朝の散歩」という具合に、バッハがわたしの日常の一部であることを「半径3メートルのたとえ」で表現しました。
「C-Dm-G7-Cの『2-5-1』の基本形から、Am-D7-G-Cと五度進行で八小節のユニットでスルスルと流れてゆき…」は、この曲を何度も演奏している自分にしか知り得ない情報です。「2-5-1」(II-V-I)はジャズのコード進行の基本。これは音楽通の方なら知っているという蘊蓄で「犯人だけしか知り得ない情報」。またエリック・サティ(固有名詞)との関連もウケたでしょう。
でもわたしの記事は
ではなく、
くらいですね。
でも、それでもいいのです。
それがわたしの「雑誌」の個性とターゲット読者層へのメッセージなのですから。
もしクラシック音楽の初心者が想定読者であれば、やはり「共感八割」が絶対に正しいです。読んでもらうための文章にためには。
そういうものを note で書こうと思ってはいませんが、クラシック音楽の初心者に読んでもらう「アカウント」を作るならば、絶対に「共感八割」で書くと思います。
『書くのがしんどい』では、作者竹村さんは、自分も書くのがしんどい、だから自分はどうしたらしんどくなることなしに書けるかを考えました!と、優秀な編集者である自分を卑下して
という姿勢を読者に見せることで、本自体が「共感八割」になるような構造で本を作られています。
うまいですね!
『書くのがしんどい』では、具体的な書き方指南のさらなる例を読むことができます。
また『書くのがしんどい』は読んだ相手にどんなことを感じさせるかを最初から想定して書くことにも言及されています。
竹村さん曰く
を考えよといわれます。
この言葉は、わたしには目から鱗でした。
これまでたくさん書いてきましたが、相手の気持ちになって考えたことはあっても、ここまで扇動的な文章を考えて書いたことはなかったからです。
文章は、読み手の心を 「Manipulate =操る」道具!
さらに、悪用はイケマセンと断ったうえで、コラムで詐欺の典型的な手口の例が読者を惹きつけると紹介されています。
文章の上手な奴は嘘つきだ!というのは真実です。太宰治とか(笑)。
新興宗教勧誘のテクニックや、メンタリストの舌先三寸のテクニックを知らないと、知らない人に自分の文章を読ませるプロにはなれないということが示唆されています。
文章道は深いですね。
次の記事では、これに類する内容が無料で公開されています。
好きなことについて夢中で書ける人はライターに向いています。
でも読者にもっとよく読んでもらえるようになるためのテクニックを知っていると、一段上に進んで、より多くの読者を獲得できるライターになれるということです。
「読者へのラブレターのような文章」を書きましょう!とも書かれていました。
わたしは自分の音楽や文学への偏愛を語っています。
わたしの文章は、きっとラブレターです。
思いを届ける道具が文章。
読み手を操る文章ではなくて。
でも自分の偏愛に共感できない人に読んでもらうためには、読者の関心を惹きつけるテクニックが必要。
ラブレターだって、ハウツー本がたくさん出版されているのですから。
でもラヴレターは当事者以外が読むと気恥ずかしいものです。
ラヴレターをもっと一般向けに読めるようにする方法。
それがSNS時代の文章テクニックでしょうか。
AI時代の文章論
竹村さんが喝破されたように、note で記事を書いて情報発信している、わたしたちの誰もがメディアです。
でも「自分がメディアである」という自覚を持っておられる方は、あまり多くはないことでしょう。
『書くのがしんどい』とは、ただの文章論ではなく「優れたメディアになるための方法論」なのです。
でも
という言葉もあるように、優良メディアと、そうでないメディアがあります。
ミスコミュニケーション、フェイクニュースが氾濫する現代。
チャットGPTでも、学習データが不足していた3.5の頃には、情報量が足りない事案に関しては平気でサラサラと嘘をつきました。
学習データが格段に増幅されたGPT4oになっても、ネット上にはない話題についてはうまく答えられません。
メディアは嘘をつく。
もしかしたら私たちも、知らずに嘘を書いているのかもしれません。
SNS時代は誰もが手軽に情報発信できるけれども、個人出版なので、書いた内容を、編集して校訂して吟味して正しさを検証してくれる人はいないのです。
この点は『書くのがしんどい』には書かれていませんが、偽情報やデマを飛ばしてしまうことへの危険性をわたしは絶えず忘れないでいます。
