"死"から教わったこと①
わたしはそれまで、人の"死"を受け入れることができない人生を過ごしてきました。前の記事にも書きましたが、10代〜20代半ばまで患った精神疾患の大きな原因は、受け止めきれない人の"死"にあったのです。
この辺りはまた別で書こうと思いますが、大切な人たちが次々に死んでいった。しかも自殺が多かったんですね。人の"死"に立ち会うたびに、症状は悪化。過呼吸を起こしてお葬式で倒れ込むほどひどい状態でした。
そんなわたしの中にある"死"の受け止め方を、3人の大切な人が"死"を持って教えてくれました。
まず一人目が、父方の祖母です。
祖父母とは小さな頃から同居していました。わたしはおじいちゃん子で、口うるさい祖母のことはそんなに好きという感じではなかったんです。
ですが、祖母が要介護になり、痴呆が始まると、それまでのキツさが嘘のようになくなり、可愛らしい少女のようになっていきました。
きっと元の、源にある祖母の姿だったのでしょう。
二人の愛を知ったのは、祖母の痴呆がひどくなってからです。祖父は「そこまでやるか?」と周りが驚くほどに介護に徹し、なるべく息子たち(わたしの父と母)の手を借りないようにとしていました。
祖父はとても強い人で、なんでも自分でやってしまう人でした。
庭も作るし、井戸も掘る、家の増改築まで自分でやっちゃう。わたしが小さな頃、毎日畑へ行って野菜を作っては、薪を切り出してお風呂も沸かしてくれた。そんなヒーローみたいな祖父がわたしは大好きでした。
「息子たちの世話にはならない(手間はかけさせない)」という祖父の強い正義感もあったのだと思いますが、それにしても甲斐甲斐しく祖母のお世話をしていたなぁと思います。
口喧嘩はいつもしていたけれど、わたしには祖父から祖母への愛があふれているように見えました。
祖母が亡くなったのは東日本大震災が起きたの年の暮れ。祖父も介護が必要になったタイミングで、時折一緒に施設に行っていました。ある日の朝、二人でご飯を食べている時にすーっと逝ったそうです。苦しむことなく。
祖父は震災前に失明していたので、暗闇の中にいた祖父の苦しみや悲しみはどれほどのものか、想像もつきません。ですが、祖母は本当に一心に祖父の愛を受け止めて、少女のように死んでいきました。
こんなに幸せなことってあるんだろうかと、涙が出ました。
祖母の死で、わたしは初めて「よかったね」と感じたのです。
幸せだったね、本当に愛されていたね、と。こんな風に人生を終わることができるって、本当に理想的なのだろうなと思いました。
それまで悲しく、苦しいものであったわたしの中の"死"が、そうじゃないこともあるんだと、扉を開くきっかけをくれた祖母の存在。
あなたの孫に生まれてこれてよかったと、心から思います。これまでも、これからも。