午後の森林浴: ニュージーランドの原始林にて
平日の水曜日の午後に休暇を取り、子供たちを習い事に行かせて、待ち時間に、一人だけの貴重な時間を費やして、滅多に行かない街中の原生林保護区を歩いて回りました。
街中の原生林
5.3ヘクタールの小さな土地なのですが、車が多く行き交う街中の道路に囲まれた土地の真ん中に存在する森なのです。歴史的にも意味深いものです。
もともとは200ヘクタールを超える大きさの広大な森だった敷地の中のほんの一部が、いまもこうして自然公園として保存されているのです。
ここから入ります。街中の普通の道路の脇の歩道から誰でも入ることができます。
見上げると
さほど広くはありません。高い木々が天を覆うのです。
15分で反対側に出れてしまうという広さ。一周しても半時間。素敵な散歩道。
低木の部分はこんなシダだらけの原生林。
太古の恐竜でも飛び出してきそうな雰囲気。
薄明かりの森に差し込んだ光が照らし出した、滑り止めのゴムが敷かれた歩道は、まるで影絵のよう。
木々のあいだに木洩れ落ちた日は緑の葉を照らして輝き、時の止まったような、不思議な想いを計らずも体験しました。
原生林の樹高は大変な高さで、上方から響いてくる蝉の声もとても遠いのでした。
きっと森の中は、わたしの知らない貴重な虫や小動物の棲み処にもなっているのでしょうね。
ニュージーランという古代大陸の名残りの島国
原生林の樹々はカヒカテア Kahikatea と呼ばれるニュージーランド固有の針葉樹。地球上に恐竜の生息していたジュラ紀から沼地などに生えていたというもの。
この土地も、もともとは沼地っぽい湿った土地が、周りの地域の開発によって程よく干上がり、現在のような形の原始林が街中に残されたのです。
カヒカテアの森は、古くよりこの土地に住んでいたマオリの人たちにも文化的に意味深いものだとか。
ニュージーランドは、しばしば簡略式の世界地図などでは巨大なオーストラリアの隣に描かれると小さな島国であるために、しばしば省かれてしまったりもしますが、国土は日本列島の四分の三もあるかなり大きな島国です。
人口は500万人ほどなので、日本の人口の20分の一程度。ですので一人当たりの土地は相当な広さで、大きな国です。
ニュージーランドの動物相Fauna や植物相Flora がオーストラリアと全く違うのは、ニュージーランドはオーストラリア大陸から分離した島ではなく、8000年以前もの昔、日本列島さえも形成される以前には、別の大陸に属していたからです。
したがって、他の大陸の影響を受けることなく、太古の土地が保存されて、恐竜時代のようなシダ植物の原生林をニュージーランドの至る所で容易に見つけることができるのです。
現在でも大人気の恐竜映画「ジュラシックパーク Jurassic Park」の映画撮影ロケ地に選ばれたことは当然のことでした。自然そのままのシダ林を撮影すれば、何もしなくてもジュラ紀の世界が映画の中に現出するのです。
映画の舞台はカリブのニカラグア沖の孤島という設定でしたが、実際に撮影されて、映画で見ることのできる風景はニュージーランドそのものなのです。もちろん恐竜はCG。
森林浴の科学的効用
わたしはときどき、あてどもなく森を訪れます。
街中を散歩することは好きではないけれども。
森林浴は癒しに通じます。
森林浴の効用は、いまでは科学的に証明されていて、緑を観て、緑の中に包まれていることでリラックスすることができるならば、ストレスホルモンであるコルチゾールが体内で減少すると言われてます。
森の緑の中の心地よさは、脳内麻薬のドーパミンやエンドルフィンをも誘発してくれるかもしれません。
私の大好きな作曲家のベートーヴェンは、森を散策するのが大好きだったと伝えられています。独りで森を彷徨い、楽想が頭に浮かべば、いつも持ち歩いている作曲帳にすぐにも書き留めていたのでした。
森や田園でのインスピレーションは、作曲家の代表作である、田園交響曲作品68やピアノソナタ「田園」作品28などを生み出しました。
直接に森や田園という表題を持たない音楽もまた、ベートーヴェンにおいては自然から生まれた音楽。ハプスブルグ帝国の首都ウィーンに住みながらも、ベートーヴェンの音楽が都会的なものを感じさせないのはそのためです。人の声よりも森の声を聞いていた人でした。
わたしは森の中で孤独を感じません。人と人との間にあるのが孤独。
と三木清 (1897-1945) は書きましたが、ベートーヴェンも同じ思いを味わっていたことでしょう。
光あふれる昼間の午後の森は本当に豊かですね。