1本の映画に人生の舵を奪われた件
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。清廉潔白で誠実な乙女になるはずだった私である。
いつしか志した乙女道を貫き通していたら今頃都会のお洒落なオフィスの受付嬢なんかになって素敵な人と運命的な出会いをして高層マンションで旦那とペットのパグと優雅にキャッキャウフフしていたはずなんだ…
しかし様々な要因がミルフィーユのごとく重なり、地方の二次受け企業でぬるっと技術者1年目という現実。
上司がリモート業務のため定時ダッシュを極め、寄り道しようかなと考えながら改札をくぐり抜け、タヌキの如く巣穴(家)に飛び込む平日。
週末は自宅に引きこもり読書とゲームと文章の執筆をするか、実家に帰り家族団欒をしている。(帰省し過ぎて親に友達いないのバレた)
この生活も十分に満足しているが、なぜこうなったのだろう。
高収入の旦那とヒナオ(パグの名前(仮))はどこにいるんだろう。
前置きが長くなったが、今記事では私をハイブリットサブカル乙女にメタモルフォーゼする事となった濫觴について書く。
少し時を戻して11年前(少しで済まされない時間が流れて膝から崩れ落ちたのはナイショ)
地元の中学に進学し、中学生生活をぬるっと謳歌しようと試みた私だ。ところがどっこい要約すると、対人関係スキルが小数点以下でそれを気に食わなかったカースト上位から居場所を剥奪された。
中学生ながらの弱肉強食の世界を味わったのだ。(これだから田舎の公立は!)
躍起になり「ならええわ」と自宅警備員に転職した。
自宅警備に勤しむ私に見かねた母が「映画見に行こう」と私を誘いイオンへ向かった。
今は時間が合えば映画館に行ったりもするが当時は結構レアイベントだった為、久々の映画館と母と鑑賞という事が嬉しかった。
劇場に入り2時間後、ひと組の親子が出てきた。
3ヶ月ぶりに瞳に虹彩が戻り夢と希望に満ち溢れた私と自責の念で頭を抱える母の姿である。
「違うのにすればよかった…」と嘆きの呟きが聞こえたような気がしたがきっと気の所為。
私達が観たのは『モテキ』という作品だ。
監督:大根仁、主演:森山未來、メインヒロインは長澤まさみ、他にもリリー・フランキー等など有名女優やプロの俳優が勢揃い。
今っぽい表現だと名優の無駄遣い(褒めてる)だ。
あらすじは以下の通り
ぴゅあっぴゅあな13歳に観せるとどうなるか一目瞭然だよねぇ…
母は「長澤まさみが出ている=健全」と長澤まさみに圧倒的な信頼を寄せていたため、ここまで癖の強いアンダーグラウンド攻めな作品とは思わなかったらしい。
だがこの映画に出逢えたおかげで私は己の好きを誇り、極め、開拓することを楽しむ術を得ることに成功した。
そして主人公の幸世をはじめ、登場するいい大人達が馬鹿をやってる姿を見て「真面目な馬鹿でいよう」って開き直れた。
大人になっても捻くれたり叫んだり、好きなもんは好きー!!って言っていいんだ。
あと長澤まさみが超カワイイ。今で言うあざとい女子満載なんだけど、わざとらしくない。一挙一動可愛い上にマニアックなネタについてってるギャップ萌える。
(訳:この日私は「可愛すぎて悶る」という感情を初体験した)
現実世界がうまく行かないならネットに篭もればいいじゃない
そして映画を見たその日の夜、私は人生初のTwitterアカウントを開設し外の世界の扉を叩いた。
ナタリーというサイトにも辿り着き購読するようになり、ヴイレヴァンが行きつけの店になった。
そして数年後、カラオケで友人が歌ったアーティストがあの日観た映画の主題歌を歌った女王蜂だった。今やCDを(可能な範囲で)コンプリートし、ライブにも行くようになった。
そう、私の人生は女王蜂でもTwitterでもヴィレッジヴァンガードでもない久保ミツロウの『モテキ』という作品の手のひらの上で踊らされていたのだ。
社会人になり「労働だっりー!!!もー!!!」と幸世の如く叫ぶ日々。今日もTwitterを開き「今日も頑張った!褒めて!」と周囲にアピールしまくる。
今やネット社会になり、気に入らないやつや地味に伸びてるインフルエンサーの粗を見つけては弱みを見つけ、あちこちで燃やし立て、嘘と真の雪合戦が日常的になってるがそうじゃない。
本来のTwitterは、現実世界に意地でも馴染まない『変な人達』が『変なこと』で悩んで喜んで、馬鹿する相手と繋がる純粋なツールだったんだ。(ココ重要)
だからみんな落ち着こう。いがみ合うのはもうやめよう。アマプラを開いてモテキを見て原点に戻ろう。
追伸:そろそろ私の長澤まさみが現れる頃だと思うんですがそこの所どうなっているんでしょうか?