中学の時野球とバレーとラグビーをやっていました総集編|マルチスポーツの話
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僕は中学校の時野球・ラグビー・バレーをやっていました。
その当時は当たり前のようにやっていたし別に珍しいこととも思っていなかったのですが今になってみると同時に3つもやっていた人は結構少ないです。
では、なぜ三つのスポーツを掛け持ちでやっていたのでしょう
今回はその経緯から順に話していきたいと思います
そもそもなぜ3つもやっていたのか
僕のやっていたことは結果的にマルチスポーツという類のもので諸外国では主流なもので日本でもこれから取り入れようと多くの人が推奨しています
三つやっていましたと言うと親が沢山スポーツをやらせる方針だったのかなとかそういうスポーツクラブに入っていたのかなと思うかもしれませんが全く違います。
単純にやりたいスポーツに手を付け出したら3つになっていた
ただそれだけです
でも日本にはスポーツをする上で欠かせない部活という文化がありますよね。毎日そのスポーツに打ち込み勝利を目指すことを美徳にする。そんな中で3つのスポーツを掛け持ちなんかできないはずです。
それなのに何故3つのスポーツを同時にできたのでしょうか?
ラグビーに目覚める
元々僕は小学校の頃は野球で将来プロ野球選手になりたいなんて真剣に考えていました。そして、中学は少し離れた強いクラブチームに入団。
1年間は普通に頑張っていて自分で言うのもなんですがこのまま三年間頑張ってたらそこそこの高校には行けてたはずです。
ただ、1年生の冬「花園」を見に行きました。僕の父はラグビーをやっていて母校が花園に出るからと連れていかれました。そこで僕はぐっと心を掴まれます。
見に行ったのは花園の準々決勝で高校ラグビーでは1番盛り上がる試合です。確か22000人の満員で立錐の余地はありませんでした。満員の観客とそこでひたむきにボールをつなぐ姿。グラウンドで起こる熱いぶつかり合い。
そこで見た光景がもう頭から離れなくなり次の週にはお父さんに
「俺ラグビーやるわ!」と言っていました。
お父さんもお母さんも本当に驚いて「あんたこんだけプロ野球選手になるって言ってたのに急にラグビーやんの?!」って言う感じのことを言われたのを覚えています。
小さい頃はどんだけラグビーを見せられても興味が湧かなかった姿を見てたので当然です。
でも、僕の想いは止められませんでした。
この流れで行くとボクは野球を辞めてラグビーを始めることでしょう。
しかし、「ラグビーを始めよう!」と強く決意すると同時にあることに気づいてしまいます。
「俺野球を嫌いになったわけじゃないな」
そう思った僕はどうしたでしょうか?
野球とラグビーを掛け持つことを決断
僕はすっかりラグビーに魅せられもう気持ちはラグビーに向いていました。なので、僕は今までいた野球のクラブチームを抜ける決断をします。
それと同時に
「まだ別に野球を嫌いになったわけじゃないし何とか続けられる方法はないかな」
と考え始めます。
僕の中学にはラグビー部はなかったのでラグビースクールに入ろうとします
ラグビースクールは土日しか活動はなく大会もそこまで多くないです。僕の行こうとしていたラグビースクールは高校へのステップアップ的な立ち位置であると調べてみて分かりました。
なのでラグビースクールと野球の両立は何とかできるのではないのかと考えます。
そしてたどり着いた答えが中学の野球部の顧問に相談して何とか試合に出してもらおう。
です。
ここで書くだけなら簡単そうですがなかなかハードルが高かったです。
物凄く言い方を悪くするとこういうことです☟
「クラブチームを辞めてラグビーを始めるんですけど野球もしたいんで僕の都合が合えばここで試合に出してください。」
これ、言われたら相当複雑でしょう。しかも土日はラグビーの練習でよく抜けるのでいません。だけど出れるときもあるから大会や試合には出してくれ。
今思うとよくOKしてくれました。
