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アイミタガイ-誰かを想うこと

晴天の3連休最終日に何も予定がないのはもったいないと、
前日に思い立って映画「アイミタガイ」を観ることにした。

原作も何も知らず、ただ
・主演の黒木華さんの記事を最近読んだから
・上映時間がちょうどよかったから
という理由だけで選んだのが本当のところなのだけれど、
この映画がとてもよかった。

「アイミタガイ」を漢字で書くと「相身互い」。

【相身互い】
誰かを想ってとった行動は、巡り巡って見知らぬ誰かを救い、自分の元に返ってくる。

アイミタガイ オフィシャルサイト:https://aimitagai.jp/

わたしもこの映画で初めて知った日本語。
「お互い様」と近しい言葉のようにも思う。
「思いやりのループ/循環」という感じだろうか。

わたしがこの「アイミタガイ」の特徴だと感じたのは、
「見知らぬ誰かを」という部分。

自分の周りにいる(知っている)誰かを想って行動するというのは、
もしかするとできる人も多いのかもしれない。
でも、「見知らぬ誰かを」想って行動するのは、
なかなか難しいようにも思う。

「相手の顔が見えない」
「誰の役に立つかわからない」
というのは、自分が思っている以上に、
その行動をとるためのモチベーションに影響すると思っている。

例えば、
・道に落ちているゴミを拾う
・トイレのスリッパをそろえる
・試着した服をたたんで元の場所に戻す

当たり前と言えば当たり前のこと。
でも、改めて考えると、
これらの行動の先にいる人の顔は見えない(わからない)。
つまり、これらはすべて「見知らぬ誰か」のための行動。

だから、言ってしまえば「しなくてもよい」。
でも、それをすることで
ちょっぴり嬉しい気持ちになれる人がいたり、
誰かに気持ちよく使ってもらえたりする。

そうして「見知らぬ誰か」がとってくれた行動を、
今度は自分が「見知らぬ誰か」のためにとる。
「アイミタガイ」は、そのループが続き、
どんどん広がっていくイメージなのかなと。

きっと、「相手がその行動を求めているか」はまた別の話で、
まずは「自分が誰かのためにできることはないか」を探す。
これは自分自身の話。

そうであれば、わたしは
ほんのささいなことでも、自分にできることがあればしたいと思う。
自分が誰かの役に立てることはないか、探したいと思う。

そして、そのような気持ちや考えを持ち続けたいし、
それを自然と行動に移せる人でありたい。

ほんのささいなことでも、
たとえ相手が、顔の見えない「見知らぬ誰か」であったとしても、
相手を想ってとった行動なのであれば、
きっと相手に届くと思うし、
受け取る方も嫌な気持ちにはならないはず。

よく、「自分の周りにいる人は自分を映す鏡」
というようなことを聞くけれど、これも同じことだと思う。
誰かを想って行動できる人が集まれば、
その行動は誰かを救い、
やがて自分の元へ返ってくる。

一方、「誰かを想って行動する」ということは、
簡単なことでもないと思う。

まず何より、自分に「誰かを想うための余裕」があることが必要。
そのためには、自分を満たしてあげないといけない。

でも、今の自分に目を向けると、
自分のことで精一杯なくせに、
ちょっとでも良く見せたいと気負い、
そのくせ理想と現実のギャップに葛藤し、
とてもじゃないけれど余裕があるとは言えない状態。

なおかつ、気持ちの浮き沈みもあって、
「ああ、やってしまった…」と
一人反省会をすることもしばしば。

なんとなく、「自分でなんでもやらなきゃ」と思いすぎなのだろうと思う。
もう少し鎧を脱いで、肩の力を抜いてあげれば
自然と「アイミタガイ」を生み出せるのかな。

「アイミタガイ」の言葉はもちろんのこと、
映画も人を傷つけるようなシーンが1つもなく、
観終えた後にあたたかい気持ちにさせてくれた。

素敵な言葉に出会えた一日

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