ずぼらさんのていねいご飯|ピーマンのわたみそ(山椒ぴりり)
ピーマンの種って時々、生きているとしか思えない動き方をする。
まるで意思を持っているかのように、あっちへ散らばり、こっちへ散らばる。手につくと取れないし、包丁についたのも取れない。ていねいに洗い流したつもりでも、ピーマンをひっくり返すと「hey」とお調子者の柔らかさで張り付いている。
切り刻んだピーマンをフライパンに放り込み、あちこちに散らばったピーマンの残骸(種)を、台拭きできれいに拭き上げる。
隅々まで拭き上げ「さあ、炒めるわよ」と、ガスコンロに手をかけるも、あら不思議。
白くて、やわらかくて、頼りなさそうなピーマンの種が、人差し指のふっくらとした腹に、しれっと張り付いている。いつの間に。
そんなピーマンとの戦いに疲れた私は、ふと思いました。
「ああもう、種まで食べてしまおう」
そんなわけで誕生したのがこちらのレシピ、ピーマンのわたみそ(山椒ぴりり)です。
「ずぼらさんのていねいご飯」としてシリーズ化しようと思います。
ずぼらさんのていねいご飯って?
読んで字のごとく「ずぼらな人がつくる、ていねいなご飯」です。
よく見かける「ていねいな暮らし」をしている人のYouTubeに出てきてもおかしくないほど、ていねい感を出してみました。無印良品とか似合う女になりたいわね。
私は基本的にズボラーです。調味料とか、火加減とか、ちゃんとしたほうがいいんでしょうけど、気にしません。なのでざっくりした感じで作りました。
みなさんも、ざっくりした感じで作ってください。
ピーマンのわたみそ(山椒ぴりり)
ピーマンの種まで、なんならわたもヘタも食べられる、ご飯のおともです。ピーマン、余すことなく食べてしまいます。
ちなみに( )にもある山椒ぴりりがポイントです。冷蔵庫にたまたま山椒の実があったので、入れてみました。ない人はすみません。なくても美味しいかと思います。たぶん。
作り方
作り方は簡単です。ピーマンを切って、ぜんぶフライパンに入れて、お味噌とかで炒めるだけ。
材料
ポイントとして、ピーマンは全部使います。種はもちろん、ふわふわしているわたも使います。食感が出ておいしいです。ヘタも切り刻んでください。
ちなみに前日、違う料理でピーマンを使ったので、そのときに残しておいた分です。
肝心の身がありません。ピーマンの種、わた、ヘタだけで作ってますが、とくに問題ないと思います。
好きな大きさに切ってください。小さいと「あれ?ピーマンいた?」ってなるかもしれないので、ある程度は大きく切ったほうがいいです。
でも正直、切れていればなんでもOKです。
ご自宅に山椒がある人、または辛いのがお好きな人は、お好みで山椒を入れてください。ぴりりとしておすすめです。心なしか、野生の風味が増します。
こちらの山椒は、長野の安曇野に行ったとき、道の駅みたいなところで買ってきました。枝付きでかわいいです。
本当はすりつぶしたほうが風味も出るし、食べやすいんですけど、面倒なのでそのまま入れます。でも問題ないと思います。食べるときガリってなるので、そこだけ気をつけます。
ガリっとサプライズしたくない人は、すりつぶしたほうがいいかと思います。
フライパンにごま油を引いて、山椒を入れます。山椒の風味を油に移すために、最初はピーマンを入れず、山椒だけ入れておきましょう。
ちなみに「油を敷く」は誤用らしく、正しくは「油を引く」です。引っ張って伸ばす、みたいな使い方だそうです。勉強になりましたね。
油がしゅわしゅわ言ってきたら、ピーマンをぶち込みます。種、わた、ヘタ全てのピーマンを入れてください。
ピーマンを触ったその手、もう一度見てください。きっと種が張り付いています。その種も忘れず入れてあげましょう。
炒めながら、調味料を合わせていきます。計量カップに入れていますが、計量していません。ごめんなさい。そこにあったので、入れてみました。登山家と同じですね。
なぜ、計量カップに入れるのか。そこに、計量カップがあるからだ。
計量スプーンを使っていますけど、同じくです。そこにあったからです。大きいスプーンなら、なんでもいいと思います。大きすぎなければOKです。
「これならオムライスが食べやすそう」なスプーンだったらOKです。
ピーマンがちょっと元気なくなってきたら、合わせた調味料を全部入れます。混ぜてから入れたほうが美味しいです。混ぜずに入れると、たぶん焦げます。
ここだけはズボらず、しっかりと混ぜましょう。余談ですが、炒めているピーマンたちの頭上に、調味料を合わせ入れた器を持ってきて、下から込み上げてくる熱で混ぜると、温まって混ぜやすくなります。
ピーマンたちに「ほ〜ら、これが欲しいんだろ?」と見せてあげましょう。きっと喜びます。
あ!できちゃいました!調味料を入れてくるくる混ぜていたら、できてました!