ただ、これに顧問は了承します。これにはうちの野球部の環境も作用したと思います。
何故顧問はこれを了承してくれたのか
了承したのはうちの野球部の環境が作用したと言いました。では、その環境について書きたいと思います。
・部員がそこまで多くない(全学年で30人程度)
・もともと野球部には練習だけ参加していた
・ほとんどの部員が少年野球時代からの仲間
・新チームになったばかりだった
僕が考えるだけでもこれだけの環境が作用していました
中学校自体がそこまで大きくなく片田舎みたいなところだったので部員もそこまで多くなかったです。しかも、みんな少年野球時代からの友達で普段からもよく遊ぶ仲の人ばかりで気心も知れています
そして、うちの野球部の特徴としてクラブチームにいる人の練習参加も許していたというところがあります。
通常であれば試合に出ないクラブチームの人が野球部に入れるところは少ないです。
ですが、クラブの人の野球に対する意識を部員にも学んでほしいという顧問の想いとクラブは土日しか練習がないから参加させてほしいという顧問とクラブの選手たちの需要と供給がマッチしていたため入部を許可されました。
多分6~7人はクラブチームの人がいたと思います。
みんな野球がうまくなりたいので真面目に練習していて顧問からも部員からも印象が良くクラブチームと野球部のヒエラルキー的な差も特にはなく良好な関係でした。
新チームになりたてで人も足りないし野球ができるクラブチーム経験者は貴重だしずっと野球部で練習には参加していたからすぐに試合にも出れる状態。
特に他の部員からも文句の声も聞こえてこない。
ということで条件付きで試合にも出してくれることになりました。
条件とは
・夏の大会一か月前からは野球に専念すること
・ラグビーの予定をきちんと共有すること
・ラグビーの練習と野球部の練習だったら行きたい方に行っていい
・練習試合はなるべく出てほしい(ラグビーの方に行くときは必ず相談)
・ラグビーの試合と野球の試合だったらラグビー優先
といったものです。
こちらの希望もきちんと聞いてくれたものになりました。前例のない中ここまで柔軟にルールを決めてくださって本当に顧問には感謝しています。
さあ、とうとうラグビーと野球を両立する生活が始まります
僕が野球部に入るときに提示された試合に出してもらえる条件がこちらです
・夏の大会一か月前からは野球に専念すること
・ラグビーの予定をきちんと共有すること
・ラグビーの練習と野球部の練習だったら行きたい方に行っていい
・練習試合はなるべく出てほしい(ラグビーの方に行くときは必ず相談)
・ラグビーの試合と野球の試合だったらラグビー優先
このような感じです
では実際にはどんな生活になったのでしょうか
野球とラグビーを両立させた生活の始まり
年が明け花園が終わってしばらくした二月ラグビースクールへの入団手続きも済ませ野球部とラグビーを両立させた生活が始まりました
ざっと一週間の流れを見るとこんな感じです
月曜日 オフ
火曜日~金曜日 野球部の練習
土曜日・日曜日 ラグビースクールの練習または野球部の練習試合
冬だったのでまだ野球もシーズンが始まっていません。中学ラグビーもスクールの大会が9月までないので両方とも閑散期といった所でした。
なので両立もとても簡単で特にトラブルなく進みました。
この生活が始まった感想は
めちゃくちゃ楽しかったです!!
もうとにかくこの生活が楽しかったです。
クラブチームにいたころは正直言って野球にプレッシャーを感じていました。
それは悪い意味ではありません。みんな、将来は甲子園に行ってやろうとかプロになろうとかいった感じで同じ志をもった仲間たちと切磋琢磨したのは一年間だけでしたがとても良い経験でした。
これがまず解放され僕にとって楽しい野球が始まりました
お世辞にもレベルが高いとは言えませんでしたが少年野球からの仲間たちとまた一緒に試合ができてとても楽しいもので
毎日野球をしにグラウンドに行くのが楽しい。
早く試合にならないかなとワクワクしていました
そして肝心のラグビーはというと
とにかく分からないことだらけ!