こんなことを語ると、ますます書くのはしんどくなるので、竹村さんは『書くのがしんどい』では、あえて書かれなかったのでしょうが。
読まれる文章の全てがチャットGPT化してゆく時代のあなたの個性
さて、ここから私独自のAI時代のメディア論です。
わたしたちメディアは面白い情報を発信しないといけません。
面白くないと読まれない。
だから人に取材してコンテンツをあつめることがメディアの王道です。
でもわたしの場合、人を取材してコンテンツを集めてきたりはしません。
わたしの情報収集方法は、
大量言語モデルの活用(ネット上で無料で公開されている情報は、これでほぼすべて集まります。チャットGPTだけではなく、マイクロソフト社Copilotや、グーグル社のGeminiや、メタのLlamaなども活用しましょう。同じ質問をしても、どのAIからも同じ答えが返ってこないのは、AIの学習データの量と質が異なるからです)
デジタル化されていない紙の本の活用(現在では多くの本や資料がデジタル化されていますが、電子化されていない貴重な情報はいくらでもあります。またデジタル化された貴重な情報は一般公開化されているとは限りません)
わたしは現在、大作曲家ヨハン・セバスティアン・バッハについての本を出版のために書いています。
調べれば調べるほど、分からないことが出てきますが、ネットでは欲しい情報が得られない場合、大学図書館に行きます。
大学図書館では専門書が利用できて、紙の本を徹底的に調べることで、やはり自分がこれまでに知らなくて、ネット上では見つけることができなかった情報を見つけることができるのでした。
たとえば、次のような絵画、クラシック音楽がお好きだといわれる方、これまでにご覧になられたことがおありでしょうか?
正真正銘、ヨハン・セバスティアン・バッハの最晩年の肖像画。
バッハの弟子ヨハン・キルンベルガーが師バッハの死後、エリアス・ハウスマンによって書かれた有名な1746年の肖像画をもとに、クリスティアン・リシエウスキーという画家に描かせたものです。
キルンベルガーは、プロイセン王国のフリードリヒ大王の妹で、古い歴史を持つ女子修道院の院長だったアンナ・アマルア皇女(バッハの音楽の熱烈な愛好家)の私設宮廷の楽長として、バッハの音楽をベルリンに伝えた人でした。
キルンベルガーや別の弟子アグリコラ、バッハの息子カール・フィリップ・エマニュエル、ヴィルヘルム・フリーデマンらがベルリンに集ったために、バッハの音楽は死後も忘れられることなく現代にまで伝えられたのでした。
キルンベルガーの弟子の一人が、のちにモーツァルトやハイドンに、バッハやヘンデルの音楽を伝えることになる、有名なヴァン・スヴィーテン男爵です。
1783年のキルンベルガーの死後、絵画は皇女の所有となり、プロイセン王国の財産となるのでした。
しかしながら、第二次世界大戦の戦場となった第三帝国の首都ベルリンに置かれたままで疎開されていなかった絵画は戦災で焼失。
したがって上記のようなモノクロな写真でしか、この絵画は今日に伝わっていないのです。
ネットでこの絵画をこのような高画質画像で見つけることはできません。
この画像はバッハの最新写真集から、わたしがアイフォンでスキャンしたものです。
ドイツ語、英語のサイトでバッハについて詳細に調べてみましたが、この絵画についての情報はネット上では見つかりませんでした。
紙の本の中にだけ、書かれていて、埋もれていた情報です。
チャットGPTにも、詳細な情報を質問の中で与えたうえで、ようやくこの絵画の最低限の情報をみつけてくれましたが、ネットでは見つからない情報、いくらでもあるのです。
また、チャットGPTは優秀ですが、鏡のような存在です。
質問に応じて回答してくれますが、優秀な質問には優秀な回答が返ってくる仕組みです。
つまり馬鹿な質問には、馬鹿な回答しか返っては来ないのです。
チャットGPTを有能に使いこなせる人は、上手な質問が書ける人です。
これが次世代の文章術のキーワード。
AIをどれほどに使いこなせることが、次の世代の優秀なライターの条件になるはずです。
これからますます、チャットGPTで取材してきて書かれた記事が note でも、さらに人気を持つようになります。
でも
AIが書いた文章には個性がない。
人間味に欠ける文章ばかりが生成されます。
ミネラルの含まれていない蒸留水のようなもの。
飲めるけど、不味い!
