併合時代日本語教育のメリットについてちょいとな
日韓併合により朝鮮では日本語教育が実施された。現在の韓国では、民族の言葉を抹殺する日帝の政策といってこれを非難する。実際は初等教育で朝鮮語の授業も行われていたから、抹殺などというのはまったくもって言いがかりである。そもそも言語など抹殺しようにも抹殺などできるものではない。
現在は全否定されている日本語教育だが、これが当時の朝鮮人に何の恩恵をもたらさなかったかといえば、これも否だ。
明治の頃、既に漱石がイギリスに、鴎外がドイツに、荷風がフランスに、留学、遊学を経験している。彼らはそれら異国の文学の紹介者、翻訳者でもあった。つまり、シェークスピアも、ゲーテも、ユーゴも、日本語で読むことができたということである。若き朝鮮の知識階層にとって、これが恩恵でないはずがない。
大正デモクラシーの時代になると、内地を通して朝鮮にも社会主義運動や女性解放運動の波が押し寄せてくるが、これも朝鮮の文学運動に強い影響を与えることになる。
仏教学者で漢学者、魯迅の翻訳者でも知られる梁白華(リャン・ペクファ※タイトル写真の下段左端の人物)は、1921年(大正10年)、イプセンの『人形の家』の朝鮮翻訳を総督府系の新聞、毎日申報に連載している(1月25日~4月2日)。これは、舞台公演を念頭においたもので、島村抱月・高安月効による日本語訳からの重訳である。梁は、連載にあたって、女性運動家のリーダー格である金一葉(キム・イルソプ)の『新女子』社の依頼でこの翻訳に着手したと記している。
梁白華訳は、『ノラ』というタイトルで書籍化されるが、この表紙絵及び挿絵を描いたのは、女性運動の活動家でもあった画家・羅蕙錫(ナ・ヘソク)だった。
羅蕙錫は内地留学中、雑誌『青踏』を通して『人形の家』を知り、愛読書にしていた。彼女にそのものずばり「人形の家」という詩があることから、受けた感銘の度合いがわかる。ちなみに、羅蕙錫は「理想の女性」としてノラ、ストウ夫人と共に平塚らいてう、与謝野晶子を挙げている。
羅蕙錫も後年、『人形の家』の翻訳に取り掛かる。日本語訳を水先案内人として、英語版を取り寄せ、最後はデンマーク語原本にまでたどり着き、これを完訳した。朝鮮女性による初めての同書朝鮮語訳といわれている。
彼女は日本語の海を通し、さらにヨーロッパという大海へ向かったのである。