グリーングリーンという歌
小学生の頃に、とても楽しいメロディだけれども、とてつもなく悲しい歌詞を持つ歌を習いました。
今でも忘れることができない歌。
日本の小学校の音楽の授業はほんとうにレベルの高いものだったのだなと感慨深いです。外国では音楽能力は基本的に個人的に楽器のレッスンを受けるなどして身に着けるもので、普通の学校では幅広い音楽的知識を学ぶことなど期待できないものなのですから。
プロダクションと呼ばれる劇は良く行われますが、音楽を担当するのは、学校以外のところで楽器や歌唱などの専門的レッスンを受けた子たちが担当して、学校ではあまり教えてはもらえないものです。
非西洋的なジプシー音階
日本の明治以来の文部省唱歌は素晴らしいですね。いち早くドイツ式のドレミファを公共教育に取り入れ、日本の音楽教育黎明期に滝廉太郎 (1879-1903) を楽聖メンデルスゾーンゆかりのライプツィヒ音楽院に留学させるなど、日本ほどに西洋式の音階をいち早く普及させた非西洋国はありませんでした。
滝廉太郎の「荒城の月」は非常に日本的でいて、実は完全に西洋的なドレミファの音楽。
一説によると、滝廉太郎はメンデルスゾーンの「スコットランド交響曲」の第一楽章の出だしの部分の主題を借用して「荒城の月」のメロディを書き上げたともいわれています。
ライプツィヒ音楽院に在籍していた瀧蓮太郎はメンデルスゾーンの交響曲をよく知っていたはずです。
実際のところ、盗作と呼んでもおかしくないほどにそっくりなのですから。「春高楼の」という部分。まったく同じ音符。調性はイ短調からホ短調に移調されてはいますが。わたしとしては本歌取りであると見做したいです。
そこで廉太郎のオリジナルな部分に面白い工夫があります。
鮫島由美子さんは廉太郎が作曲したままの「春高楼の花の宴」の「のえん」の部分の「え」に当たる音を、学校で良く歌われるミレミではなくミレ#ミと半音に変えて歌っています。
おかげで、より日本的な情緒をしのばれる歌唱となっていますが、実はこれが廉太郎の原曲。
ホ短調の第七音のレを半音下げるのはあまりにジプシー(ロマ)的であると、滝の死後にこの曲を出版するにあたり、山田耕作が半音下げてミレミとしてこの曲を出版して普及させました。
我々がよく親しんでいる、半音上げていないメロディの荒城の月は山田耕作編曲版なのです。
当時はブラームスのハンガリー舞曲のようなジプシー調の音楽が流行だったので、二番煎じを思われてはまずいと深慮した山田耕作の選択だったらしいのですが。でも廉太郎は日本情緒を考慮して半音上げたのだと思いたいのです。
わたしも学校では山田耕作版のミレミで歌いました。でも滝廉太郎オリジナル版のレを半音上げたほうが非西洋的な日本情緒が醸し出されていて素晴らしい。でも山田耕作的な改変があったからこそ、日本では西洋的なドレミファが人口に膾炙するまでにいたったのだと言えるのだと思います。
日本の音楽教育の素晴らしさ。もう百年の伝統に裏付けられたものだと言えるものでしょう。
グリーングリーンの謎
さて本題に戻ると、小学校三年生のころに「グリーングリーン」という不思議な曲を教わりました。現代はGreen Greenであると長じて知るようになりましたが、原曲をますますこの曲の不思議感を深めました。
ぜひ聴いてみてください。
パパはどこに行ってしまったのだろう。
子供のころにはどこに行ってしまったのかは分からないでいました。
ですが実は日本版の「グリーングリーン」と、オリジナル英語版の歌詞は別物なのです。
英語のオリジナルが発表されたのは1963年。
1955年に社会主義勢力と自由主義勢力がベトナムにおいて対立。過去の植民地問題から派生した複雑な文化的政治的背景から勃発したのはベトナム戦争でした。
アメリカ合衆国の本格的軍事介入はジョン・F・ケネディ大統領就任の後こと。1962年より泥沼のゲリラ戦開始。
そしてその頃に書かれたのがこの歌。
こんなに明るい長調の調べ。
明るい歌は緑の大地にいつまでもこだましてゆきます。英語の歌詞には、悲壮感なんてどこにもない。
折角ですので、英語版の歌詞を掲載いたします。
要するにどこかへ行ってしまうという内容は同じなのですが、悲壮感なんて感じさせない明るいヒッピーの歌。ヒッピーは自由気ままに1960年代に反戦を謳っていた人たちのことです。放浪こそがヒッピーらしさ。そんな歌です。
つまり、ただの放浪の歌が、日本語版では全く別の世界を描き出すのです。
日本語版は反戦歌?
1960年代の反ベトナム戦争運動のさなかに流れるこの陽気な歌に反戦メッセージを盛り込んだのは、作詞家の片岡輝氏。
そしてNHK「みんなのうた」に片岡氏の日本語版が1967年に発表されて、大ヒットして文科省の教科書に採用されるまでに至ります。
確かに日本語版の歌のどこにもベトナム戦争のことなんて書いてはいません。どこへ行くのかは書かれていない。
でも、父親と子の別離の歌。
病気でパパはいなくなるのかも、両親が離婚して母親に引きとられる父親の言葉なのかもしれないし、片岡氏が込めた反戦への想いの歌なのかもしれない。
でも、こんなにも陽気で悲しい歌はありません。メロディが明るければ明るいほど、悲しくなります。
緑の丘のむこうには
ウクライナとロシアの戦争が泥沼化してゆくなか、改めてこの曲を聴くと身をつまされるものがあります。
独裁者に命じられて異国に出征した、子を持つロシアの兵士たち。
そして祖国を守るために銃を手に取り、もう二度と自分の息子に逢うことのないかもしれないウクライナの父親たち。
わたしには戦地へと去ってゆく父親が息子に語りかけている歌であるとしか思えません。
まだ戦争のことなど理解できない小さな男の子に語りかけている。そんな情景が目に浮かんでくるのです。
わたしにもティーンの息子がいますが、こんな言葉を彼に語らずにいられる今の自分の平和な日々の幸せを噛みしめながら、今日も生きていたいと思っています。
参考文献:
「世界の民謡・童謡」研究会 https://xn--worldfolksong-o84la14gba4nc0pd.com/popular/green-green.html
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