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6月の生き物 ホタル


<6月の生き物 ホタル>
晴れれば真夏のように暑く、天気が崩れる時は止まないのではないかと思うほど雨が降る梅雨。
日中の空気はジメジメとし、過ごしづらい季節。
それでも、夜になれば気温も下がり、過ごしやすくなる。

そんな梅雨の夜景といえば、蛍だろう。
カエルの歌声と幾千もの虫の声に合わせて、蛍はゆらゆらと煌めく。
蛍の発光は求愛活動だということはよく知られている。

水田や湿地で漂うヘイケ蛍の雄は空中で0.5秒間隔、メスは草に止まって1秒間隔で発光することで
オスとメスの違いがわかるようにしている。

面白いことにこの間隔は地方性があるようで、
東日本よりも西日本のほうが間隔が短くなりまた、北に行くと間隔は長くなるという。

清流に漂うゲンジボタルの雄は集団で飛んで、発光し、次第に同調する。
しかし、メスは同調しないことで違いが分かるようにしている。
どちらのオスもこうやってメスを見つけると、一気に降りていく。
その様子から「火垂る」という漢字が当たられたのだという。

オスがメスに近づくと、発光頻度を高めてアプローチをかけていく。
メスはそれに応じる時は同じように発光頻度を高める。
もちろん、応じないこともある。
いったい何をもとにして、応じるのか応じないのかは蛍だけにしかわからない。私たち人間は光で求愛活動をしないから説明されても理解は難しいだろう。だがきっと、この発光が重要なのだろう。

蛍は幼虫の頃から光を発する。卵まで光る。卵も幼虫も光るのは決してアプローチのためではなく、それは毒があることを天敵に知らせるためだ。
ゲンジボタルやヘイケボタルの幼虫は河川の水の中で育つが、これは世界から見ると非常に珍しい。日本に住む他のホタルや世界のホタルはほとんどすべて陸上で生活し、カタツムリなどの陸上の貝類や小型の昆虫を餌にしている。

4月から5月の雨が降る時に、陸に上がってきて柔らかい土の中に潜り込むと、蛹室を作りそこで蛹になる。
その蛹の時にはなんと2色に発光する。
カラダ全体とお腹の部分では違う色で発光しているのだ。
この理由はよくわかっていない。

世界中には発光生物はたくさん確認されているが、
毒があることをアピールするのがもともとの役割だと考えられている。
あえて派手な色や柄で毒があることをアピールする虫は多い。
もともと土の中でも目立つように光ったものが、成虫後に夜でも目立つように残したと考えられている。私たちに幻想的な光景を見せるためではない。光を放って天敵を驚かせるためである。
光の何を持って蛍たちはアプローチを競い、選ばれているのかはわからないが、毒を持っているアピールがうまいということは生き残る確率が高いことを意味するのだろう。彼らにとって恋愛は生き残るためのひとつの過程である。

そして、ゲンジボタルは5月の終わり頃から6月、平家蛍はさらに1~2ヶ月長く愛の舞を踊る。
ホタルは成虫の寿命の間、餌を食べずに水だけを飲む。そんなことにも気がついていた人々は童謡「ほたるこい」で「こっちの水は甘いぞ」とホタルを誘っているのだ。

蛍は前年の秋に卵から孵化すると、流れが緩やかな河岸でカワニナを食べる。
このカワニナという貝は蛍の餌として有名になった貝だが、
普段は川の石についた苔や泥に含まれる有機物を食べて
植物プラクトンの大量発生を防ぐことで、綺麗な清流が保たれる。

蛍は清流に住むが、カワニナの餌となる汚れがないと繁栄を保つことはできない。
むしろ、汚れていた川が綺麗になった後にその証拠として繁栄しているのだろう。

さて、日本の蛍といえばこの2種が有名だがもう一種紹介しよう。
それがヒメホタル。
東日本では標高の高い山間部に、西日本では低地の森林や草地でよく観察できるホタルだ。
前述の2種とは違い水辺の近くではなく、陸で生活するホタルだ。
だいたい、5月~夏の間に夜を舞う。

ヒメホタルが舞うのは成虫であるたったの7日間だ。
そして、一度に産卵するのは70個ほど。
ゲンジボタルが500個、平家蛍が100個だと考えると少ない。

日本の代表的な蛍三種を紹介したが、実際は四十種以上確認されている。そのうち二十種が沖縄に生息している。しかも沖縄では一年を通じて会えるという。とくに雨上がりのガジュマルの森で見ることができるそうだ。

むかし、山を旅している頃に名もなき山の中でテントを張っているとき
気がついたらテントをホタルが囲んで、幻想的な夜を過ごしたことがある。
100年前の日本の里山の原風景は清流にはゲンジボタル、水田地帯にはヘイケボタル、森林地帯にはヒメボタルが舞っていたのだろう。
七十二候のひとつ「腐草蛍と為る」が示すように昔の人は腐った竹の葉や草が蛍に生まれ変わると信じていた。これは生物学的には間違いなのだが、川底に落ちた草が腐食し、巡り巡って蛍の肉体になることを考えればあながち間違っていないようにも思える。また死者が生まれ変わることで特別な意味を見出そうとした中国思想がうかがえる。

誰にでも、ゆらゆら舞うホタルを優しく捕まえて、小さな手のひらの中で光る小さな命に、生命の美しさを感じた経験があるだろう。

農薬の使用が増えて、蛍は一気に数を減らした。
しかし、近年は農薬の使用量を減らしたこと、ホタルの保護活動のおかげでホタルが少しずつ増えてきた。
その活動のきっかけは、誰もが小さい頃のあの生命の美しさに感動した思い出に違いない。農薬に関する疑問と危険性を認識するきっかけは健康オタクの知識ではなく、ホタルの美しさだった。誰かを説得するのに千の言葉は必要ない。たった一つの美しさだけがあれば納得する。

自然保護の父と呼ばれるジョン・ミューアはこう語った。
「人間にパンが必要なように、同じくらい美しさも必要だ」

農家にとって、田んぼで作るコメは生きていく上で必要不可欠なものだ。それでも農薬を変えてまで、農作業の合間の時間を割いてまで、ホタルの保護・再生活動に身を捧げるのは「ホタルの美しさ」もまた生きていく上で必要不可欠だからだろう。

ホタルを見たことない若者は多い。
そんな若者には環境保護活動の正しさを伝えたり、農薬の危険性を説くよりも、ホタルを捕まえる経験が必要だろう。そんな蛍狩りはこれからも夏の風物詩であり続けるだろう。あの感動は後世に語り続けるものではなく、体験し続けてもらう価値がある。

古来日本人は川に舟を出して蛍狩りを楽しんだようで、その舟を蛍舟と呼び夏の季語になっている。和歌には草の葉隠れに眺めて詠んだり、蛍火が行き交う様を楽しんだり、家の中に入ってくる蛍を追いかけていた。ホタルが当たり前のように舞い、夏の里山を彩る景観をもう一度見たいと思っているのは田舎に暮らすすべての人の想いかもしれない。

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