音の観光旅行:揺れる舟歌の魅力
先日はメンデルスゾーンが行った、歴史的快挙であるバッハの「マタイ受難曲」蘇演について語りました。
今回はメンデルスゾーンが作曲した家庭用ピアノ音楽について。
家庭にピアノがやってくる
メンデルスゾーンが生きた19世紀の新しい音楽鑑賞方法は、19世紀社会の中核を担うようになったブルジョワ家庭に急速に普及した「家庭における」ピアノ演奏でした。
19世紀は「家庭ピアノの世紀」と呼んでも過言ではないほどに、ヨーロッパの中流家庭にはピアノが浸透したのでした。
戦後の昭和日本とまるきり同じ図式です。
音源を機械的に再生することのできなかった時代の最良の音楽鑑賞方法は、家庭における演奏会。
コンサートホールではない、家庭(自宅や友人宅)で音楽を聴けることに大きな意味がありました。
庶民には手の届かない機械仕掛けのオルガン
18世紀の終わりには、機械仕掛けのオルガン(大型のオルゴール)が出現して、モーツァルトやハイドンは自動オルガンのための音楽を作曲したりもしました。
ですが、そのような大掛かりな機械仕掛け音楽は裕福な大貴族の独占物のままで、庶民の音楽鑑賞の主役はあくまで家庭ピアノだったのです。
ジブリ映画の「耳をすませば」にも、音楽を鳴らす機械仕掛け時計が出てきましたね。
ああいう手の凝った工芸品は、18世紀の終わりから19世紀に発明されたものでした。でも目が飛び出るほどに値が張ったわけです。
サロンとピアノ
没落を免れた貴族や新興成金の大金持ちが自宅に友人らを呼んで、ピアノやリートや詩の朗読会を開いたのが「サロン」でした。
サロンと呼ぶほどに大規模ではない、内輪の人たちだけのピアノ演奏会もまた、新しい時代の裕福なブルジョワ家庭の幸福の象徴のようなものでした。
高価なグランドピアノではない、比較的安価なアップライトピアノも発明されることで、誰もがピアノ演奏を習う時代となり、家庭で演奏できるピアノ楽譜が飛ぶように売れるようになります。
かつては貴族の独占物だった音楽を、ある程度の経済力があれば誰もが自由に楽しめるようになったのです。
それが19世紀!
1830年代から1840年代にピアノ練習曲を大量に出版したカール・チェルニーやフンメルやクレメンティなどは大金持ちになります。
そうした有様を「評論家」兼「売れない作曲家」ローベルト・シューマンは嘆いたりもするわけですが、ピアノの世紀である19世紀を描き出した専門書としては、音楽学者・岡田暁生氏による次の本が秀逸。
わたしの愛読書です。
19世紀にはまだ、電気による音楽再生機は存在していなかったので(エジソンの蝋管シリンダーによる蓄音機は1877年の発明ですが、普及するのは20世紀になってからのことです。
オーケストラ音楽のピアノ編曲版
したがって、19世紀の音楽鑑賞は、家庭でのピアノ演奏が基本となり、ベートーヴェンやメンデルスゾーンなどの大作曲家の交響曲を聴きたい人の需要のために、管弦楽のための交響曲をピアノ用に編曲したものが大人気となります。
現在では著作権が失効していますので、それらの編曲版楽譜は全て無償でIMSLPよりダウンロードできます。
わたしはモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームス、フランク、ブルックナー、マーラーらの交響曲の「ピアノ編曲版楽譜」の大量にダウンロードして、タブレットで活用しています。