野球はいわば非接触競技でしかも攻撃と守備が明確に分かれしかも打たない人はみんな休んでいます
ラグビーはぶつかり合い攻撃と守備が入れ替わりカオスに人が入り乱れます。しかも休憩してる暇がありません
いままでやったことのない類のスポーツでいわばカルチャーショックのようなものを受けました。
ただ、みんなフレンドリーで僕のことを快く受け入れてくれました。ぶつかり合うからこその仲間意識みたいなものもあり
「ラグビーってこういう世界なんだ」
というのも感じました。
とはいえ、野球とラグビー大まかに言えば球技としてくくられます
基本の投げる・捕る・走るという原則は変わりません。一応野球でそこら辺のボールを扱う感覚や体力は身に着けていたので慣れていくのに時間はかかりませんでした。
とにかく始めたての頃は今までにない新鮮な感覚を楽しんでいたことを記憶しています。
そうして、平日は野球部の練習、休日はラグビースクールまたは野球部の練習試合という充実した日々が始まります
そして、ある日お母さんにこんなことを言われます
「バレーボール始めてみない?」
さあ、ここからどうなるのでしょうか。
バレーボールも始めちゃった
僕のお母さんは9人制のママさんバレーと6人制の普通のバレーボールチームを掛け持ちで参加していました。
野球部の活動は5時半くらいには終わる。ラグビーも週に1回か2回しかない。
結構暇な時間もありました。
ということで「ちょっと練習の人足りないし暇なら練習に付き合ってよ」ということです
バレーの練習は基本夜なんで特に問題もないし大会にでる訳でもないのでチームの許可なんていりません。
そんな訳あってお母さんのバレーボールチームの練習に人数合わせで参加することになりました。
これが最終的にどうなるかと言うと「僕も大会に出ることになります笑」
この話はまた後ほど
元々身長も高かったし妹も母もバレーをやっていたので興味自体もありました。やってみると結構のめり込んでしまって結局週3回から4回は体育館に通うことになり専用のシューズまで買っています。
そうして大体の中学時代の1週間の流れが決まりました。
バレーも含めた一週間の予定
月曜日 オフ
火曜日 野球部の練習+バレー
水曜日 野球部の練習
木曜日 野球部の練習+バレー
金曜日 野球部の練習+女子バレー部の夜練に参加
土曜日 ラグビースクールor練習試合
日曜日 練習試合偶にバレー
という日程になります。
女子バレー部?!と思った人もいると思います(笑)
女子バレー部は当時有志で集まって夜市民体育館を借りて自主練習をしていました。当時女子バレー部の子と仲の良かった僕はその練習に誘われて毎週金曜日はその練習に参加していました。
めちゃくちゃ楽しかったです。マルチスポーツにも思わぬ恩恵があるものですね(笑)
平日は野球部、夜はバレー、休日はラグビーという多忙な日々を送ります。ただ、自由な時間をあえて費やしているのでそこまで苦ではなかったです。
むしろ一つのスポーツにガチガチに固めてするより精神的な余裕がありました。
野球でうまくいかなかったとしてもバレーやラグビーでうまくいけばもう野球のことなんか忘れます。また頑張ろうっていう気持ちの切り替えができます。
とにかく毎回新鮮な気持ちでできるのがマルチスポーツの良さだなあと思います。
なぜここまでうまくいったのか
こう見ると上手いように三つのスポーツが回っているように見えます。
何故ここまでうまくいったのでしょうか。
ここまでで気づくことはありませんか?
僕は俗にいう勝利至上主義のチームに属していません。
野球部は平日の練習は6時前には終わるし基本土日も午前中で終わります。ラグビースクールも週一日程度。バレーに至っては週3~4回やってても練習に参加しているだけなので何ともありません。
それに月曜もオフだし土日も午後は暇で遊んだり勉強するくらいの時間もありました。
ただ、どれか一つでもバランスが崩れていたら上手くいきませんでした。
奇跡的にこのバランスがうまく保たれていたといっていいでしょう。
その点は本当に恵まれていたと思います
部活の方針や顧問の理解そしてラグビーやバレーとの出会いそれら一つ一つがうまく重なり合ってこの環境を作ることができました。
この環境を作ってくださった方には本当に感謝しています
そんな中僕が目が回るくらい忙しかった時期があります
それが夏です
目が回るくらい忙しかった夏
もうとにかく夏は忙しかったです。
部活の集大成って勿論夏の大会だと思います。先ほども話したように部活とラグビーを両立する条件として「夏の大会一か月前からは部活に専念すること」という条件がありました。
