カント,激むず?
人からカントを勧められ,絶対に挫折するーと確信し,ジュニア新書から入ってみた。
読む前に,手にとるようにシリーズで予習もした。9年前に買っておいたんだよね,私GJ〜🎵
カント,激ムズ人物とは聞いていたけど,確かになかなかにややこしい。てか覚えることが多い。
でも,10年近く臨床心理学と精神医学に浸り,ガチセラピーもやってきたので,「あー,あのことね」って感じがかなりあり,だいぶ理解しやすかった(ジュニア新書で読んでおいて何なのですが・・・w)
学部時代は社会人類学Ph.Dのゼミにいたので,哲学はかなり近接というか知っとかないと話にならなくない?な環境だったはずなのだが,バイブスで乗り切ってしまったため今更しっかり学ぶっていうw(先生ごめんなさい・・)
というわけで,「自分で考える〜」まだ読み途中なのだけど,てか全部読んだら頭ごちゃごちゃになりそうだから区切ったの!せっかくなのでカントまとめ!
今回は自分のためのメモみたいなものなので悪しからず!
バカデカ主張:世界はそのままの姿でなく枠組みを通して認識できる
カントは,世界初の職業哲学者であった。
大学で哲学が教えられるようになったのは19世紀のことなので,それまでは,聖職者や政治家,発明家などになる人が多かったらしい。大学で哲学を教えることになった初めての人ということだそうな。
理性派と経験派の統合を目指した
すげー、これはすごいぞとにかくすごい。
「理性(主観)は,その対象(客観)」をどのように認識するか」
これ本当,セラピー中ずーーっと頭の中でやっていることだから、わかりみしかない。なぜなら私の主軸,一応,対象関係論(メラニー・クライン)なんですねー。
これはいつか書きますわ。
認識のコペルニクス的転回
すごく有名とにかく有名。これが書かれているのがこれ。
『純粋理性批判』(1781年)
私たちが世界について何を知ることができ,何を知ることができないかを吟味した、らしい。
私達が認識できるのは,現象であり,物自体ではないと。まじ本当それな・・・。
「良心の声」にしたがって生きよう
『実践理性批判』(1788年)
私は何をすることができるのかと問い,道徳的行為の根拠を説明しようとした,らしい。
理性の錯覚を実践で乗り越える
『判断力批判』(1790年)
人間の美的感性について考えらながら,「理論的に考える理性」と「実践として道徳的に行為する理性」の矛盾を解決しようとした,らしい。
カントが描いた人間像は,「理性において錯覚に陥りながらも,行為によって錯覚を乗り越えていくことをたえず希望する存在」とのこと。
これ,なんかだいぶセラピストっぽい・・・。
時間がないので雑まとめだけど,そのうちちゃんと書くかもしれません!
以上は,上記よくわかるシリーズから主に抜粋しています。
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