自分のための仕事をつくる
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仕事とは、ある目的のために頭やからだを使うこと。働くこと。と例解新漢和辞典 第五版(三省堂)には書いてある。
一般的に使われるのは、「働くこと」の意の方が多いだろう。
ここでは、働くこと以外の仕事について考えてみたい。
そもそも「ある目的のために」と書いてあるが、目的もなく頭やからだを使うことはあるのだろうかと話を脱線させてみる。
少し違う気もするが、惰性(特に目的がなく、習慣や癖で続けてしまう行動)が近いのではないだろうか。
話を戻して、日々を過ごしていると、特に何もしていなくても、月日は流れていく。
しかし、本人にとっては特に何もしていない感覚なのかもしれないが、何かはしているはずである。
僕であれば、掃除、洗濯、読書、郵便局へ行く、昼寝をする、スマブラをする、コーヒーを飲む、洗濯物を畳む、庭の水やりをする、夕食を作る、note を書く、絵を描く、音楽を聴く、日記を書くなど行動別にすると色々やっている。
学生であれば、学校に行って勉強するし、サラリーマンであれば満員電車に揺られ、オフィスで働くし、その中で行動はさらに細分化されているはずである。
人にはそれぞれの行動があり、日常がある。
最近僕は、自分のための仕事をつくることが大切ではないかと思っている。
「自分のための」というニュアンスは、「自分に優しくする」ということに近いかもしれない。
感覚的な話で恐縮だが、僕でいうと料理を作る、昼寝をする、日記を書く辺りが、無職生活の中で僕の仕事となっている気がする。
残念ながらまだ言語化できていないが、僕の仕事の概念には昼寝も入っている。「僕の」仕事というより、「僕のための」仕事の方がしっくりくる。もちろん、ここには「社会で働く」の意味は含まれていない。そして、その僕のための仕事は、自分で「つくっていく」感覚がある気がする。手作りしていく。
全ての人に当てはまらないかもしれないが、日々生活していると、自分を犠牲にして他人のためにする行動もあると思う。
だから、そのような偏った他人のための仕事とのバランスを均衡にするために、自分のための仕事が必要ではないか。
そのような謎めいた考えを思いついてしまったので、ここに記録しておく。
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