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ワタシがどんな人なのか、改めて説明をしてみようと、突然思った

自分の考えを整理するために始めたnoteですが、「スキ」をいただくたびにとても嬉しく、読んでくださる方がいると思うと俄然やる気がでてきます。唐突ですが、感謝の気持ちを込めて、改めて自己紹介をさせてください。
はじめましての方も、どうぞよろしくお願いします。


1)簡単な(?)プロフィール

・生まれてから、学校に通っていたころ

岡山生まれの広島育ち。島根の高校を卒業し、大阪で大学生活。

すばやく新しい環境に馴染めるように、すぐ地元の言葉をマスターするのが得意だった。今も、状況に合わせて無意識にイントネーションが切替わる。同じリズムのほうが話しやすいし、気持ちが近づく気がするから。

「転校生」という立ち位置は、私のアイデンティティのひとつと言えるかもしれない。知らない人ばかりの環境にポツンとひとり入っていき、懸命に自分の居場所を探した体験が、私らしさの一部を形づくっている。

私を支えるもう一つの体験は、学生時代にバイト代を貯めては出かけていたイタリア貧乏旅行だ。携帯電話など存在しない時代に、連絡手段が見つからず、誰にも今いる場所を知らせることさえできない状況。見知らぬ土地で味わった圧倒的な孤独感と、「きっと、何とかなる」という、根拠もなく湧き上がってきた強い気持ちを、今でも時々思い出す。

・社会人になってから

大学を卒業して東京のメーカーに就職した。上京して早34年目だ。

朝早く起きるのは辛いし、長続きしないだろうなと思っていた。けれども、仕事は意外なほど面白く、会社に通うのが毎日楽しかった。

呑気な大学生だった私は、ビジネスに役立つスキルなど持ち合わせてはいなかった。それでも仕事にのめり込むうち、技術者とも対等に話せる専門家になりたくなって、オンラインプログラムで海外MBAを取得したりもした。

慣れない統計学、経済学、交渉術などに英語で挑むのは、想像していたよりも大変だった。睡眠時間が確保できず、会議で自分自身の発言中に寝落ち(!)するような有様だったけれど、なんというか、若さゆえ、そういうのもガッツで乗り切ってしまえたのである。

おかげさまで様々なプロジェクトに関わって、たくさんの面白い挑戦をすることができた。企業人として幸運だったと思う。

そうはいっても、長い会社員生活、目の前に高い壁が立ちはだかることは、あるものだ。大きな困難にぶつかり「迷走状態」に陥ってしまったことが、私には二回ある。

2)noteを始めたきっかけについて

・書くことでモヤモヤした気持ちを晴らしたかった

noteを書き始めたのは、2020年の夏。私は、絶賛二回目の会社員人生迷走中だった。コロナ渦でステイホームが続く不安な日々のなか、完全に目標を見失っていたのである。

50代に入り、「会社員人生あとわずか、100年人生も後半戦!」と、焦りに似た気持ちがあった。仕事上での喪失感も抱えていた私は、おそらく、思いをコトバにすることで、楽になりたかったのだろう。

当時の文章をいま読み返してみると、不安定だった自分のことを思い出す。そうして、一年くらいは順調にnote更新していたけれど、ある時、何故だか急に書けなくなってしまった。

・これからどうしようか、ぐるぐると考えていた

note更新もできなかった二年近くの間、思いおこせば、私はひたすら目の前の現実に立ち向かっていた。日々やるべきことだけはなんとかこなしながら、自分は本当はどうしたいのだろう、いったい自分に何ができるんだろう、と、ぐるぐる考え続けていたのである。

そして、ある時、ふうっ、と光が見えた。

3)ついに、人生の転機

・肩の力を抜いて進み始めたら、道が見えてきた

どう説明したらよいのか難しいのだが、つまり「自分にとって本当に大事なもの」を思い出したら、「自分を惑わせていたあれこれ」に気付いたのだ。そして、長いトンネルの出口が、ようやく見えてきたのである。

出口が見えてきたと言っても、まだ先のほうで、外に何があるのかも分からなかった。けれど、まずは目の前にある役割を精一杯果たしていこう、と決めたら、急に心が明るくなった。

 #あまりに抽象的な説明なので
 #もうすこし具体的に
 #別の機会に書いてみようと思う

・まさかの早期定年退職、そして人生後半戦

進むべき道を探しながら、すこしづつnote発信も再開した。

そうこうするうちに、一軒の古民家と出逢い、作りたい未来の予想図が見えてきた。勇気を振絞って退職を決め、ついに人生後半戦の開始ゴングを鳴らしてしまったのである。

 # 以下の記事に概要まとめたので
 # ご笑覧ください💦

こうして始まった、アラカンの挑戦。
さて、どうなることやら ♪


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