『書くのがしんどい』のなかで、文章を削る方法論を読みながら、
というのが、わたしの率直な感想でした。
つまり、四年前に書かれた『書くのがしんどい』で竹村さんが提案されていた書き方は、チャットGPTで推敲(Proofread)させたような文章を、書いてみましょう、ということだったのかもしれません。
もちろん四年まえには、チャットGPTはまだありませんでしたが、チャットGPTはSNS時代の文章術を極めつくしているのです。
したがって、SNS時代の文章術に則ったような、読みやすい文章を書けば書くほど、わたしたちの文章はチャットGPTの文章に酷似してしまいます。
わたしはよく
などという大袈裟な表現で文章を書きます。
19世紀初頭に完成したモダンピアノの特性を強調する意味で、わざわざ「という」を足して、ピアノの特殊性を強調します。
ですが、『書くのがしんどい』で奨励されている、中学生にでもわかる、誰にでも読まれる文章にしたければ
となります。
なんてつまらない文。
AIに無理やり「ピアノは」を「ピアノという楽器は」などのように冗長に大袈裟に書けと指示すると、指示通りに文章を器用に書き変えさえもしてくれます。
人である我々のだれも、大量言語モデルには敵わない。
SNS時代の文章術を完璧に学習していて、分かりやすい文章を書く技術を完全習得しているチャットGPTの能力は、すべての note ライターの技術と経験と能力を凌駕しています。
個性ある文章が勝つ!
しかしですね。
わたしたちがAIよりも優れた文章を書く可能性も残されています。
読みやすさ、伝達効率ばかりを考えて書くAIの特徴は、無個性さです。
AIの凄さは、読みにくさの元である、飾り立てる文章の面白さをなくしてしまうことで、完璧な読みやすさを実現させたことです。
これを逆手に取ると、わたしたちはあえて、いささか読みにくい
を書くべきなのでは。
AIに指示すると、すぐに夏目漱石や村上春樹やヘミングウェイのスタイルで文章を仕立て上げてくれますが、的確な指示がないと個性ある文章が書けないのが、2020年代のAIです。
だから誰でもライターになれる時代に、チャットGPTに打ち勝つためには、
を洗練させることがキーとなります。
文法的に正しい、飾り気のない文章ばかりを生成するAI。
実はAIは生きたスラングやブロークンな日常語などを操ることが苦手です。データ不足のためです。
マスピ顔にマスピ文
わたしはAI画像生成をたしなみますが、一時期、マスピ顔なるものものがAI生成画像界隈で話題になりました。
マスピとは、
のことで、画像生成のためのプロンプト(AIへの命令)にMasterpiece を入れると、無条件にとても美しい画像が出来上がるのです。
いつだってこの魔法の言葉を入れて画像を作ると、いつだって超美人に超イケメンの画像が出来上がり。いつだって同じ顔。
韓国の整形美人のように、誰もが同じ顔。これがマスピ顔。
そこで面白いのが、あまり美人ではない、あまりイケメンではない人物の画像を生成させようとすると、AIは上手には書けないのです。
学習データに不美人や不細工が含まれてはいないからです。
美人とは平均値であるという理由から、平均から外れた容姿はAIには苦手なのです。
AIはバランスの取れた答えを出すことに優れているのですから、
だから不美人や不細工の需要はほとんどないために、いまだにAIは不美人や不細工を書くことが苦手。
人間は多様性ゆえに面白いのに。
文章においても同じこと。
AIが生成する分かりやすい文章は、いわば
マスピ顔並みにつまらない!
AIが書いた、文意を伝えることにおいては最高だけれども、無個性で退屈な文章は読みたくない!
例えば、AIが書いた英文の小説はすらすらといくらでも読めるけど、19世紀の英国の小説家チャールズ・ディケンズが書いた英語の小説は、わたしにはとても難しい!
でもディケンズの癖ある文章、やたら長くて、句読点だらけの文章は、記憶に残る文章で、味がある。
じっくり読まないと意味不明!