まさに19世紀のピアノは、夢の音楽再生機だったのです。
音楽を家庭で楽しむために、経済的に余裕が生まれた人たちは、こぞって子供たちに音楽を習わせて、家庭で音楽鑑賞するという文化を充実させたのでした。
家庭用のためのピアノ編曲版は、あまり高度な演奏技法で書かれることはありませんでした。ピアノ演奏技術中級者程度でも(つまりモーツァルトの初心者向きソナタなどを弾ける実力があれば)頑張れば弾けるはずです。
より原曲に近い音響をサロンで再現するために、四手(ピアニスト二人でピアノ二台)で演奏される版も作られています。
需要のある楽譜だったので、ブラームスなどは自身の交響曲の二台ピアノ版も自分自身で作成しています。わたしは二手用を独りで弾きますが、二台ピアノ版は音が多くて、より原曲に近い響きです。
下の動画の日本での演奏会はとても素敵ですね。
交響曲第三番は、第三楽章がロマンティックの極み。わたしはこの楽章だけを取り出して、よくピアノで弾きます。
いわば、現代流行のJPOPの弾き語りやピアノソロ版と同じようなタイプの楽譜の19世紀版。それが交響曲のピアノ編曲版なのでした。
音楽再生機のない時代だったので、今では忘れられているのかもしれませんが、現代の歌謡曲弾き語りよりも、何十倍もピアノ編曲版は価値のあるものだったのです。
協奏曲の場合は、ピアノ縮小版が大人気でした。
モーツァルトやショパンのピアノ協奏曲などはピアノと弦楽四重奏団による編曲(つまりピアノ五重奏曲版)などが作られて、サロンでは交響曲以上の人気を博したものです。
19世紀初頭の古典派から初期ロマン派までの過渡の時代に、大変な人気音楽家だったヨハン・ネポムク・フンメル (1778-1837) による、彼の師匠モーツァルトの協奏曲の編曲は、ヴィオラの代わりにフルートが含まれているのが特徴。
モーツァルトの協奏曲は、他の誰も真似できない、巧みで華麗な木管楽器の大活躍が最大の魅力の一つでもあるので、管楽器付きなのは素晴らしい。
彼のモーツァルト編曲版、オーケストラ原曲をよく知っている人にとってはとても新鮮で、まさに耳へのご馳走です。
ピアノ小品の19世紀
サロンの観衆に聴かせる交響曲や協奏曲の編曲を離れると、19世紀的音楽の象徴ともいえるブルジョワ家庭用ピアノ音楽曲の特徴は、一昔前のベートーヴェンの難解なピアノソナタとは違った「小品集」でした。
ニ十分以上もかかる劇的で長大なピアノソナタよりも、ショパンの「ワルツ」や「ノクターン」やシューマンの「アラベスク」や「子供の情景」のように、数分で弾けてしまうような音楽が好まれたのが、初期ロマン派音楽の時代(19世紀前半期)。
この時代の作曲家はだれもが家庭用ピアノのためのピアノ小品を作曲しました。
名ピアニストの大作曲家フェリックス・メンデルスゾーンもまた、そういう需要に応えるべく、素晴らしい作品集を生み出しました。
それが初期ロマン派音楽の究極ともいえる、傑作ピアノ小品集
なのです。
日本語では通常、「無言歌」という無味乾燥な漢字の訳語で知られています。誠に残念なセンスのない翻訳です。
でも通称なので、この名称を以下では用いることにします。
舟歌とは
川下りを経験なさったことはおありでしょうか?
