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ちゃったんです史観の克服――「~させられた」だけでは語れぬ日韓併合

姜教授(いっちゃったw)への違和感

 もう10年近く前になると思いますが、在日韓国人の論客として著名なさる大学教授が、討論番組の中で、「韓国はベトナム戦争に参戦させられた」といった発言をしていたのが記憶に残っています。前後の文脈を失念しましたし、その部分だけを抜き出して語るのも言葉尻を捕らえるようで恐縮ですが、私は「させられた」という部分にひどく違和感を覚えたものです。
「させられた」という言葉をそのまま受け止めれば、ベトナム派兵は韓国の意志ではなく、同盟国アメリカの半ば恫喝に近い要請によって、いやいやながら同意した結果だというニュアンスにも取れます。しかし、事実は逆で、アメリカからの資金援助を求めて韓国が自ら派兵を申し込んだというのが正解なのです。これによって韓国がアメリカから得た援助金がおよそ20億円、その他もろもろのベトナム特需が10億円以上とも言われています。韓国はベトナム派兵によって得るものはしっかりと得ているのです。

 韓国の教科書では日韓併合を「韓日強制併合」と教えています。日本が武力を背景に強制して結ばせた併合条約であるから条約自体が無効であるというのが彼らの主張です。これも大嘘で、日韓は、国際法に則った併合条約を、欧米列強諸国の承認の下に締結しているのです。戦後韓国の「歴史」からは、日韓合邦に尽力した李朝末期最大の政治団体・一進会(会員公称80万人)の存在は矮小化されるか、単なる売国奴集団に貶められてしまっています。
 政治家であれ、国家であれ、歴史の過程で苦渋の決断に迫られることは往々にしてありうるものです。日本も今からおよそ150年前、開国か攘夷か、勤皇か佐幕かで国論が大きく揺れました。結果として日本は近代化の道を選び今日にいたっているわけですが、この決断が間違っていたとする現代人はまずいないでしょう。しかし、同時にこの選択によって、捨ててしまわければならなかったものも多々ありました。近代化がすべて正しいともいえません。決断そのものを誤ることも大いにありえますが、その結果は選んだ個人、あるいは国家が甘んじて受け入れるしかないのです。

併合発表を伝える読売新聞。

併合は日本にとっても苦渋の選択だった

 日韓併合は日本にとってもまさに苦渋の選択でした。日本もまだまだ貧しかったのです。日露戦争(そもそもこの戦争自体、原因は、当時の朝鮮にあったのです)に辛勝したものの、賠償金も取れず、そのため国民の怒りは爆発、交番焼き討ち事件にまで発展していたような状況で、当時110万人といわれた朝鮮の民を新たに養うなど、正気の沙汰ではないという意見も多かった。現に初代朝鮮統監だった伊藤博文は、朝鮮は保護国にとどめておくべきという考えで併合にはぎりぎりまで反対の立場をとっていました。その伊藤を安重根なる韓国人暴漢が殺害したことにより、政府も世論も「併合」へと大きく傾いたのです。本来、韓国の立場からしても安重根は決して英雄などではありません。せいぜい、おっちょこちょいの森の石松といった役どころでしょう。憎めない男であるのは確かなようですが。

 とにかく、合邦の道を選んだのは朝鮮(韓国)であり、それを受け入れたのが日本です。日韓併合の主役は韓国(当時は大韓帝国)であり日本だったのです。
 しかし、戦後韓国は、歴史における都合の悪い部分、とりわけ日本が絡む部分に触れると、とたんに、「~された」「~させられた」「強制されて仕方がなく」といった受け身形になり、自分たちの運命のサイコロはすべて日帝が握っていたかのごとき主張で日本を責め立てますが、それは逆にいえば、韓国人自ら「われわれは主体性のない優柔不断な民族です」と宣言しているようなものではないかと思うのです。誇り高いはずの韓国人が、なぜ歴史においてはこのような卑屈な向き合い方しかできないのか、残念でなりません。

敗戦国民でいたかったというのか

昭和27年、サンフランシスコ講和条約によって内地にいる朝鮮人は日本国籍を失いました。このことをもって現在、「日本国籍離脱はわれわれの意志に反するもので無効だ」「日本籍離脱者にも日本国民と同等の権利を与えよ」と強弁する在日韓国人とその支援者を見かけます。
 では、彼らに伺いたいのですが、日本の終戦時、日本人と同じ敗戦国民の境遇に甘んじようという朝鮮人がどれくらいいたのでしょうか。まあ、少なからずの朝鮮人が、敗戦でうちひしがれる日本人をよそに「われわれは戦勝国民だ」、「第三●人だ」、「敗戦国日本の法律(law)に従う義務はない」と主張し、文字通りの無法(out-law)の限りをつくしていたのが歴史の事実でありましょう。三●人は闇市を肩で風切る裏経済の帝王だったのです。日本人はオフリミットとされたPX(占領軍の酒保)にも彼らは比較的出入りが自由であり、そこで仕入れた物資を闇市で流すことで、濡れ手に泡の利益を得ていました。
 そればかりではありません、旧軍の武器庫から盗んだ機関銃や手榴弾で武装した朝鮮人チンピラに日本の警察力は無力に等しかったのです。わずか数年ではありましたが、朝鮮人が日本人の上位に君臨する時代が確かにありました。この事実は教科書の片隅にでもしっかり記述しておいてもらいたいものだと私は思います。
 日本人でなく、「朝鮮人」であることを願い、選択し、the third nationとしての特権を享受したのは他ならぬ彼ら朝鮮人でした。それが当時の在留朝鮮人たちの「主体」だったのです。

