⑥ 社会人三年目の私には、正しいと信じる「道」がある
はじめに
こんにちは、せーさんです。
今回は「第一回」の続きを話そうと思います。タイトルの通り、社会人三年目も黄昏を迎えようとする私が進むことにした「道」の話です。
私が初めて投稿した「第一回」の記事はとても多くの方の心に届いたようです。
実は、反響がなければこの活動はすぐ辞めるつもりでした。
それがこれだけ多くの方に読んでもらえたわけで。もしかすると「社会に対する私の叫び」は、世の若人が求めていた声だったのかもしれないと、嬉しく思いましたね。
今日の記事は、「第一回」を読んだ後だとより伝わりやすいかと思います。下に貼っておきますので、ぜひお読みください!↓↓↓
私はこの一年を忘れないと思う
早いことに、2024年も暮れますね。
皆さんはこの一年、どんな思いを持って過ごしてきましたか。
この一年、様々な思いが私の中を巡りました。多くの困難、挫折、別れがありましたね。
私はいつもその一年にタイトルをつけます。2024年は「再生の年」でした。
失ったり、諦めざるを得なかったものが多く、どちらかといえば「喪失の一年」じゃないか?と皆さんも思うかもしれませんね。(笑)
でもその反面、新しく始めたり、好きだったものを思い出すことができた一年でもあったんです。この執筆活動だってその一つですね。
そして12月を迎えようとしている私は、しっかり前を向くことができています。
私が今日話すのも、少し先の未来の話です。
夢を諦めそうな社会人、社会人なりたての若者、そしてこれから社会に飛び出す学生達
そんな人たちに是非届けたい「私の生の声」です。
この記事が、皆さんの道標(みちしるべ)となってくれることを祈ります。
「どうにもならない現実」が、いつだって私達の前に広がっている
「第一回」でもお話ししましたが、私には夢があります。無謀なほど、大きな夢です。
そして、社会に飛び出した頃の皆さんにも同じように夢があったと思います。では皆さんに聞きましょう。
「その夢は叶いそうですか?」
こう聞かれた時、「うん!絶対叶うよ!」と言える人は少数なのではないでしょうか。
むしろ、「社会には、思う通りにいかないことがたくさんあるのは当たり前だろ」「この期に及んで夢だなんて、いい加減大人になれよ」と思う人すら居るはずです。
皆さんにそう思わせてしまう「どうにもならない壁」が、確かにこの社会には存在していると思います。
学生時代は、夢や希望、最先端技術に象徴される輝かしい未来ばかり想像してたように思います。また、「自分が成功する(成果を上げる)かどうか」は、多くの場合、自分自身に依存していました。
学生時代というのは「私(俺)がやるか、やらないか」の世界だったということです。
それが、社会に出たら全く話が違います。
あなたが動いて何かをやっても、必ずしも周りは動かない。むしろ、動かないことの方が多い。
そういう、どうにもならない現実と向き合わなければならないという問題が、突如私達の前に現れます。
この日本社会には、そういう自分では全くコントロールの効かない「不条理」に対処できなかった大人たちで溢れてしまっているように思います。
「大人しくなってしまった大人たち」へ
こういう不条理を対処する方法がわからないまま大人になってしまった私自身、長い間苦しい思いをしてきました。
でも、その苦しみの果てに見えてきた答えがあります。それが今日お話しする、私たちが進んでいくべき「道」ですね。
先ほども言った通り、社会で私たちの前に立ちはだかる「不条理」というのは、コントロールできません。残念ですが、どう足掻いて捉え直しても、今の私たちは無力だと思います。
でも、
「不条理は必ず立ちはだかる」という条理
を体得することはできます。そういう条理を前にした時、私たちに何ができるのかを考えなければなりません。
少し抽象的過ぎるかもしれないので、自然災害に例えてみます。
地震や台風といった「天災」は、否応なく私たちに襲い掛かりますよね。特に地震なんかは、いつ、どこで、どの程度強力なものがやってくるのか、現代の技術をもってしても全く予想できません。
でも、私たち日本人はそういう「理不尽さ」に一生涯怯えて、人生全てを台無しにしてしまうなんてことは絶対にしませんよね。
そういう、「理不尽が時として私達に大きな牙を向くという条理」を私たちは知っているからです。
私たちは理不尽に怯えるのではなく、「理不尽が襲いかかってきたときに何ができるか」を考えるものです。
来たるべき時がやってきたら、自分たちにバトンが渡されたその時、最大限の力を振るえるように、自分に残された手札を増やすこと。
技術、思考回路、信頼、人脈、財源、何だってあるはずです。
たとえ、今すぐに成果として結実しなくても全然構いません。
これまで日本人は、何千年、何万年という気の遠くなるほど長い歴史の中で、何度も何度も自然災害に打ちのめされ、そのたびに立ち上がって村や町を復興させてきました。
何度膝をつかされても、技術や知恵を絞って、ただ壊れた部分を元通りにするだけでなく、経済大国にまで発展させてきましたよね。
「不条理は必ず立ちはだかる」という条理を体得した人間は、本当に強いのです。
最後に
皆さん、こんな言葉を知っていますか。
「誰よりも無惨だったのは魂を潰された奴だ。潰れた魂に義足は付かない!」
映画『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』の台詞です。
仕事柄、私はこの三年間、夢や希望に輝く若人の目から光が失われる瞬間を、何度も見てきました。無惨です。その目を見て、「おそらく2度とこの人はその夢を追うことはできなくなったのだろう」と思いました。
「第一回」の記事でも書きましたが、この執筆活動の真の目的は、「同世代の若者達の背中を押すこと」です。
皆さんの顔を見たこともありませんが、民間企業だろうと公務員だろうと、私にとって皆さんは、共に次の社会を支える大切な同志達です。
時として私たちに立ちはだかる、「大人しくなってしまった大人たち」。彼らの心を変えることは不可能だと思います。
それは、彼らには彼らなりの「正しいと信じる道」があったからだと思います。でも、時代は移ろいます。残酷ですが。
どんな職場だろうと、進化・適応できない思考は常に淘汰され続けるし、逆に私たちが「次の世代にとっての足枷」になってしまう可能性もあります。
次にこの社会にやってくる子供達が、私達と同じような苦しい思いをしないように。そのために私たちは、「今ここにいる意味」を絶えず問いたださなければならないのです。