わたしはカヤックが趣味で、夏になれば、折りたたみ式のカヤックを車に乗せて、近場の湖や海などに出かけて舟遊びをします。
川下りの場合は、誰かに上流まで連れて行ってもらって、川下で待っていてもらわないといけないので、好きな時にいつだってできるわけではないのが少し難点なのですが、わたしの隣町の有名な湖は、夏のオリンピックのカヤック種目のゴールドメダリストを何人も輩出している、カヤックには最高の湖です。
ボートやカヤックの上で波に揺られる快感は筆舌に尽くしがたいものです(湖にも流れのある場所はあるので、流れてゆくこともできます)。
大型船に乗船していると船酔いもするかもしれませんが、自分で体を使ってボートやカヤックを操縦するので、あまり酔うようなことはないので、カヤックはライフジャケットを必ず着用して万全の備えをすれば、誰にでも楽しめる素晴らしいスポーツです。
舟歌の起源:シチリアーノからゴンドラの歌まで
規則的に揺れるカヤックやボートのリズムは、当然ながら音楽的。
近代以前の産業革命前には、ボートが現在よりも交通手段としてより一般的だったので、船に乗ってゆらゆらと漂う感覚は当時の人には、より身近で一般的なものだったはず。
つまり、船の上で歌われる歌は、昔の人にとっては日常の風景の一部。
日本にもそういう歌はたくさんあったはずです。
世界中のどこの国にも、川下りや航海が文化の一部となりうる土地では、舟歌は彼らの当たり前の風景。
西洋音楽の世界では、南イタリアのシシリア島由来の、揺れるメロディが特徴的なシチリアーノという形式の音楽が、有名になります。
最新の研究によれば、シチリアのシチリアーノはルネサンス時代のモンテヴェルディなどのマドリガルに起源があり、さらにはマドリガルはローマ・ギリシア時代の英雄叙事詩の韻のリズムに起源があるのだとか。
西洋詩はアクセントや音の長短で韻が決まるので、揺れるリズムが言葉に影響したことはとても自然なことでしょう。
ギリシアにせよ イタリアにせよ、海で囲まれた国々で西洋音楽の舟歌は生まれ、揺れるリズムは緩やかにスウィングするリズム感覚が欧州中に広まってゆき、愛されたのでした。
シチリアーノのリズムは具体的には、複合音符(二拍子の一拍に三つの音符を含んだような音楽)による八分の六拍子や八分の十二拍子で付点付きの揺れるリズム。
ヴェネツィアのヴィヴァルディ
シチリアーノはバロック時代に大人気の音楽形式となります。
有名な例を挙げるにも、名作が多すぎて、暇がないほどですが、本投稿は「ヴェネツィアのゴンドラの歌」を紹介する記事ですので、ここではヴェネツィア出身の大作曲家アントニオ・ヴィヴァルディのシチリアーノを紹介しましょう。
名作「ピッコロ協奏曲ハ長調」のラルゴです。
ベートーヴェンの舟歌
ピアノ音楽としては、19世紀初頭のベートーヴェンの「ソナチネ」作品79が特筆に値します。
ベートーヴェンは定型通りに短調でゆったりと揺れるリズムで音楽を始めますが、中間部に長調の束の間の幻想のような部分を組み入れて三部形式として、波上に揺れる船を誰よりもロマンティックにうたい上げる音楽を「ピアノで」表現したのでした。
ベートーヴェンが後期と呼ばれる、内に籠ってしまう音楽を書く直前、歌謡的な音楽を模索しながら書いていた頃に作られた、数十年後の初期ロマン派音楽を先取りしたような作品。
フォルテピアノではない、完成された楽器としての「近代ピアノ」のために書いた、超ロマンティックな音楽。
しかも技術的に非常に容易に書かれています。
この曲は厳密にはソナタではなく、ソナチネです。
指小辞をつけて語尾を「-チネ」とすると「小ソナタ」「易しいソナタ」という意味になります。
家庭ピアノのために書かれた音楽の先駆といえるでしょう。
こうして、シチリアーノは「舟歌:バルカロール Barcarolle」へと進化したのでした。
わたしは舟歌というジャンルの創始者はベートーヴェンだと思います。
メンデルスゾーンはベートーヴェンの正統なる後継者です。
ベートーヴェンが初心者のためのソナチネを書いたのは1809年、つまりフェリックス・メンデルスゾーンが世に生を享けた年でした。
これもまた、とても示唆的なことだと、わたしには思えるのです。
シューベルトの舟歌
ベートーヴェンに続く重要な舟歌としては、フランツ・シューベルトの音楽が忘れられません。
人生の儚さを揺れる水上での戯れに喩えた、シューベルト屈指の名歌曲「水の上にて歌える」が歌われると、揺れるリズムに乗せられた、透明な悲哀感が比類ない。
ここで唐突ですが、「水の上にて歌える」をフィーチャーした素晴らしい名画を紹介したいと思います。
この映画を見れば、誰もがシューベルト作曲の舟歌を大好きになる映画です。
与謝野晶子の恋を描いた、大正ロマンとシューベルトが見事に融合する、日本映画屈指の名作「華の乱」。昭和の終わりの昭和63年の作品。
吉永小百合(与謝野晶子)
松田優作(有島武郎 )
松坂慶子(松井須磨子)
風間杜夫(大杉栄)
という豪華キャスト。
このキャストの世界のバックに流れるシューベルトの素晴らしさ。
歌唱は名ソプラノ・エリー・アーメリング。
揺れるメロディに揺れる時代。揺れる恋と揺れすぎて訪れる破局。音楽の内容そのものが映画そのものなのです。
わたしがとても感銘を受けた数少ない日本映画です。
お勧め度は★★★★★ですね。
メンデルスゾーンのイタリア!
