懐かしさ、それは風情の一種かもしれない
最近懐かし過ぎて感動することが多い気がしています。大体の感覚で言うのなら「懐かしすぎて死にそうになるくらいに悶絶してしまう」といったものです。苦しいような心に沁みいるような、嬉しくてたまらないような複雑な気持ちになります。今風に言えば「エモい」に近いのでしょうか。いえ、ちょっと違う気もしますね。
直近でその症状を味わったのはとある飲食店に入った時でした。親戚と母と会食していると、突然その曲が流れ始めたのです。それはKinki Kidsの「青の時代」――おそらく曲名を出してもわからない人のほうが多いと思います。
「青の時代」とは同名のドラマにて主題歌だった曲です。私はドラマを再放送で見たのですが、小学生だったので内容はよくわからずにただ主演だった堂本剛さんがかっこいいなあとか思っているくらいでした。
「青の時代」が流れたとき私は天ぷらの乗ったそばを食べていたのですが、思わず海老をぽろりと取り落としました。元々大きくて食べにくかったそれが突然ずしんと重みを増し、割り箸を持つ手にとっての脅威となったのです。私は空っぽになった箸を持ったまま固まってしまいました。一緒にいた人たちには気付かれていなかったので、その点は良かったです。
けれども、その衝撃から抜け出すには少々時間が掛かってしまいました。脳裏によみがえる当時の自分の姿。そういえば当時同じクラスにはKinki Kidsのファンの友達がいました。
そして何故か一番はじめに出したCDを貸してもらい、結局ダビングのやり方など知らないのでそのまま返してしまったのを覚えています。他にもその子からお姉ちゃんから聞いたという情報をいろいろ教えてもらったような気がするのですが、覚えていません。
とりあえずしばらくは心ここにあらずといった状態になってしまったのか、どうやって天ぷらの乗ったそばを食べ終わったのかほとんど覚えていませんし、味もあまり覚えていないというもったいない経験をしました。
「このごろ、こういう懐かしい曲に出会う確率高くない……?」と思っています。私の世代が少しずつ日本人の寿命の半分に近づいてきているから? それとも流しているお店の客層などから一番効く年齢の人が多い年代だから?
たまにあまりにどんぴしゃの曲に出会うと泣きそうになることすらあります。ちょっと前にはミスチルの「Tomorrow never knows」に出くわしてしまい、荒ぶる感情を抑えるのに必死になりました。
この曲にはまっていた当時、私は高校生でした。たまたまミスチルのベストアルバムに出会い、借りてみたところ一気に沼に落ちてしまったのでした。その数年後に友達を誘い、東京ドームのライブに行くというとてもエキサイティングな時間を過ごすことになります。
初めてのライブでも友達と一緒にただただはしゃいでしまったものです。ミスチルというといつもこのエピソードを思い出してしまいます。2009年のSUPERMARKET FANTASYを私はきっと一生忘れないでしょう。
私は基本的にカラオケでいわゆる懐メロというものを選ばないので余計にこうなるのかもしれません。X(旧Twitter)でちょっと前に「職場の人たちでカラオケに行くといつも相川七瀬の『夢見る少女じゃいられない』を歌っている人がいる」というのを見て、この時も「うわああああ」となりました。
普段YOASOBIの知ってる曲なんかをひとりでこっそり歌っている私からするとなんだか眩しく、羨ましく思えたのです。「かっこいい。私もそういう曲いいのかもしれない。今度歌ってみよう」と思いました。
懐かしさ――それは心にあふれてくる強い情動に悶えながらも、同時にいろんな思い出があふれだして切なくなります。けれども、おそらくは快感の一種に入る現象なのではないかと思います。これがもし不快な思い出だったら「うわああああ懐かしい!」とはならないと思うからです。きっと「やめてー!」となってしまうだろうと考えています。
そして私は今日もつい、あの感動を味わいに「青の時代」の動画を見に行ってしまうのでした。
ちなみに他にも懐かしすぎて悶絶してしまったときの状態を記した記事がいくつかあったりもします。ずいぶんと子供のころから時間が過ぎてしまったと思うと切なくもなりますが、同時に胸が熱くもなります。
学生時代にポルノグラフィティにはまっていたころのエピソード入りです。
初代プリクラ機の思い出のエピソードがメインです。
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