ピーマンのわたみそ、完成です。ご飯のおともにぴったり。ほかほかのごはんに乗っけて、いただいてください。
ピーマンの苦味が、お味噌のコッテリ感と相性バッチリです。山椒がいいアクセントになってます。山椒、あったほうがいいかもです。無印良品の女が食べていそうな一品です。体のことを気遣っていそうな味がします。
今回の風土
はてさて、この記事、実は「風土」というマガジンに加えています。ただのずぼらレシピではありません。むしろ、ここからが私の伝えたいことです。
風土から food を考えるマガジン。
今回の「風土」は、山椒がやってきた長野県の安曇野市について。
そして、ピーマンの種を捨てないことからつながる「フードロスの取り組み」について、考えたいと思います。
長野県は安曇野市
長野県の真ん中からちょっと左上に行くとある、安曇野市。水がきれいで、わさびの産地としても有名です。
先日、安曇野市に行ってきました。
松本駅から電車に揺られ、向かうこと30分。着いた駅は穂高駅。静かで、鳥のさえずりが響き渡る、のどかな駅です。
曇り空だったのですが、晴れていたら、目の前に雄大な北アルプスが広がっていたそうで。
駅前でレンタサイクルを借り、自由気ままに自転車で散策をします。
見渡す限り、アルプスの山が広がっています。
自転車を漕ぎながら、ついつい鼻歌が。聞いたことあるような、やっぱりないような、のんびりとしたメロディが自然と溢れてしまいますね。
山には、神様が座っている。
だから、山は「一座、二座」と数えるんだよ。
誰に聞いたのか、それとも本で読んだのか。
大きくて立派な山を見ると、いつしか、そのてっぺんに座る神様のことを想像するようになりました。昔の人はなんて想像力豊かなのだろう、とも。
どっしりと身を構え、どこまでも連なる北アルプスの山々を見ていると、確かに、どこか温かくて柔らかな眼差しが、私たちに向けられているような気がしてきます。
やっぱり、山には神様が座っているのかも。
安曇野の町は「自然が豊か」なのではなく、自然の中に暮らしている、に近いのかもしれません。もっと言うなら自然と共に暮らしている、と。
「母なる大地」という言葉があるように、安曇野の山は、よそ者である私さえ、温かく包んでくれました。
清く、正しく、美しく。
もっと、自然を尊敬し、感謝したい。
毎日ビルに囲まれた生活をしていると、知らないうちに心の中では「人間が自然を管理し、利用する」なんて、思っていたのかもしれない。
公園に緑を求めたり、家具に温もりを求めたり。
私たちは木々を、山々を、簡単に扱えると、暮らしに取り込めると勘違いしているのかもしれない。
本来は取り込むのではなく、私たち人間が、大自然に取り込まれている側なのに。
フードロスを考える
ところで、フードロス・食品ロスの言葉もすっかり定着してきた昨今ですが、フードロスって「もったいない」だけじゃないってご存知でしたか?
食べきれず、捨ててしまうご飯。
残されたその「ご飯」って、最終的には「ごみ」として燃やされます。ものを燃やすとCO2が発生します。CO2って、温室効果ガスと呼ばれていて、地球温暖化を加速させる原因なんです。
地球温暖化になると、南極や北極の氷が溶け、海の水位は上がります。海が増えると、動物や植物は少なくなり、美しい地球の姿が変わってしまいます。
今年の夏も相変わらず、いや、去年より勢いを増して暑かったですね。
でも「暑い暑い暑い」なんて言っているけれど、地球を暑くさせているのは他でもない、私たち人間なんですよね。
そんなわけなので、憎き温室効果ガスを減らすためにも、ご飯は残さず食べたいと思っています。というか、食べられるところはぜーんぶ食べたい。
ピーマンのわたも種もヘタも、ごみじゃないんですよ。とっても美味しい、野菜の一部です。
毎日をちょっとていねいに過ごしてみるだけで、毎日がちょっと豊かになります。
ちょっとていねいに過ごしみると、何かを大事にしているような気持ちになれます。目に見えない何かを、抱きしめているような気持ちに。
何かを大事にしていると、不思議と自分を好きになれるんです。私はあまり自分のことが好きではありませんが、何かを大事にしているとき、清く、正しく、美しい感情になれます。
猫を撫でているとき。たまごを運んでいるとき。助手席に恋人を乗っけているとき。ドアを開けたまま、後ろから来る人を待っているとき。
そういうときに似ているような、何かを大事にしている感覚。目には見えないけれど、大切な何かをぎゅっと抱きしめているような感覚。
もしかしたら地球は、私たちのことを、抱きしめてくれているのかもしれません。
あの日、鼻歌を歌いながら自転車を漕ぐ私を、安曇野の大地は間違いなく抱きしめてくれました。
地球温暖化を、今すぐ止めることはできません。
美しい地球を、自分ひとりで守ることもできません。
だけど、ひとつの手がふたつになり、みっつ、よっつと増えて、いつしか数え切れないほど、たくさんの手となったとき。
その手はきっと、大きな可能性をつかんでいると信じたいです。
ピーマンの種もいつか、安曇野の美しい山々を守るのかも。
ずぼらさんのていねいシリーズ、気楽に続けたいと思います。前作が気になる方は、こちらをどうぞ。(別名義です)