こうしてバロック時代からベートーヴェン、シューベルトを経て、舟歌が19世紀へと歌い継がれてゆくのですが、1830年代を目前にして、ベートーヴェンとシューベルトが相次いで没すると、家庭ピアノの世紀が本格的に開始します。
資産家の子弟であるメンデルスゾーンは十代後半より、当時の裕福な人たちの慣習であるグランドツアーに出発。
イングランドやスコットランドの各地を巡り、のちの「スコットランド交響曲」や「フィンガルの洞窟」の構想を得るなどします。
1830年にはイタリアをも訪れて、ヴェネツィア、ローマ、ボローニャ、フィレンツェなどの主要都市を観光。
これらの貴重な経験が後年の大傑作「イタリア交響曲」のインスピレーションとなるのです。
陽光溢れる明るい南国イタリアが「イタリア交響曲」として音化されているとするならば、光が強ければ強いほど、その影も濃くなるという言葉のとおりに、水上都市ヴェネツィアのゴンドラの憂愁は、悲しく揺れるリズムの「舟歌」として結晶化するのでした。
ヴェネツィアはカーニバルの仮面でも有名ですね。
メンデルスゾーンの家庭用ピアノ音楽
祖国ドイツへの帰国後、メンデルスゾーンは、家庭ピアノのために「無言歌」というロマンティックな題名付きのピアノ小品集を出版。
技巧的にさほどの力量は必要とはされないので、プロの演奏会で聴ける機会に乏しい音楽なのですが(アンコールで聴けるかも)、メンデルスゾーンの「無言歌」曲集は、家庭ピアノの需要を満たすという目的に完璧に合致した音楽だったので、空前のベストセラーとなります。
作品19a(1829‐1830)第六番が「ヴェネツィアのゴンドラ第一番」
作品30(1833–34):第六番が「ヴェネツィアのゴンドラ第二番」
作品36(1838–39)
作品53(1839–41)
作品62(1842–44):第五番が「ヴェネツィアのゴンドラ第三番」、第六番が超有名な「春の歌」
作品67(1843–45):第四番が有名な「糸紡ぎ」
このように、1829年から1845年までライフワークとして書き継がれて、最終的に全八巻(それぞれに六曲)48曲のピアノの「うた」が作曲されて出版されます。
これらの小品は、いずれも良き家庭人でもあった、最もメンデルスゾーンらしい音楽。
生前に出版されたのは第六巻まで。
第七巻と第八巻、並びに例外的なチェロ付きの一曲(作品109)は遺作として出版されます。
ヴェネツィアのゴンドラに寄せて
この素晴らしい曲集のなかでも、のちに「メンデルスゾーンの代名詞」といわれるようになるほどの評判を得たのが、
でした。
ショパンが「ノクターン」ならば、メンデルスゾーンは「ゴンドラの歌(舟歌)」というわけです。
合計で三曲、少しずつ作曲されてゆくことになります。
最も有名なのは、最初に書かれた作品19の6でしょうか。
移ろいゆく左手の和声の動きがなんともロマンティックです。
溢れてくる情感が零れ落ちそう。
シューベルトのバルカロール(水の上にて歌える)はまさに船に揺られていて、船と一緒にそのまま水の中にいつ沈んでもおかしくないような、不安をあおる音楽でしたが、メンデルスゾーンの曲の場合は霧の中から次第に遠くから近づいてくるようなゴンドラでしょうか。
これらの歌からは、船の上ではなく、岸からゴンドラを眺めているような印象を受けます。どう思われるでしょうか。
メンデルスゾーンの歌は音の叙景詩とも叙情詩ともいえるものです。
言葉がない歌だからこそ、奥深くて謎めいていて、ロマンティックです。
