いのち
それは、雲ひとつない快晴の日だった。
病棟に到着すると、看護師さんが案内してくれ「○○さん、入りますね」と声掛けしながら病室に入る。
そこには、とても心地よさそうな状態の祖父がベッドに横たわっていた。
看護師さんが一度退出し、僕は荷物を窓際に下ろし椅子に腰掛けた。
その後、祖父と僕だけの無音の時間がしばらく流れた。特別何か考えていたわけではないが、静寂に包まれる病室に太陽の光がほのかに差し込んでいたことは覚えている。
月日は 5日前に遡り、お見舞いとしてやってきたこの日は、とても苦しそうな祖父の姿があった。鼻から栄養を摂取するためのチューブが差し込まれ、その影響で口呼吸しかできず、唇や喉がすぐに乾いてしまう。
水を飲むにしても、飲み込む力も弱くなっており、本人が一番生き地獄であるが、見ている側も精神的に堪える姿だった。
その祖父は生命力が異様に強く、若い頃から大病を何度も患ってきたのだが、その度に手術や治療から復活し、騙し騙しではあると思うが、その年齢も 90歳に到達していた。
通常であれば、この状態になった時点で意識というものが朦朧となり、反応も弱くなるのが一般的なんだそうだが、幸か不幸かいまだに分からないが、祖父の意識はしっかりしていた。
そんな状況を本人も察してか、今回ばかりは死期が近いと悟り、「早く楽にしてくれ...」と息も絶え絶えで喘いでいたことが強く印象に残っている。
仏教には「四苦(生病老死)」という言葉があるが、まさに何か自然とそのようなことを考えさせられる時間が過ぎていった。
本人の希望には応えられないが、日本では法的に安楽死は認められていない。しかし、その一方で、安楽死させてあげたくなる親族の気持ちも理解でき、安楽死と尊厳死の境目が極めて難しいこと、そして命を助ける仕事をされている医療従事者の方々が、手の施しようのない状態になった患者に対峙する葛藤など何か言葉にできないものがそこには多く存在していた。
5日後、祖父の脈拍と血圧が低下してきていると病院から連絡があり、急いで駆けつけた。しかし、僕は間に合わず、祖父の娘である叔母さんが最期を看取った。
その後、続々と親族が集まり、死後の段取りが粛々と取り行われていく。
僕は無知にも、看護師さんの仕事がここまで多岐にわたることを知らなかったのだが、遺体の鼻と肛門に詰め物をし、最後は化粧まで施してくれ、頭が下がる思いで一杯になった。
また、これは当日知ったことだが、祖父は元テーラーの営業マンだったらしく、スーツが好きだったらしい。そういうこともあって、祖父が愛用していたスーツに親族と看護師さんで協力し着替えさせた。
着替えさせる際には、親族一同で祖父の体を拭いてあげた。5日前あれだけ温もりのあった手は、すでに冷たくなっており、血の気も引いて顔は徐々に白黄色くなっていった。
また、死後硬直も始まり、死体となった故人の着替えは相当に苦労した。見た目にも顕著に痩せ細った体だったが、スーツを着させると、その痩せ具合がさらに明らかになった。
その後、死亡診断書を医師に書いてもらい、葬儀屋が遺体を受け取りにやってきた。亡くなる 2〜3 日前から葬儀屋の見積もりや流れの相談を喪主を務める伯母さんが水面下で準備していたらしい。
そうこうして、僕は病院を後にした。
翌週、祖父の葬儀が行われた。葬儀は通夜を行わず、1日葬という形式だった。また、親交のあった人は呼ばず、身内のみの小さなお葬式だった。初七日も同時に行った。
葬儀は淡々と進んでいき、いよいよ最後のお別れの場面となった。棺の蓋が取り外され、祖父の周りに花が並べられていく。その他、紙コップに移したビールやメガネなども一緒に入れられた。
棺に蓋をし、男性たちが周りを囲んで霊柩車に運び出す。その後、一行は火葬場へ向かった。
火葬場に行くのも 十数年ぶりなので、もの珍しく観察していたが、全 30室くらいある火葬部屋にどんどんと遺体が運ばれてくる。普段は全く意識していないが、日々人は亡くなっているのである。
いよいよ祖父の納められた棺が火葬部屋に入り、扉が閉められる。老師によるお経も終わり、完全に火葬されるまで約 2時間とのことだった。
ちょうど 2時間が経過し、火葬部屋の扉が開くと、すっかり棺はなくなり、骨と鉄格子だけの貧相な姿になってしまった。あまりにも一瞬で姿が変わり果てたので、叔母さんは息の詰まるような悲鳴をあげていた。
その後、親族による納骨作業が終了し、祖父の葬儀は幕を閉じた。
翌日、僕はスリランカ人の先生によるアーユルヴェーダ論を受講していた。その中で、アーユルヴェーダとは「命の知恵」であるということを学んだ。
先生は、僕にこのように質問してきた。
「命とは何ですか?」
正直、僕はうまく答えることができなかった。
命とは何なのか、生きるとは何なのか、普段から考えることは極めて少ない。
ただ、漠然と人が生まれてから死ぬまでの間に命があるのだから、どうせならその命を最後まで燃やし尽くしたいという想いが僕にはある。
人生には意味はなく、ただの暇つぶしだという意見もあるが、それでも意味があるように思いたいのが人間ではないか。
人間は、情緒を感じる生き物なのである。
薄れていく意識の中で、祖父が何を感じていたのかは分からないが、きっと人生が終わる瞬間にも何かしらの情緒は存在するはずである。
そのように捉えると、人生は現存在の積分を積み重ねることが大事になってくるのではないか。
我々は、人生の地図を持っていない。
持たざるからこそ、その地図を創りあげることができるのではないか。
そのようなことを考えた。