『日本少林寺拳法開祖 宗道臣物語』より。映画『少林寺拳法』では千葉真一が宗道臣を演じた。傍若無人の自称戦勝国人をこらしめるシーンもある。

告白手記とプロレタリア文学

 ここでやや唐突にお話が変わります。
 私の物書きのキャリアの出発点が、実話雑誌のインチキ告白手記だったということは先に書いたとおりです。
「いいじゃねえか、奥さん」とか「ひぃ、堪忍してぇ」とか「いやだいやだと言いながら……てやがるぜ」とった独特のフレーズで構成される原稿用紙5~6枚たらずの小宇宙です。別名ミカワヤン・レターともいいます。「ちわー、三河屋でーす」といった書き出しで始まるのが一種の定番だからです。
 その名の通り、御用聞きや水道工事人、宅配業者といった労働者階層に所属する男性とプチブル階層の人妻といった取り合わせが定番でした。当時、エロ本の編集者には文藝崩れや左翼くずれの人も多く、ある編集者はこれを「階級闘争」と呼んでいました。性交は「同志的結合」です。また、この手の雑誌は、工事現場の飯場跡などにカップ麺のカラなどとともに散乱していることも多く、読者層もまたガテンなプロレタリアートと相場が決まっていました。業界用語ではこの手の雑誌を土方本、地下足袋モノなどと呼んでいた記憶があります。そのせいか、私など自己紹介するとき「実は若いころプロレタリア文学をやっていまして…」などと言うと、大いに受けたりするものです。中には私の顔をしげしげ見て、「やはりそうでしたか!」「そんなふうに見えました」などと妙な感心のされかたをする人がいて、説明に窮することもありますが。

主体を曖昧にする「ちゃたんです」技法

 面白いもので、この手の読み物では、男性の告白より「女性」の告白の方が読者のウケがいいのか、編集から注文では圧倒的に後者が多かったような気がします。とはいえ、書くのは男のわけですから、女の文体に模すのもそれなりに工夫が必要となります。このとき便利なのが、「ちゃったんです文体」です。創始者の名前をとって「宇能鴻一郎文体」ともいいます。
「部長さんにねっとりとおさわりされちゃったんです」「私、いやだと思いながらもなぜかジュンときちゃったんです」「私、思わず声を上げちゃったんです」「八百屋のご主人のツヤツヤした野太いおナスについつい目がいっちゃたんです」
 という按配です。「ジュンときました」「声をあげたのです」よりも「ちゃったんです」にすると、どこか相手にゆだねている感じが出ますね。酔っ払ってホテルまでついてきたくせに、いざ部屋に入ると「ここどこなの?」などととぼけて見せる女のズルさといいますか、逆にいえば、頼めば何でもしてくれそうな、男にとってはなはだ都合のいい女がそこにいるわけです。主体をある程度曖昧にし、自己の責任を軽減するのに「ちゃったんです」は効果的です。

ちゃったんです文体の創始者・宇能鴻一郎。『鯨神』で第46回芥川賞受賞。


 私は韓国の近現代史は「ちゃったんです史観」であると思っています。
「日帝の武力に恫喝されて、いやだいやだと言いながら、韓日併合されちゃったんです」
 というふうに喩えればわかりやすいかもしれません。
 男(日本)も女(朝鮮)も同意の上でホテルに入った(併合)のです。あとあとになって暴力で恫喝し無理やり連れ込んだといわれても困ります。
ラブ・アフェアでは、「彼の強引さに負けて」とか「終電なくなちゃったし」とか「酔っぱらっちゃって」とか「何もしないというからついてきたのに」とか、女性の方にある程度のエクスキューズを持たせてあげるのものマナー(?)といえるかもしれませんが、国家間で歴史問題を論ずるとき、それは禁物というものです。特に隣国のような泣き上手な「アバズレ」にはのちのち何を言われるかわかりません。
 現に、「形だけでも謝ってくれたら、もう何もいわないしお金も頂戴なんていわないワ。未来志向で行きましょうよ」などと言われて、発表したのが、あの愚劣極まりない河野談話でありました。この談話のために日本がどれだけ苦しめられているかはここに記すこともないでしょう。
 戦後韓国は、創始改名も、特別志願兵の募集も、戦中の神社参拝も女子挺身隊も「ちゃったんです」で合理化してきました。そしておそらく、38度線による祖国分断もベトナム派兵もIMF管理も、セウォル号沈没事故も後世の歴史教科書には「ちゃったんです」と記されることでしょう。