直接的な感情が描かれるわけではなく、描き出された音の情景を聴いて、心に浮かんだ情景を見つめることで、聴き手である我々は言いようもなく、心ゆすぶられるのです。
音の風景画家
メンデルスゾーンの舟歌「ヴェネツィアのゴンドラ」は遠い異国のエギゾチックな情景を描き出した音の風景画として、広く愛されるようになります。
「三大ヴァイオリン協奏曲」の一つに必ずあげられる、メンデルスゾーンの世紀の名作「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」は、コンサートホールの音楽。
超名作ですが、庶民的ではありません。
「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」は、明治時代の滝廉太郎も学んだ、ドイツ音楽界最高峰のライプツィヒ音楽院の創設者メンデルスゾーンなどと言う堅苦しい肩書にふさわしい。
でもそれよりも、メンデルスゾーンは「舟歌」を書いた、家庭音楽の作曲家として、市井では広く愛されたのでした。
メンデルスゾーンの後に
メンデルスゾーンのゴンドラの歌の後、オッフェンバックやショパンやフォーレらによって、舟歌の伝統は引き継がれてゆきます。
家庭用ピアノもまた、ヨハン・シュトラウスのワルツ、ブラームスの「ハンガリー舞曲」やドヴォルジャークの「スラブ舞曲」がベストセラーとなり、ノルウェーのエドワール・グリーグは、メンデルスゾーンの顰に倣って、家庭用ピアノ小品をライフワークとして書いてゆくのでした。
どれも超絶技巧ではなく、わたしのようなアマチュアでも弾きやすいピアノ音楽ばかりです。
むしろ、わたしのようなディレッタントのために書かれた音楽ばかり。
趣味のピアノが愛された19世紀は、家庭ピアノの時代。
産業革命による工業化によって、都市は石炭の煤煙のために灰褐色に包まれて、森は切り倒されて、河川は毒を漂わせて汚染されてゆきます。
ロマンティックなものが日常生活からどんどん失われてゆく時代だからこそ、人々は病的なほどにロマンティックで現実逃避的な音楽、悲劇的な音楽を求めてやまないのでした。
健全な精神に富んだ、18世紀の宮廷音楽が廃れていったのも、当然だったわけです。
ロマンティックを求めている人たちは、いまここにある現実に満足していない人たちなのだともいえるのかもしれません。
満足していれば、ショパンのノクターンやメンデルスゾーンの揺れる丸い音符のゴンドラの歌よりも、強拍が明確にされて、四角い音符でいっぱい詰まった、バッハの平均律曲集やハイドンのソナタの方が愉しいはず(笑)。
どんな音楽を求めているかで、その人の精神状態を推し量れると古くから言われていますが、別の意味では、ゴンドラの歌を聴いたり弾いたりすることは、居ながらにして異国情緒を味わえる「プチ観光旅行」みたいなものかもしれません。
わたしがピアノの前に一日中座っていても、全然飽きることがないのは、ピアノを通して世界旅行をしているからなのかもしれません。
Noteでは、世界中を実際に旅されていたり、現地に住まわれたりしている方々と出会えるのが愉しいのですが、イタリア旅行記などを書かれている方の記事を読むと、本当に羨ましい。
でも今は出かけられないので、ピアノの前でメンデルスゾーンを弾いて、19世紀のヴェネツィアにヴァーチャル旅行を愉しんでいたいと思います(笑)。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。