二年生の時はこれが可能でした。ですが三年生になるとそうはいかなくなります。理由はラグビーの方で夏にもう一つ大会があるからです。
スクールの大会は1月と9月にあると言いました。ですがもう二つ中学ラグビーには大会があります。
それが夏の関西大会と冬の全国ジュニア大会です。この二つはとても大きな大会でそれぞれがその地域で選抜チームを作って一つに集まり試合をします。
その選抜チームは春から始まり週に一回スクールとは別に県全体のスクールで集まって練習をしてそこから選考します。
高校ではラグビー一本でいくと決めていた僕にとって夏の関西大会というのは推薦獲得への登竜門的存在で是が非でも選考に通って試合に出なければいけません。
その大会は夏にある。しかも選考会も春から始まる。
つまり、野球部最後の大会とラグビーの関西大会がもろ被りするというわけです。
ですが顧問と交わした条件に「夏の大会前は部活に集中する」とある。
野球部でも二年のころからレギュラーでやっています。ここでラグビーでも大事な大会があるんですなんてとてもじゃないけど言えない。
ということである決意をします。
「バレずに二つともやりきろう」
そこからは多忙な日々でした。
野球部の練習とラグビースクール。そして選抜の選考会これら毎日フル回転していました。
ちゃんと夜のバレーもやっています(笑)
とくに大変だったのは土日で野球部の練習試合があったら基本ラグビースクールは休んでいました。でも選考会となるとそうはいかず午前中野球部の練習試合をこなし午後マッハで選考会に向かうなんてざらでした。
一番えぐかったときは午前野球部の試合二試合(ダブルヘッダー)午後ラグビーの試合二試合やった時もありました。
僕のポジションは野球はキャッチャー、ラグビーはロックといわれるポジションでどちらもそのスポーツの中で一番ハードとされるところ。中々きつかったです(笑)
そのうえで夜はバレーに行ったりしてる。
子供のころの体力って恐ろしい、、
今じゃ絶対無理です(笑)
そのかいあって僕は県の選抜チームに選ばれることになります。
まあ競技人口が少ないのでそんなに競争率は高くありません多分倍率三倍くらいだったかな。
選抜に選ばれることによって直面した新たな問題
ここで、もう一つ問題がでてきます。それは野球部の夏の大会と関西大会のブッキングです。
もう日程を見た瞬間ヒエッってなりました
といっても被ったのは勝ち進んだらの話。
地区大会を優勝してもう一つ次の大会に行きしかも決勝に行かないと被りません。お世辞にも強いと言えないチームだったのでまあ大丈夫だろうとタカをくくっていました。
しかし、野球部はまさかの地区大会優勝。
まさかというのもこのとき僕たちはもうほぼ諦めていました。もうこの大会で引退か。見たいな感じの緊張感のないバスをよく覚えています。緊張感がなさ過ぎてチーム練習用の野球ボールを忘れてしまい野球ボールなしでアップをする始末(笑)
よくこれで勝ったな~
ただ、こんなチームが次の大会でも勝ち進めるわけもなくあっさりと二回戦で負けてしまいます。
こうして僕の楽しい中学野球は幕を閉じました。
そして次の日から関西大会が始まるので息をつく暇もなく選抜チームに合流
二週間で三つの大会計10試合をこなしました。
そうして忙しい夏が終わります
そのあとはバレーの男女混合大会に出てみたり受験勉強も少しはしつつ推薦先も無事決まり僕の中学時代は終わりを告げようとしていました。
二年間の怒涛のマルチスポーツ生活は終わりを告げます。
高校時代は打って変わってラグビー一本の生活
日本一を目指して打ち込むことになります。
そして今でも大学ラグビーでも日本一を目指して毎日練習に打ち込んでいます
今でもこの貴重な二年間は人生の糧として存在していて僕の中に大きなものとして積み上げられています
終わりに
僕はこういった経験はみんなとは言わないものの結構な人がしてる当たり前のことだと思っていました。
ただ、大学生にもなって周りを見渡すとそういう人ばかりではないことに気づきます。なのでnoteという形で僕の経験を書かせてもらうことにしました。
「中学の時野球とバレーとラグビーをやっていました」を通じて僕の思ったことや日本のスポーツ界に対して思うことを次回は最終回として書きたいと思います。是非のぞいてみてください
この記事の最後に購入欄をつけさせていただいています。
このご時世働いている方も大学生も厳しい生活が続いています。それは僕たちのような体育会系大学生も例外ではありません。もしよろしければ支援のような形で購入いただけると今後の活動の励みになります。
最後まで読んでいただきありがとうございました
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