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【読書感想文】『妻が怖くて仕方ない』はノンフィクションと思いきや、サスペンス小説だった

 推理作家アガサ・クリスティの『春にして君を離れ』は、大きな事件が起こらないのに、恐ろしい物語である。
 
主人公の女性が一人語りでひたすら自らの夫婦関係・親子関係を振り返っているのだが、途中、妻が事実をひとりよがりに解釈した「自分の物語」を語っていることに気付かされる。読者は断片的な情報からぞっとする夫婦関係の想像をかきたてられるのみ。
 
最近、『妻が怖くて仕方ない』(ポプラ社)という本を読んで、類似の読後感を味わった。
 
なぜなら、妻からの視点が丸ごと抜け落ちたルポだったからだ。
 
同著は、取材と執筆のプロフェッショナルが、破たんしかけた自らの結婚生活を振り返り、いろんな専門家に話を聞く、という構成だ。一見、自省して前を向いているようにも見えるが、端々に妻を見下す視点がひそんでいて、ゾワゾワする。この視点を自覚的に書いているのなら、すごい書き手だと思う。
 
著者の妻は、公務員だという。限られた情報から勝手に推測すると、おそらくフルタイムに近い勤務形態で、3人の子どもを育てている。そして、その妻は結婚生活の中でひそかに借金を募らせ、しだいに著者につらく当たるようになる。
 
本著は、著者が妻の暴力で負傷するところから始まる。著者の妻が暴力的になり、買い物依存症に陥った「結果」は詳らかに書かれているが、結局、読者はなぜ妻が借金を作ったのかの心理的な動きはわからないままだ。
 
著者は日常的に多くの家事をしているとつづっているが、本著の内容では一家の家事・育児(身の回りのケア、園・学校対応、役員、習いごと送迎など)のどの程度を負担していて、どんな態度で行っているのかは、不明。繰り返すが、妻の視点がまるで欠如しているからだ。
 
そんなこんなで同著を読んでいたら、韓国の小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の結末を思い出した。
 
ネタバレになるが『82年生まれ、キムジヨン』は、育児と家事の負担で精神に異変をきたしたキム・ジヨンを担当する「男性主治医」のカルテという構成になっている。
 
キム・ジヨンのこれまでの人生をよく理解し、寄り添っているように「見えた」主治医だが、家庭では自分の妻が抱えている心の痛みは見て見ぬふりをしている。主治医が帰宅すると、かつて優秀だった彼の妻は自宅で狂ったように簡単な計算問題を解いている。日常に余白も余裕もなく、夫には共感力もなく、簡単な計算問題以外、日常生活で思い通りになることが1つもないからだ。
 
『妻が怖くてしかたない』の著者は、妻がテレビをつけながらご飯を食べ、意識低めの育児をし、掃除が苦手で、金遣いが荒く、子どもの教育は苦手で、ブランド物のアクセサリ好き(妻の声がないから、本当に好きかどうかはわからない)というような印象を読者に与える。妻を愛していると言いながら、まるで評論家のように批評し、怖い妻と暮らす「被害者」の雰囲気をまとう。
 
読み進めていると不思議と「専門家の声に耳を傾ける前に、何も言わずにあなたが子ども3人を外に連れ出して、テレビもスマホも見せずに8時間くらい思い切り遊んであげて。そして“これくらいなんでできないの?”なんて言わないであげて」(執筆者は、妻が子どもにスマホとテレビを絶え間なく見せることに否定的で、子どもには体験が大事と考えている)と言いたくなる。
 
1つの家庭の壁に小さな穴を開けて得たような限定的な情報から勝手に推測すると、妻にとっても、今の生活、ひどくつらいのではないか。
 
日中に外で働いて、3人の子どもを生かすためにご飯をあげて、がんばってできる範囲で家事をして、思い切り子どもの相手をする余力がないから、なんとか機嫌をとるためにテレビをつけているとき、帰宅した夫から家事や育児についてアドバイスされたら、ひどく傷つきそう。
 
――と、冒頭のアガサクリスティの著書のように、描かれていないほうの気持ちに感情移入しそうになるのだが、著者にとっても、妻の多額の借金が発覚したら、並みの精神状態ではいられるわけがない
 
「ジャーナリスト的な視点で家庭内を見つめながらも、じつはものすごく苦しくて、どうしたらいいかわからなくて、家事に協力的なのに、妻から攻撃されて、もしかしたら自分が妻を変えてしまったかもしれないけれど、でもやっぱり自分もがんばっていたんだから、だから自分は被害者だ!」
 
という心の叫びの著として読むと、ちょっと納得できる。あくまでも、本著の中の限られた情報を参照した、私の狭量で勝手な解釈である。
 
ちなみに、著者は同著の中で専門家の話に耳を傾け自省したように見えるが、現在も相変わらず妻への愚痴をTwitterでつぶやいていて、うっかり読むとちょっと心がえぐられる。
 


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