李垠王子と明治天皇

「ちゃったんです」史観を象徴するのが、「強制~」という呼称です。「韓日強制併合」という言い方がそもそもそうですし、その併合時代は彼らにいわせると「日帝強制占領時代」です。とりわけ戦時徴用を「日帝強制動員」という物言いには正直恐れ入りました。徴用ですから、強制であるのは確かのですが、これは内地人であろうと朝鮮人であろうと当時「日本人」に等しく科せられた国民の義務でした。同じく、朝鮮人の陸軍志願兵を強制志願と言ったりするに当たっては、もしかして日本語と韓国語の「強制」の意味に違いがあるのかと首をかしげたくなった次第です。
 1907年(明治40年)、高宗の第7男子である10歳の李垠王子が日本に留学されました。韓国ではこれを強制留学と位置づけており、マスコミもそのように呼称しています。なるほど、留学といっても態のいい人質であり、決して自由意志による渡日ではないのは事実ですが、日本における王子の待遇は日本の皇族と何ら変わることなく、教育係となった伊藤博文の下、朝鮮皇族の世子としてふさわしい帝王学のすべてを身につけられたのです。一般平民から比べれば、行動その他、多少の不自由はあったかもしれませんが、それは他の皇族も同じことです。
 明治天皇皇后両陛下、とりわけ皇后陛下(昭憲皇太后)は幼くして祖国を離れた李殿下を不憫に思われてか、たびたび宮中に召され、しばし歓談をされています。また李殿下もまた両陛下を慕われたそうで、実の孫である昭和天皇が明治天皇に会われた回数が2回のところ、李殿下の参内は16回に及んだと記録にあります。

伊藤博文と李垠王子。大正天皇もまた王子を実の弟のように可愛がり、自ら朝鮮語を学んで会話を楽しんだという。王子の英語の家庭教師はなんと鈴木大拙。王子は乗馬と絵画を好み、青年期は自ら希望し、合気道開祖・植芝盛平の個人指導を受け、実力で黒帯を修得している。

孫基禎をなぜ「強制五輪出場の犠牲者」といわないのか。

 時は下って1936年(昭和11年)開催のベルリン五輪、マラソン日本代表として金メダルを獲得した孫基禎という半島人選手がいました。朝鮮の新聞・東亜日報は、受賞翌日の報道で孫選手の胸の日の丸を白く塗りつぶした写真を掲載、これがもとで同紙は発刊停止処分の憂き目にあったことで知られています。孫選手も独立運動家として当局の監視対象になり、それに嫌気がさして次第に陸上競技から遠のいていきます。彼の選手生命はこれでついえてしまったのです。まさに、悲劇のアスリートといえましょう。
 以上のような経緯もあって、現在、韓国では、孫選手は(日帝支配下にありながら民族の誇りを示した)「スポーツ英雄第一号」として顕彰され、教科書にもその名が記されています。
 確かに孫選手は民族意識が人一倍強く、なぜ「日本代表」で走らなければならなかったかと自問することもたびたびだったといいます。しかし、あえていうなら、孫選手の俊足を見出し、陸上競技の名門・養正高等学校にスカウトしその才能を開花させたのは、日本の陸上界だったのです。いくら「強制占領下」であったとしても、いやがる選手を無理やり強化合宿に押し込み、五輪出場を強要することはできません。孫選手が日本代表として走ることを拒否したいのなら、あえて全力を出さないで予選落ちするという手もありました。

孫基禎とヒトラーの月桂樹。
プロレスの神様カール・ゴッチ。ドイツ人としてのアイデンティティに人一倍拘ったゴッチ(本名カール・イスタス)だったが、1948年のロンドン五倫ではベルギー代表で出場している。ま、そういうことも珍しいもんじゃない。

 併合時代の動員のすべてを「強制」といいつのる韓国ですが、ならば、孫選手の五輪出場をなぜ「強制五輪出場」、優勝を「強制金メダル獲得」といわないのか、私の素朴な疑問です。
 最後に余談ですが、この金メダル獲得で孫選手は表彰式でアドルフ・ヒトラー総統から記念品として月経樹の苗を贈られています。現在、その苗は80年の時を経て、大木となり、孫選手の名を冠したソウルの孫基禎体育記念公園のシンボルとなって人々に愛されています。日本の旭日旗を「アジアのハーケンクロイツだ」「アジア人の心を踏みにじる侵略の旗だ」と的外れな非難を繰り返す韓国ですが、その一方で、ヒトラーの月経樹は後生大事にする、これは矛盾ではないのだろうか。素朴な疑問はつきません。

孫基禎選手の優勝は半島人たちを勇気づけた。内地の親日親睦団体・相愛会主催による提灯行列を報道する同盟通信。内地人もともに祝福した。

単行本未収録 2015年脱稿


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