私は誰かのダーリンになりたいし誰かに私のダーリンになってほしい
“ダーリン”の愛称を与えられたらどれだけ幸せだろう。
世間的にダーリンは女から見た愛を委ねる相手(男性)を指す。けど私としてはその意味だけで使われるのは勿体ない。
個人的にいざって時にそばにいたり、寂しくなったら真っ先に頭に浮かんだり、背中を預けられる心の拠り所みたいな人をダーリンと呼びたい。
ダーリンという言葉に何故惹きつけられるのだろう。
私が理想とするダーリンが2人いるので、今回はその人達について書く。
1人めのダーリン
まず1人目は、糸井重里である。
ほぼ日の創設者でコピーライター。隣のトトロでは五月の姉妹を支える父であり世代を超えて人気の任天堂のゲームMOTHERのシナリオライターでもある、言葉を愛し言葉に愛される人物だ。
ほぼ日メンバーからの愛称が「ダーリン」で、ほぼ日サイトでは『今日のダーリン』というエッセイを毎日投稿している。
平日は11時、休日は10時前後に更新され、私もお昼休憩に読むのを楽しみにしているのだが、毎回のテーマにハッとさせられる。
孫としたかくれんぼの話だったり、ほぼ日メンバーが買ってきてくれたお土産のお菓子だったり。時には整理しきれなかった言葉をひたすら羅列して最後に1番書きたい事を書くと言う形式の日もあるけど、どんな形でも自然と飲みこめる。
むしろそうして書いてくれるお陰で私自身の心のぐずぐずも一緒に出してくれるような気分になるのだ。
かつて誰もが持っていた純粋さ、単純さ、シンプルさを常に保ち続けている。
親や親戚でもなく、会社の人とか知り合いの知り合いみたいな微妙な関係でもない。
でも“誰か”が困ったり迷った時、俯いて顔を上げたらそこにいて、わざわざ「何かあった?」なんて質問はしないで「良い天気ですねぇ」って話かけてくれて、話が終わる頃には心のモヤが晴れて、振り返ったらいつの間にか居なくなっているような、不思議な存在。
愛しい人よりかは信頼を込めてのダーリンだと感じている。
2人めのダーリン
2人目のダーリンは実在しない。実在しないけど、そこにいる。
冒頭でキリンジの名曲の1つである「エイリアンズ」の一節を引用した。
初めて聞いたときも、今聴いてもこの曲はなんだろう。で埋め尽くされている。
恋愛ソングではない、家族や兄弟への曲でもない、掴めそうで掴めない。でも存在はわかる蜃気楼のような不思議な曲。
この曲は“ダーリン”というフレーズの印象が強い。しかしこのダーリンはさっき定義した恋人や最愛の人ではなく“主よ”とか“みなさん”みたいな、『個人を特定しないけど、強い信頼を持つ存在』を指している気がする。
例を挙げると
推し、主(しゅ、あるじ)、メシア、聖母、シスター、神父、僧侶、メンター、バディ(ホームズとワトソンみたいな関係)
だろうか。
特定の1人に偏らず、誰かを求め、誰かに求められる。そんな尊い関係性を、私は持ちたい。
あぁ、待って待って、眉をひそめないで
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