AIの書いた文章は三秒で忘れてしまうけれども、ディケンズの文章は三十年たっても忘れられない。
埋もれている宝物
日本語の文章で、わたしが模範とするのは、昭和のフランス文学研究者で歴史小説家だった 辻邦夫(1925‐1999)の文章です。
いまでは若い人の多くの人が知らない、過去の人なのかもしれないけれども、わたしが知る限り、20世紀後半の日本で、最も美しい日本語を書かれていた方でした。
わたしが今もなお敬愛している、最愛の日本の小説家。
彼の著作は、エッセイに小説、ほとんど全て読みました。
今でも愛読書です。
しかしながら、谷崎や鴎外や賢治と違って、死後70年の著作権が存続しているために、ネット上では辻邦夫の美しい言葉はほとんど見つけることができません。
解禁は2069年。
最近になって「背教者ユリアヌス」や「春の戴冠」のような代表作が電子書籍として読めるようになりましたが(有料)、辻邦夫の美しい言葉をチャットGPTが見つけてくることはできません。
チャットGPTの学習データには、建前上、著作権物は含まれてはいないからです。
模倣するだけのデータとして辻邦夫の美しい言葉は、ネット上には存在していないのです。
「人となり」を伝える文章
という言葉が大好きだと、以前にも語りました。
noteで言葉でしか出会えない人たちがどんな人なのだろうと考えることもよくあります。
言葉の向こうには、人がいるのです。
言葉でしか交流できないけれども、言葉は人を伝えてくれる。
言葉遣いから、わたしはあなたの人格を感じるのです。
思いやりの深い人か、楽しい人か、面倒くさそうな人か、とげとげしい人か、謙虚な人か、マウントをとりたがる人か。
敬語ばかり使っている人は、仮面をかぶっているようで、書き手の自信のなさの裏返しであるということさえも分かります。
特にコメントを数回かわすと、その人の人となりがすぐにわかります。
どういう語彙を選ぶかで教養の程度も分かるし、職業さえもなんとなく思い浮かんで、文体や段落の構築具合から、知的レベルさえも見えてくる。
けれども、SNS時代の文章術や大量言語モデルの言葉には、顔がない。
SNSとAI時代の「文は人なり」から見えてくる相手の顔。
「へのへのもへじ」か「のっぺらぼう」。
そういう文章は読みやすい。
でも誰もが同じに見えてしまう。
韓国美人やマスピ顔のように。
情報を分かりやすく伝える手段としての文章。
これはとても大切です。
『書くのがしんどい』の竹村さんの文章は読みやすくて分かりやすい。
でも退屈です。
だからチャットGPTを思い出したのです。
竹村さんの名誉のために書いておけば、当の竹村さんが小説を書かれるとすれば、あのような文体では決して言葉を紡ぐようなことはされないはずです。
村上春樹がお好きなようなので、わたしが好きな文体で書かれないかもしれませんが(笑)。
竹村さんの文章はプロの編集者の文章。
最少の言葉で最大量の情報を伝えて、読み手を飽きさせずに読ませる文章。
でもわたしには、昭和時代に翻訳された、ドストエフスキーの悪文が懐かしい。「未成年」いまだに読めていないけど。
ああいう文章にこそに、味わいがある。
英語の大文豪ディケンズのように。
でも文章を読み解く時代ではなくなってしまったのがAI時代。
伝えるための文章は「へのへのもへじ」。
「へのへのもへじ」こそが理想の文体。
でもあなたの言葉から、あなたの個性を読んでみたい。
読まれるための理想の文章が変わり続けているように、読者の読書術、読書能力も変わり続けています。
昭和の辻邦夫を読んでも、辻邦夫の死後に生まれた、21世紀生まれの新世代には、辻邦夫の美しい日本語は美しいと思えないのかもしれません。
美しい言葉と文章は、伝えるための文章論には必要ないのかもしれませんが、わたしは美しい言葉で語り伝えてほしいと思う。
あなただけしか知らない、あなただけの物語を。
まとめ:
チャットGPTが見つけることができない情報を探してこよう
取材してみたり、
図書館などで古い本を読んで、ネットでは見つけることができない、貴重な情報を探し当てる。古い図書館は宝島です。
個性ある文章が復権する時代がやってくる(わたしの願望)
チャットGPTの文章(伝えるために切り詰められた文章)は、へのへのもへじ
個性的な美しい文章は、著作権保護された作家たちの中に
あなただけが書ける文章、相手にあなたの人格が伝わる文章を書こう
以上がわたしの『書くのがしんどい』の読書感想文を兼ねた、AI時代の文章論でした。
批判的なことも書きましたが、竹村さんの『書くのがしんどい』を読むことは素晴らしい読書体験でした。
ぜひとも手に取られて読んでみてください。
何気なく読めば数時間で読めてしまう本ですが、わたしは六日かけて読みました。毎日一章ずつ、熟読しました。
それだけの価値がありますよ。
読了ありがとうございました。
ご意見、ご感想、コメント欄でお待ちしています。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。